閑古鳥の民事裁判

2214年1月6日

前回、貨幣経済が廃された23世紀の世界では借財という時に自殺をも招く金銭行為がなくなったことに言及しましたが、そのことは司法のありようにも大きな変化をもたらしています。

借金を中心に金銭関係のトラブルはかつて民事訴訟のほぼすべてと言ってよい原因でしたが、貨幣経済の廃止に伴い、そもそも金銭トラブルが消滅したことで、民事裁判というもの自体の意義が揺らいでいるのです。

現在でも民事裁判制度はありますが、それは主として親族関係のトラブルを解決する最後の手段的な位置づけとなっており、あまり利用されていません。そのため民事裁判は開店休業に近く、まさに閑古鳥が鳴いている状況です。

かつて日本の大都市の大きな裁判所では民事法廷と刑事法廷は別になっていることが多かったのですが、現在では統合されており、第一法廷、第二法廷・・・というように番号がついているだけで、民事裁判も刑事裁判も同一の裁判官ないし裁判官の合議体が一括して審理しています。

ちなみに民事裁判/刑事裁判という言い方も変わり、現在では市民法裁判/犯罪法裁判という言い方をするのですが、圧倒的に犯罪法裁判のウェートが高くなっています。といっても、犯罪が少ないため、こちらもそう大忙しではないのですが。

全般に平穏無事で、紛争の少ない23世紀社会における司法の役割は低下しており、かつて訴訟社会として司法がフル稼働していた北アメリカですら、司法はあまり活用されなくなっているそうです。

司法は貨幣経済の付属物というわけではないとしても、貨幣経済下でカネをめぐる紛争や犯罪が多発する中で特に必要とされる強制権力であったのだということに気づかされます。
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by komunisto | 2014-01-06 10:39 | 司法