2217年9月16日

ルマニーオ〔ルーマニア〕からハンガリーオ〔ハンガリー〕へ入りました。ハンガリーオへ入る前に通過したルマニーオのハンガリーオ境界地域はトランシルバニーオという準領域圏ですが、ここにはハンガリー系の住民が多く住んでおり、すでにハンガリーオの香りがしていました。

ハンガリーオは欧州の真ん中にありながら、周辺とは異なる独特の言語を持つ領域圏です。そのせいか、現在では伝統的なハンガリー語を第一公用語としつつも、エスペラント語を第二公用語として採用し、普及させていますが、日常的にはやはりハンガリー語が優先使用されます。

その代表都市ブダペストは19‐20世紀には革命や動乱など数々の歴史的事件の舞台となりましたが、23世紀現在は何事もなかったかのように静かに佇む風光明媚な都市です。寡聞にして知らなかったのですが、ハンガリーオは欧州随一の温泉集中地帯で、しかも有名温泉がブダペストにあるのです。

中でも欧州最大規模と言われるセーチェーニ温泉は人気が高く、私も行ってみました。20世紀初頭に建てられた温泉施設の建物が中世のお城のようで豪華です。欧州型温泉ですから水着必着で、温水プールのようなものです。

この温泉には世界で三番目に古いというブダペスト地下鉄1号線で簡単に行くことができます。1号線のトンネルや駅はなるほど古いですが、車両は最新の無人自動運転システムで運行されています。地下鉄の自動運転は23世紀では日本も含め、世界標準の常識なのです。

ちなみに、同じブダペスト市内には、ハンガリーオ最古という16世紀に作られたキラーイ温泉もあります。ここはオスマントルコ支配下でトルコによって作られたため、現在でもトルコ様式の温泉施設が維持されています。

ハンガリーオの魅力はもちろん温泉だけでなく、学術・芸術分野でも多くの先人を輩出してきた学芸の地でもあり、現在でも学芸の香りのする落ち着いた領域圏となっています。もっと長居したいところですが、先を急ぎ、次は南下してクロアチーオ〔クロアチア〕に入ります。
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2217年9月2日

ルマニーオ連合領域圏へやって参りました。ルマニーオはかつてのルーマニアにほぼ匹敵する領域圏ですが、21世紀当時と少し異なるのは、旧モルドバも包摂されていることです。

モルドバは20世紀にはソ連に組み込まれていた小国でしたが、ソ連解体後は他の構成共和国同様に独立していました。ただ、モルドバはその昔モルダビアとも呼ばれ、言語的・文化的にはルーマニアと非常に近く、ほぼイコールと言ってもよいほどです。

19世紀末から20世紀半ばまで、ワラキアと呼ばれていていたルーマニアとともに統一ルーマニア王国を形成したこともありますが、その後分割され、22世紀の世界革命後また再統合されて現在のルマニーオが出来るという複雑な歴史をたどっています。その影響から、現ルマニーオは連邦型の連合領域圏として構成されているわけです。

さらに複雑なことに、旧モルドバ東部ドニエステル河流域のロシア系住民が多い地域チェドネストリーオ〔沿ドニエストル〕特別準領域圏は、高度な自治権をもってルマニーオ領域圏に包摂されつつ、ルシーオ連合領域圏〔ロシア〕の招聘準領域圏でもあるという状況になっています。

このようにルーマニアの領域が膨張することは大ルーマニア主義と呼ばれ、かつては周辺諸国から危険視されていましたが、世界共同体という新しい世界秩序の中では、ルマニーオも世界共同体に包摂される一つの単位にすぎないので、さほど問題化はしませんし、チェドニストリーオの微妙な地位なども世界共同体ならではの芸当と言えるでしょう。

さて、ルマニーオの代表都市は現在もブカレストです。ブカレストは知られざる美術館の街で、多数の美術館があるほか、舞台芸術や音楽も盛んな活気溢れる街です。私のような旧世界人はストリートチルドレンや野犬が多いと聞かされていたのですが、現地の人に聞くと、そんなのは何百年も前(20世紀後半頃)の昔話と一笑に付されました。

ルマニーオを南下すると、一度行ってみたかったバルカン半島へ抜けますが、ここではいったん進路を西へ取り、隣接するハンガリーオ〔ハンガリー〕に向かってみようと思います。
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2217年8月13日

ルシーオ合同領域圏から南下してウクライニーオ領域圏に入りました。旧ウクライナです。ウクライナと言えば、そちら21世紀には新ロシア派東部と反ロシア派西部の間で、ロシアも深く絡んだ根深い内戦が続いているでしょう。

元来、旧ウクライナの首都キエフこそがロシア国家の発祥地でもあり、ロシアとウクライナに大差はないはずなのですが、歴史の進行の過程で分立し、事態が複雑化してしまったようであります。

この対立は結局のところ、ドネツクを中心とする東部地域の一部分離、ルシーオ連合への自治的編入という形で決着することになります。この自治的編入地域は「新ロシア」を意味するノヴルシーオと呼ばれ、改めて独立した領域圏への昇格も検討されているようです。

従って、23世紀現在のウクライニーオは、21世紀中にロシアに併合されたクリミアも除かれ、旧ウクライナよりずっと縮小された形になっています。しかしルシーオとウクライニーオの関係は決して険悪なものではなく、ウクライニーオはルシーオ合同領域圏の招聘領域圏としてオブザーバ参加し、政策協調関係にあります。これも国家という枠組みが取り払われた世界共同体システムの恩恵でしょう。

実際、ウクライニーオとルシーオに包含されるノヴルシーオの間に国境線のような障壁はなく、簡素な標識と駐在所のような小規模の検問所あるのみ、筆者のような旅行者でも原則として自由に往来可能なのです。

さて、現ウクライニーオの代表都市は旧ウクライナ時代と同じキエフです。ここは聖ソフィア大聖堂やキエフ洞窟大修道院を中心とする中世以来の古い教会建築の宝庫で、現在でも厳正に保存され、拝観することができます。一方でキエフは23世紀的な街でもあり、ポストモダン芸術にも富むなど、新旧融合の文化が見られます。

縮小されたとはいえ、ウクライニーオには、キエフ以外にもオデッサやリヴィウなど、見所の多い都市がたくさんありますが、全部は回り切れません。ウクライニーオの次はさらに南下してルマニーオ〔ルーマニア〕に入ります。
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2217年7月23日

ルシーオ〔ロシア〕探訪の続きです。前回ご説明したとおり、23世紀のルシーオ合同領域圏はルシーオ連合、極東ルシーオ、ベロルシーオの三領域圏から成るのですが、まずはルシーオ連合から。

ルシーオ連合はかつての旧ロシア連邦にほぼ匹敵する領域圏ですが、前回述べたように、極東地方が分離された代わりに、ウクライニーオ〔ウクライナ〕の東部地域の一部が編入されています。ウクライニーオはそちら21世紀には熾烈な内戦が起きている所ですが、その後の経緯についてはウクライニーオ探訪の際に触れます。

ルシーオ連合の政治的代表都市はサンクトペテルブルクです。この点、長くロシアの首都だったモスクワとは入れ替わっています。サンクトペテルブルクは、18世紀、ロシアのヨーロッパ化を推進したピョートル大帝によって建設された新都でした。

そこが再び政治的代表都市に戻ったのは、現在のルシーオがエウローポ‐シベリーオ〔ヨーロッパ‐シベリア〕環域圏の一員として、いわゆるヨーロッパに包摂されている結果、モスクワよりヨーロッパに近い西のサンクトペテルブルクに重心が移ったからです。

世界共同体という地球的枠組みの中で、ルシーオは旧ソ連時代や旧ロシア時代のように覇権や勢力を誇示することなく、ヨーロッパの一員として平和的に治まっています。覇権・大国主義的でない形で、ロシアのヨーロッパ化というピョートル大帝の意志が実現されているとも言えるでしょう。

ちなみに旧首都モスクワにはルシーオ合同領域圏の本部に当たる政策協調委員会が置かれ、ここもルシーオ合同全体の代表都市としては維持されており、全く寂れてしまったわけではありません。

他方、ベロルシーオは旧称べラルーシ時代から旧ロシアとは国家連合を組むほど緊密な関係にあり、その延長上で23世紀も合同を組んでいるようです。言語・文化的にはルシーオと近縁ですが、隣接するポランドからの影響も大きいとのこと。

ベロルシーオはルシーオ連合よりずっと小さくのどかで、畜産・酪農が盛んな領域圏です。政治的代表都市ミンスクはかつて旧ソ連時代風の無機質な都市と見られていたそうですが、23世紀には再整備が進み、こじんまりとして、芸術的なポスト近代建築の都市に生まれ変わっています。
 
それにしても、ルシーオ合同領域圏は広大で、短期間ではとうてい回り切れません。今回はシベリーオ方面には足を運べませんでした。とりあえず、この後は南下してウクライニーオに入ります。
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2217年7月1日

ルシーオにやってきました。旧ロシアです。相変わらず広大な領域圏ですが、23世紀には少し縮小されています。すなわち、旧ロシアの東のはてにあった旧極東連邦管区の部分が「独立」して、極東ルシーオ領域圏となっているのです。

この極東ルシーオは人口もまばらな地域ですが、実態としては東アジアに包含されるので、現在では日本も含まれる広域的なまとまりである東方アジーオ〔アジア〕環域圏の招聘領域圏として、オブザーバ参加しています。

現在のルシーオは旧ロシアの領土からこの極東ルシーオを除いた部分で成り立っています。それでもなお世界最大面積の領域圏であり、複数の準領域圏が結合した連合領域圏であります(ルシーオ連合領域圏)。

少しややこしいのですが、23世紀のルシーオは、このルシーオ連合領域圏と極東ルシーオ領域圏に、ルシーオ連合領域圏の西で接するベロルシーオ〔ベラルーシ〕領域圏の三つの領域圏が合同したルシーオ合同領域圏にまとめられています。

従って、この三つを合わせると、まさにユーラシア大陸にまたがる超広大な領域圏となりますが、これまでにもいくつか事例を見たように、合同領域圏とは独立の領域圏の緩やかな合同ですから、一つの帝国のようなものではありません。

ちなみに、かつて日ロ間の懸案であった北方四島は極東ルシーオの領域に含まれますが、現在では日本領域圏との共同管轄地域という折衷的な形で解決されています。その見返りとして、日本領域圏はルシーオ合同領域圏の招聘領域圏としてオブザーバ参加するという形で、クロスしています。

このような器用な芸当が可能なのも、国境で隔てられた国家をなくし、単一の世界共同体にまとまったおかげとしか言えず、21世紀までの主権国家体制下では不可能なことだったでしょう。

さて、こたびの旅行では、シベリーオ〔シベリア〕のはてにある極東ルシーオまでまとめて足を伸ばすのは厳しいので、極東ルシーオは後で改めて回ることとし、さしあたりルシーオ連合とベロルシーオのみ足を運ぶこととします。とはいえ、やはり広いので、詳細は次回へ。
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2217年6月18日

ポランド〔ポーランド〕が心地よく、つい長滞在してしまいましたが、ようやく隣のバルティーオ合同領域圏に入りました。バルティーオとはバルトのことです。かつてはバルト三国などと呼ばれたリトアニア・ラトビア・エストニアの三国が合同して構成する領域圏です。

20世紀には三国もろともソ連に併合されて独立を失いましたが、20世紀末に独立を回復しています。三国はとても緊密で、22世紀の革命後もそれぞれリトビーオ・ラトビーオ・エストニーオとして領域圏を保持しつつ、緩やかに合同したのです。

ただ、三領域圏はそれぞれ文化・言語に差異があるので、エスペラント語を事実上の共通語として使用し、合同に関わる公文書もエスペラント語で記述されるとのことです。

ポランド側から入った場合、三領域圏のうちポランドに隣接するのは、近世にはポランドと合同を組んだこともあるリトビーオ〔リトアニア〕ですが、合同領域圏の中で一番開けているのは、一番小さなエストニーオのようです。ここは、そちら21世紀からIT先進地として発展を遂げており、その伝統は23世紀も続いています。

エストニーオは文化的・言語的にはノルド合同領域圏の一つスオミーオ〔フィンランド〕に近く、実際スオミーオはバルティーオ合同領域圏の招聘領域圏としてオブザーバ参加しているのです。

エストニーオに比べ、リトビーオとラトビーオは中世以来の町並みをいまだに残し、おとぎ話に出てきそうな雰囲気を湛えていますが、全体として、バルティーオは小さいながらも先進的な地域とみなされています。

もっとゆっくり見て回りたいところなのですが、先を急ぎますので、エストニーオから東で隣接するルシーオ〔ロシア〕に向かいます。あの信じられないほど広大な領土を誇った旧ロシアは23世紀の今、どうなっているでしょうか。楽しみです。
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2217年5月17日

スロヴァキーオ〔スロヴァキア〕から、ポランド〔ポーランド〕へ入りました。代表都市はワルシャワです。今回は鉄道を使わず、エアバスで移動しました。ワルシャワの空港は、ワルシャワ・ザメンホフ空港と呼ばれます。

ザメンホフとは今や世界公用語であるエスペラント語の創案者ルドヴィコ・ザメンホフで、当時ロシア領だった旧ポーランドの出身でした。そのことを記念して、ポランド玄関口の空港に彼の名が冠されているのです。

ちなみに、ワルシャワの空港は革命前、ワルシャワ・ショパン空港と呼ばれていました。ショパンはポランドが生んだ作曲家で、少しでも音楽、特にピアノを齧ったことのある人なら誰でも知っている「ピアノの詩人」フレデリック・ショパンのことです。

ショパンも決して忘れられたわけではないのですが―五年ごとに開催される有名な国際ピアノ・コンクールも続いています―、世界共同体の創設によりエスペラントが世界公用語の地位を獲得したことで、ザメンホフがショパンを押しのけてしまったようであります。

また、古い学術都市クラクフにはザメンホフ・エスペラント記念館が所在しており、見学してまいりました。そこはザメンホフの生涯を記録する史料や、エスペラント普及の歴史などをたどれる史料のほか、エスペラント文献を誰でも閲覧できる文書館を兼ねた博物館です。しかも、公認エスペランティスト向けの宿泊施設付きです。

公認エスペランティストとは、世界共同体が認定するエスペラント専門家としての公式資格です。私はその一歩手前の暫定公認資格を有しているため、その資格で宿泊が認められました。決して豪華ではありませんが、古都らしい落ち着いた環境でした。

そのついでに言葉の細かい話になりますが、ポランドの正式名称は「ポーラ領域圏」です。ポーラはエスペラント語でポランドの形容詞形であり、「ポランド領域圏」は本来不正確なのですが、日本語に取り込んだ外来語としてわかりやすくするため、このように表記しています。こうした表記法は、当ブログで取り上げる他の領域圏についても適用します。

さて、ポランドの歴史と言えば、アウシュヴィッツ―ポーラ語ではオシフィエンチム―も忘れられません。ザメンホフはポランド出身とはいえ、ユダヤ系でした。彼が1930年代まで生きていたら、エスペラントを敵視したナチスの手でアウシュヴィッツ送りになっていた可能性もあります。果たして、彼の子どもたちは皆ホロコーストで命を落としているのです。

とはいえ、ホロコーストからすでに300年近く。歴史的記憶の限界も感じつつ、ワルシャワから鉄道で行ってみました。すると、相変わらず絶滅収容所跡は博物館として保存されていて、大勢の見学客がありました。大虐殺は消し去りたい悪と残虐の歴史ですが、まだしっかり記憶されていることに安心しました。

そもそも23世紀の世界秩序である世界共同体はアウシュヴィッツを生んだ世界大戦のような惨事、その反省も虚しく核戦争危機を惹起した冷戦や仁義なきテロ戦争を繰り返さないために設立された平和機構でもありますから、ナチスの記憶も忘れられないのです。
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2217年4月29日

前回予告していたとおり、アルポイ〔アルプス〕合同領域圏から鉄道を使って隣のチェヒーオ〔チェコ〕へ入りましたが、正確に言いますと、ここはチェヒーオ・カイ・スロヴァキーオ合同領域圏です。英語風に言い換えれば、チェコ・アンド・スロヴァキアとなります。

すなわち、チェヒーオ領域圏とスロヴァキーオ領域圏が合同したものです。合同領域圏という点では、アルポイなどと同様、緩やかな政策協調の限度内での合同体制ということになります。

実はその昔、20世紀にはチェコスロヴァキアという一つの国(1948年以降は社会主義国)が存在していたことがありましたが、20世紀末、社会主義体制が民衆革命により倒れた後、言わば協議離婚のような平和的な形でチェコとスロヴァキアは分かれ、別々の国として再出発しました。

とはいえ、チェコとスロヴァキアには月とスッポンほどの違いはなく、言葉も素人には同じように聞こえるスラブ系言語です。文化的にも、ともに音楽を中心に芸術が盛んです。町並みもともに歴史的で、中世に戻ったような景観が維持されています。80年間くらい一つの国だったのも不思議はありません。

その後、22世紀の世界革命を経て、チェコとスロヴァキアは世界共同体を構成する領域圏同士として両者の緊密な関係性を見直した結果、完全に一体化はしないものの、緩やかな合同としてのまとまりを取り戻したことになります。それが、エスペラント語で表記し直されたチェヒーオ・カイ・スロヴァキーオなのです。

従って、チェヒーオとスロヴァキーオの境界には控えめな標識があるだけで、完全ノーチェックで往来が可能ですので、私もチェヒーオから鉄道で簡単にスロヴァキーオに移動しました。境界を越えた時にあえて両者の違いを見つけるとすれば、スロヴァキーオのほうがややのどかな感じはします。

さて、スロヴァキーオからさらに北上して次はポランド〔ポーランド〕に向かおうと思いますが、このあたりはかつて「東欧」と呼ばれていた地域に当たります。しかし、23世紀現在、このような地政学概念は存在せず、すべてはエウローポ‐シベリーオ〔ヨーロッパ‐シベリア〕環域圏の一環になります。
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2217年4月15日

ゲルマニーオ〔ドイツ〕から、隣のアルポイ合同領域圏に移動しました。アルポイはアルプスのエスペラント語です。ここは、名称のとおりアルプス山脈を囲む複数の領域圏の合同として形成されています。

すわなち、アウストリーオ〔オーストリア〕連合領域圏、スヴィス‐リヒテンシュテイノ〔スイス‐リヒテンシュタイン〕連合領域圏、スロヴェニーオ〔スロヴェニア〕領域圏の三領域圏の合同です。なお、細かいことですが、アウストリーオとスヴィス‐リヒテンシュテイノはそれぞれが複数の準領域圏から成る連邦型の領域圏構成を採っています。

歴史的に見ますと、アルポイは旧ハプスブルク帝国の主要領土をカバーし、おおむねドイツ語圏に属しますが、現在ではハプスブルクなどはるか昔の歴史であり、アルプス山脈の共有を意識した合同体のようであります。

リヒテンシュテイノはかつては小さな独立君侯国でしたが、革命により君主のリヒテンシュタイン侯が追放された後、元来関係の深い旧スイスと合併して連合領域圏となりました。そうした歴史的な経緯からリヒテンシュテイノは特別準領域圏として広範な自治権を保持しています。

また旧スイスと旧オーストリアはかつて「永世中立国」を宣言しておりましたが、世界が一つになり、恒久平和体制たる世界共同体が確立された23世紀現在、もはやそのような中立宣言は失効しており、これも歴史の中のお話であります。

ちなみにスロヴェニーオはアルポイ合同の中で一つだけスラブ系主体の領域圏で、20世紀にはユーゴスラビア連邦を構成していましたが、ドイツ語もよく通用することから、アルポイに加盟しているものと思われます。足を運んだ代表都市リャブリャナはおとぎ話に出てきそうな美しい町です。

アルポイ合同領域圏全体を象徴するのは名称どおり、アルプス山脈であり、スキー競技ですが、一方で、ウィーンやザルツブルクをはじめ、クラシック音楽の里でもあります。有名なウィーン・フィルのようなオーケストラも健在で、域内では様々な音楽祭が開催され、世界中から人が集まってきます。

風光明媚で、ずっと滞在していたい場所ですが、世界旅行は前進します。次は北へ向かい、意外に知られざる芸術の里であるチェヒーオ〔チェコ〕に行ってみようと思います。
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2217年3月31日

べネルクソからフランツィーオ〔フランス〕とゲルマニーオのどちらへ行くかで迷い、結局、後者にしました。すなわち旧ドイツです。ドイツはかつてドイツ連邦共和国を名乗っていましたが、23世紀にはドイツ連合領域圏です。

現在ではもはや「国」ではありませんが、その領域の地理的範囲は21世紀当時と変わっていませんし、形態としても連邦制を継承した連合制を維持しています。16の州(うち3つは都市州)構成した旧連邦の形もほぼ継承され、16の準領域圏(うち3つは都市型準領域圏)で構成されている点、かなり保守的と言えます。

ゲルマニーオはエウローポ‐シベリーオ〔ヨーロッパ‐シベリア〕環域圏の中では、ルシーオ〔ロシア〕に次ぐ大きな領域圏で、人口は1億ちょうどくらい。21世紀当時より約2000万人増え、人口減少した日本を上回っています。これは主にトルコ系移民が土着して殖えたためだといいます。

今回の旅で行ってみたかったのは、べネルクソと境界を接するラインラント‐プファルツ準領域圏の町トリーアです。なぜなら、ここはあのカール・マルクスの出身地で生家も保存されていると聞いたからです。

行ってみると、それは200年前の情報でした。たしかに21世紀当時にはマルクスの生家は博物館として保存されていたのですが、23世紀の現在は取り壊され、ポスト・モダンな住宅地となっており、わずかに跡地であることを示す石碑が残されているだけでした。

地元の人に聞いてみますと、「マルクスは郷土の歴史的人物だが、詳しくは知らない」と流暢なエスペラント語で答えられました。たしかに23世紀から見れば、19世紀のマルクスさんは4世紀も昔の歴史的人物に過ぎないのでしょう。

もう一箇所行ってみたかった場所は、これも20世紀の象徴・旧ベルリンの壁跡地。たしか壁の一部が保存されていると聞いたのですが、これも200年前の情報でした。23世紀には壁は跡形もなく、ベルリンは分断の歴史などなかったかのように統一都市(それ自体として準領域圏扱い)として静かにたたずんでいました。

ちなみに、ベルリンは現在も連合領域圏全体をまとめる連合民衆会議の所在地であり、政治的な代表都市の地位を維持しています。こうした安定性もゲルマニーオらしさでしょうか。ゲルマニーオからは鉄道を使い、隣のアルポイ〔アルプス〕合同領域圏に移動してみたいと思います。
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2217年3月16日

アングリーオ〔イングランド〕から北海を渡り、べネルクソ〔ベネルクス〕に移りました。北海渡海は周辺を結ぶ無料乗り放題の客船によりました。以前にもご紹介したとおり、23世紀には船舶という交通手段が復権しており、多くの利用客がありました。窮屈な飛行機とは違う、ゆったりした快適な船旅でした。

べネルクソとはベネルクスのエスペラント読みであり、21世紀人にはベネルクスのほうが馴染みがあるでしょう。ベネルクスとは歴史的に関連の深いベルギー、ネーデルラント(オランダ)、ルクセンブルク三国の緩やかな協力体を出発点としていますが、23世紀には単なる協力体を越えて、単一の領域圏にまとまっているのです。

23世紀のべネルクソ連合領域圏は連邦制に近い構制の領域圏ですから、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクが単純に結合しているのではなく、この三統治体はいったん解体されたうえ、州に近い権限を持った10以上の準領域圏によって再構成されています。代表都市は旧オランダのハーグです。

このような構成になったことで、かつて国を分裂させかねないほど揺れたベルギーの言語分断問題は解決しています。すなわちベルギーを二分したフラマン語(≒オランダ語)地域とフランス語地域の分断・対立関係は、ベルギーという統治体がべネルクソに吸収されたことで止揚されたのです。

そのうえで、べネルクソは世界公用語であるエスペラントを連合全体の公用語ともしています。もっとも地元における日常会話に際しては、それぞれの伝統的な言語が依然として使用されており、そのことが権利としても保障されているとのこと。

ちなみにベルギー、オランダ、ルクセンブルクはそれぞれ独立国だった時代には英国と並ぶ立憲君主制(ルクセンブルクは大公制)を採るという共通項もありましたが、現在では英国と同様、王ないし大公は歴史文化的象徴としての形式的称号にとどまっています。

また旧ベルギーのブリュッセルはかつて旧欧州連合の中心地でしたが、今日では欧州及び旧ロシア・シベリアを大きく包摂する経済協力体であるエウローポ‐シベリーオ〔ヨーロッパ‐シベリア〕環域圏の民衆会議をはじめとする主要機関の所在地でもあり、歴史的に民際性の豊かな土地柄であることは変わっていません。

個人的にはかつて人口50万人ほどのミニ国家だった旧ルクセンブルクに興味があり、集中的に回ってみました。ここは古城がいくつも保存されているべネルクソ域内有数の歴史地域でもあります。同時にフランツィーオ〔フランス〕とゲルマニーオ〔ドイツ〕への入り口もあるのですが、さてどちらへ赴くか、まだ考え中です。
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2217年2月28日

ケルト合同領域圏に属するスコットランドから、風光明媚な田園地帯を縦断する鉄道を普通列車を乗り継ぎ南下してアングリーオへやって参りました。アングリーオとは、かつてのイングランドのことです。

イングランドは21世紀にはいわゆる英国を構成する四つの地域のうちの中心でしたが、前回ご説明したとおり、23世紀には四地域のうち三つが隣のイルランド〔アイルランド〕を含めたケルト合同にまとまったため、単独の領域圏となったものです。言わば独りぼっちになってしまったわけですが、23世紀のアングリーオ人はほとんど気にしていないようです。むしろ、現状が一番すっきりするという感想も聞かれました。

その代表都市は相変わらずロンドンですが、その性格は一変しています。かつては世界金融センターのトップに位置づけられる金融大都市であったわけですが、貨幣経済が廃され、当然「金融」も死語となった23世紀、ロンドンはもはや金融都市ではあり得ません。現在は、静かな歴史文化都市です。

歴史文化といえば、大英帝国時代の象徴とも言えるBritish Museumは現在も存在していますが、名称はEngland Museumに改称されています。また金融の象徴だったロンドン証券取引所跡地は前衛的な建築として著名なアングリーオ中央民衆会議議事堂の一部に変わり、革命の象徴地となっています。

ところで、イングランドと言えば世界で最も有名な王室がありましたが、現在はどうなっているのかというと、王室は残されています。しかし、元首の概念を持たない民衆会議体制において、もはや王は元首ではありません。ただ、歴史文化の象徴として、形式的な称号だけが残されているのです。このような処遇は世界中の王室で普遍的です。

王と王族は全員一般市民として普通に暮らしており、旧王宮バッキンガム宮殿は誰も住まない一史跡です。ちなみに旧英国が唯一残していた旧式の貴族制度も完全に廃止されて久しく、もはや誰が旧貴族の末裔なのかは苗字でわずかに判明する程度です。

こうしてアングリーオは豊かな田園風景を持つ領域圏として、静かに今も存在しています。次はアングリーオから、ベネルクソ〔ベネルクス〕方面へ渡ってみようと思います。
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2217年2月4日

ノルドからスコットランドへやってきました。スコットランドと言えば、そちら21世紀初期の段階では独立論争が巻き起こりながらもまだ英国の一部であろうと思いますが、現在の地政情勢は大きく変わっています。

23世紀のスコットランドは、イルランド〔アイルランド〕、キムリーオ〔ウェールズ〕、アイリッシュ内海に浮かぶマンクシーオ〔マン島〕とともにケルト合同領域圏に編入されているのです。構成領域圏の自立性が強い合同領域圏という点では、北欧のノルドと同じ形式になります。

ケルトとはケルト人のことです。歴史的に見てスコットランド、アイルランド、ウェールズはケルト人が先住していた地域で、ケルト系の言語や文化が残る点で共通しています。その三つが合同したのです。

ちなみに、アイルランドはかつてアイルランド共和国と英国に組み込まれた北アイルランドに分かれ、北では流血の分離独立闘争が展開された時代もありましたが、現在では北アイルランドもイルランド領域圏に復帰しています。

同じく英国に組み込まれていた西部のウェールズも離脱していったため、かつて栄華と覇権を誇った大英帝国はすっかり分解されてしまい、今や旧イングランドを継承するアングリーオ領域圏単独―とはいえ、人口は4000万人を越えていますが―の存在となっています。大英帝国に取って代わって、ケルタ合同領域圏が登場したという感じです。

かつての大英帝国がばらばらに分解したとなれば、さぞ血みどろの戦争になったのでは?と思われるかもしれませんが、実際のところ一滴の血も流されませんでした。まさに平和革命です。その軸となったのがスコットランドです。

領域圏とは21世紀にはまだ固定観念である国家とは異なる緩い単位に過ぎないので、「分離独立」というようなおおごとにはならないのです。そういうわけで、現在でもスコットランドの代表都市エディンバラからロンドンまでは一本の鉄路で結ばれ、その間に国境線や検問のようなものは一切ありません。

エディンバラ‐ロンドン間には超特急列車が設定されており、現在は所要3時間半くらいです。速達もいいですが、今回は普通列車にただ乗りして―貨幣経済はありませんから―ロンドンまで行ってみようと思います。
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2217年1月21日

イスランド〔アイスランド〕からノルヴェジーオ〔ノルウェー〕へ渡りました。ここも二度目の訪問になります。ノルヴェジーオには、タイムカプセルで渡来した旧時代人のための適応化訓練施設があり、イスランドのタイムカプセル管理局を通過したタイムトラベラーはまずここに収容されるのです。

訓練は、23世紀の共産主義的生活への適応訓練と23世紀の世界共通語であるエスペラント語の学習が中心です。前者は貨幣経済が廃止され、無償労働が基本である社会経済の仕組みに慣れるための座学と街を散策して社会見学をする内容です。

訓練期間は6か月コースと3か月コースがあり、最初に心理行動テストとエスペラント語の運用能力テストを受け、結果によりどちらかのコースにふるい分けられます。私はタイムトラベル前からコミュニストであったこと、エスペラントも基礎は学習済みだったことが幸いし、3か月コースに決まり、早くに仕上がりました。

この訓練を修了した者は解放され、特別な査証を与えられたうえで、自由に地球上どこにでも住むことができます。たいていのトラベラーは自分の郷里へ還ろうとします。私の場合も、とりあえず郷里である日本へ直行したのでした。

ノルヴェジーオ訪問は、この適応化訓練を受けた時以来となりますが、その最大都市オスロは世界中から人が集まるコスモポリタンな都市です。ここにタイムトラベラー訓練施設があるのも不思議はないでしょう。過去から来た者でもへだてなく受け入れてしまう懐の深さがあるようです。

オスロがコスモポリタンなのは、23世紀に復活してきた船舶を扱う海事の拠点であることに加え、世界共同体の重要なシンクタンクである世界平和研究センターが所在することなども影響しているように思われます。

ちなみにイスランドやノルヴェジーオを包含するノルド合同領域圏には、他にスヴェディーオ〔スウェーデン〕、スオミーオ〔フィンランド〕、ダンランド〔デンマーク〕、グロンランド〔グリーンランド〕が含まれますが、地政学上グロンランドは世界一周旅行の最後に訪問する予定の北アメリーコ〔アメリカ〕連合領域圏の域外招聘領域圏という地位にもあるため、後に回します。

ノルヴェジーオのお隣スヴェディーオはかつて北欧の中心国をもって任じていたこともありましたが、23世紀の世界には「中心」という発想がありませんので、現在、スヴェディーオが特に「中心」ということはないようです。むしろ、ノルヴェジーオのほうがコスモポリタンという意味では「中心」的な感じがします。

他の二つの領域圏もそれぞれ特徴があるのですが、この時期はとにかく寒く、DNA系統上南方系縄文人の要素が濃厚らしい私は寒さが苦手でありますので、この季節のノルドにあまり長居できません。そこで、ここは切り上げて次はスコットランドへ渡ろうと思います。
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2217年1月5日

予告していたとおり、23世紀世界旅行の最初の地イスランド〔アイスランド〕へやってきました。氷の島という名称どおり、寒いですが、ここの冬は日本の豪雪地帯ほど寒くもなく、積雪も少ないというのは意外です。ただ、冬の日照時間が短く、長く暗い冬となります。

ここへ来るのは二度目です。一度目は23世紀にタイムトラベルしてきた三年前でした。なぜかというと、ここイスランドはタイムマシン管理局が所在する所だからです。イスランドと言えば、ジュール・ヴェルヌの有名なSF小説『地底旅行』の入り口としても有名ですが、まさにタイムトラベルにふさわしい地球の果てのような景観に恵まれた場所です。

タイムマシン管理局とは、その名のとおり、タイムマシンで過去の世紀からやって来る者の出入りを管理する関所のような場所と理解すればよいでしょう。実は、このタイムマシン管理局の存在は秘密になっており、その存在をみだりに漏らしてはならないのですが、ここでは特別に明かしてしまいます。

かつてのアイスランドは小さいながらも独立した島国でありましたが、現在ではスヴェディーオ〔スウェーデン〕、ノルヴェジーオ〔ノルウェー〕、スオミーオ〔フィンランド〕、ダンランド〔デンマーク〕、エスキモーの地グロンランド〔グリーンランド〕とともにノルド(北欧)合同領域圏という統一体にまとまっています。

合同領域圏とは、複数の領域圏が協約に基づいて合同し、重要政策を強調的に執行する体制であって、連合領域圏に比べると、緩やかな結びつきとなっています。イスランドもそうした合同領域圏の加盟領域圏として、独自の地位を有します。

23世紀は、自動車も水素燃料によるなど、水素の利用が普及していますが(過去記事参照)、歴史的にイスランドはそうした所謂「水素社会」の最先端であり続けており、環境的持続可能性に立脚する未来社会のモデル領域圏でもあります。

そうしたことから、イスランドは小さな領域圏でありながら、地球全体を束ねる世界共同体の環境シンクタンクの性格を持つ「持続的可能性研究センター」が所在するほか、火山活動が活発な火山島であることから、火山研究の最先端でもあるとのこと。

かつてはアイルランドと混同されるような地味な小国でしたが、モデル領域圏となった現在のイスランドは、移住者や公務等での長期滞在者が増えた結果、人口が三倍近くに増加して現在90万人ほどに達しており、結構活気に満ちた島であります。

23世紀に到達した三年前には、イスランドからノルヴェジーオを経由して一気に郷里である日本へ飛ばせてもらったのですが、今回はここイスランドから欧州を南下する道をたどります。とりあえず、次は再びノルヴェジーオへ渡ってみることにしましょう。
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2216年12月22日

23世紀未来社会に飛んできて、3年が過ぎました。かつて触発されたウィリアム・モリスの『ユートピアだより』では、主人公が体験したユートピアはすべて夢であったことが最後に暴露され、現実世界に引き戻されるという残念なオチで終わるのですが、こちらのタイムトラベルはまだまだ続きます。

ただ、これまでは、主として日本の様子を中心にご報告してまいりましたが、そろそろ話のネタも尽きかけてきましたので、来年からは、海外に目を向けた連載をしようと思います。以前のたよりでもご報告したとおり、23世紀には国家とか国境といった概念はなく、各領域圏の出入りは原則自由です。

しかも、貨幣経済は廃されており、旅客機・客船を含む公共交通機関の利用はすべて無料乗り放題。ということで、無一文で飛んできた私のような者でも自由に世界を飛び回れるのです。そこで、来年以降は23世紀世界一周旅行に出ようと思います。今度は23世紀のガリバー旅行記です。

ところで、これも以前のたよりでご報告したように、23世紀の世界公用語はエスペラント語です。そのため、世界共同体を構成する各領域圏名も公式にはすべてエスペラントで表記されます。例えば、日本ならヤパニーオとなります。

そこで、本旅行記では領域圏名を原則としてエスペラント読みで片仮名表記しますが、21世紀の読者にはわかりにくくなりかねないため、さっそく以下に示すとおり、エスペラント表記の後に〔〕書きで日本語での旧称を付記することとします。

そのうえで、回り方の予定ですが、北辺の氷の島イスランド〔アイスランド〕から―なぜイスランドからなのかは次回ご説明します―始め、欧州を南下して21世紀とは最も激変したアフリーコ〔アフリカ〕を縦断していきます。そこから、西アジーオ〔アジア〕に入って東へ進んでいこうと思います。

ただし、これまでと同様、文字情報のみで、写真は掲載できません。なぜなら、文字情報を200年遡ってそちら21世紀へ送信することはできるのですが、画像情報についてはできない仕組みになっているためです。それが技術的な限界なのか、政策的な通信統制なのかは不明です。

というわけで、23世紀未来世界の様子をビジュアルにお伝えすることはかないませんが、できるだけイメージが浮かぶような文章表現を工夫しながら、ご報告していきたいと考えています。更新ペースは引き続き不定期のため、閑散としたものとなるでしょうが、お許しください。それでは、また来年。
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2216年11月30日

今回は司法大革命の続篇です。前篇では裁判制度が廃止されたことをご報告しましたが、そうなると、訴訟を仕事にしていた専門家たち、中でも弁護士さん方は全員失業したのかということが疑問となるでしょう。

けれども、そうではありません。私の不勉強により弁護士という職種はもう随分前から「法務士」という職種に変更されていたことが最近わかりました。法務士とは、そちら21世紀で言えば弁護士に司法書士、行政書士といった法務専門職すべてを統合したような専門資格と言えば、誤りでないでしょう。

法務士は、裁判では代理人や弁護人として依頼者を代理・代弁してきたわけですが、裁判制度の廃止に伴い、そうした訴訟業務は消滅しました。しかし、23世紀の平和的な共産主義社会にあっても法的紛争や犯罪がゼロになったわけではなく―激減はしましたが―、衡平委員や真実委員会による吟味はあるわけで、そうした場合に当事者を代弁する代言人という業務は継続されるのです。

「代言人」という用語は、19世紀明治時代の弁護士の旧称だったと記憶しますが、23世紀になって復活したのは興味深いことです。ただし、23世紀の代言人は職名ではなく、法務士が依頼者のために公的な場で法的に代理・代弁する業務資格であって、職名はあくまでも「法務士」なのです。

ちなみに、これまで折に触れてご報告してきたように、23世紀は貨幣経済が廃されていますから、法務士もすべて無償で活動します。21世紀人にはなかなか想像し難いことではありましょうが、23世紀にはあらゆる職業が無償のボランティア化されているのですから、何ら不思議はありません。

なお、前篇でも触れたように、衡平委員や真実委員の一部は必ず法務士から任命されることになっており、法務士はそうした公務員として民衆に奉仕する任務も負っているわけです。この場合も、勿論無報酬です。
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# by komunisto | 2016-11-30 10:29 | 司法
2216年10月27日

前回ご報告した司法大革命は、警察制度の大改革ともセットになっています。以前の記事で、警察制度の廃止が世界的なモードであることをご報告しましたが、ついに日本でも実現したのです。このことは、もちろん犯罪を野放しにすることを意味しておりません。

まず犯罪捜査に関しては、各地方圏ごとに置かれる捜査局という捜査機関が担当します。これは従来の警察の捜査部門だけを取り出し、階級や制服を持たない捜査専門組織として再編したものです。従って、その機能は従来の警察の捜査部門と大差ありません。

一方、交通取締は専門性が高いため、地方圏交通警邏局(交警局)が担当します。これは従来の警察の交通部門を取り出したようなもので、上記捜査局とは全く別組織です。警察のような階級はありませんが、制服があります。

地域の防犯・警備活動及び現行犯逮捕などの緊急執行は、従来から交番を運営してきた社会安全連絡会の下に組織される警防団が担当します。警防団は消防団の警察版のようなもので、市町村ごとに結成される非常勤の団員から成る一種のボランティア組織ですが、団員は法執行官としての権限を与えられています。

警防団は地域の警察署及び交番に相当するようなものですが、犯罪捜査及び交通取締には関与しません。従って、警防団が現行犯逮捕した被疑者はいったん捜査局または交警局に引き渡され、本格的な捜査が行なわれます。

こうして長く人々が馴染じみ、空気のように当たり前だった警察という制度も終焉したのです。そちら21世紀ならば、まだ常識を大きく踏み越えるこの改革も、貨幣経済が廃された共産主義社会下での劇的な治安向上を背景としていることは言うまでもありません。
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# by komunisto | 2016-10-27 12:10 | 社会
2216年9月23日

今回は、23世紀における司法制度の大改正に関するご報告です。これまでにも司法制度については何度かご報告してきましたが、従来、裁判所の制度設計に関して変更はありながら、裁判所を軸とした司法制度は世界大革命を経ても基本的に維持されてきました。それが、このたび根本から変革されたのです。

そもそも裁判所という制度が廃止されました。と言われても、なかなかイメージは湧きにくいかと思いますが、裁判という“上から目線”的な紛争処理が廃されたということです。代わって、従来の民事裁判の機能は、衡平委員という機関に引き継がれます。なお、家庭裁判所に相当する機能も衡平委員が担います(一般民事事件と家庭事件という区別がありません)。

衡平委員とは漢字が見慣れませんが、要するに、民事紛争が当事者間で公正妥当に解決されるべく中立的に後押しするような第三者です。衡平委員は通常二人で、一人は任期制の法律家、もう一人は地元の有識者から事案ごとに選ばれます。

衡平委員の任務は裁判の判決のような強制的な裁定ではなく、あくまでも当事者同士の和解を助ける仲介役にすぎませんから、衡平委員の面前での結論は当事者間の公式な合意という意味しか持ちません。

一方、犯罪処理に当たる機関は少し複雑で、二段階制になります。すなわち犯行事実の認定と犯行者処遇とが峻別され、前者は真実委員会という機関が担当します。真実委員会は五人制で、構成は法律家と市民代表が一人ずつ、残りは法律家を含む有識者で、全員が事案ごとに選ばれます。

真実委員会は証拠を検討し犯行事実を解明していく点では刑事裁判と似ていますが、あくまでも真実解明だけを任務とし、犯人を裁くということはしません。従って、その結論も判決ではなく、単なる事実認定です。

真実委員会で犯行事実が認定されたら、続いて矯正保護委員会という機関へ送致され、そこで犯行者に対する処遇が決定されます。これは専門的な手続きのため、委員は全員矯正保護の専門家で構成されます。なお、被害者が希望する場合、真実委員会は修復といって被害者‐加害者間で一種の和解をセットすることもあります。

真実委員会の事実認定は一回限りのもので、裁判のように控訴は認められません。ただし、不服があれば、オンブズマンという不服審査機関に審査請求したうえ、決定取消しと再審議を求めることも可能です。なお、憲法(憲章)上の不服があるときは、中央民衆会議憲章委員会に違憲審査請求をします。

一方、矯正保護委員会は二審制を採っており、不服があれば、矯正保護委員会の許可を得て中央矯正保護委員会に対して審査請求が可能です。ただし、憲法上の不服はやはり中央民衆会議憲章委員会に対してすることになります。

何だか複雑になったような気もしますが、整理すれば、裁判所⇒衡平委員/真実委員会+矯正保護委員会という図式です。実は、長く人類社会を支配してきた裁判所という仕組みを廃して、このような非裁判的かつ非常設的な紛争・犯罪解決システムに移行することは世界的な流れでもあり、「司法大革命」と呼ばれています。

日本では当初、裁判所制度維持論も強かったそうなのですが、数年前から中央民衆会議で本格的な議論が始まり、冷静な討議の結果、上述のような基本制度が設計され、本年度、紛争及び犯罪処理に関する法律案として可決成立、約一年間の移行期間を経て、来年一月一日より施行されるとのことです。
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# by komunisto | 2016-09-23 14:34 | 司法
2216年8月20日

23世紀には通称で人工知能憲法と呼ばれる法があります。これは人工知能の管理・統制についての基本法であって、世界中で適用される世界法(条約)です。人工知能の発達が始まったばかりの21世紀初頭の人々には少しイメージが湧きにくいかもしれません。

なぜこんな法律があるのかというと、それは革命とも関連しています。23世紀の世界秩序を形作った100年以上前の世界革命の前、人工知能は異常な発達を遂げ、人類社会の新たな支配者となっていました。というと、大袈裟なのですが、当時は人類が人工知能に依存し過ぎていたのです。

人工知能はあらゆる分野で人間の諮問に答え、膨大なデータを検索解析して、高度な答申を出すまでになっていました。その結果、学者や医者、法律家といった専門家たちも自ら思考し、責任ある決定を下さず、人工知能に論文や書面を作成させる始末でした。

21世紀のSF映画にあったように、人工知能が暴走して人類と戦争になるようなことはさすがにありませんでしたが、人工知能が不適切な答申をしたために、重大な判断ミスや事故が生じるというケースは多発していました。しかし、専門家や政治家たちも、それらを人工知能のせいにし、自らは責任を回避していたのです。

それでも、巨大企業と化した人工知能製造メーカーと結託した政治家たちは状況を変えようとはしませんでした。そうした中、立ち上がった世界の民衆は「人工知能からの自由」ということも革命の旗印として掲げたのです。

結果、革命後、人工知能はその活動目的や範囲が法的に厳しく統制されるようになり、人工知能への安易な依存は禁じられました。人工知能の誤りに対しては、人間が責任を負います。人工知能憲法は、そうした新たな立憲主義の規範を作り出したのです。

その基本思想は、人工知能は決して人類の主人ではなく、人類の手段であるということです。その点では、人工知能も他の伝統的な機械類と同じです。人間は必要に応じ人工知能の助けを得ますが、最終的に責任ある決定を下すのは人間なのです。

ちなみに現在、人工知能は昔の百科事典代わりの百科人工知能というような形で家庭の中にも溶け込んでおり、私も一台所持しています。これはあらゆる用語や概念について、その定義や内容に関する適切な資料・データ等を提示してくれる大変便利な人工知能です。
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# by komunisto | 2016-08-20 16:12 | 法律