無償供給と品質配慮

2214年5月9日

23世紀の社会はあらゆる製品・サービスが無償供給されるので暮らしやすいというが、競争的な生産活動がなくなると、品質の低化という問題は起きないか?というご質問を21世紀の読者からいただきました。気が付かなかったので、よい機会と思い、考えてみました。

品質の評価にはどうしても主観的な要素が混じるため、なかなか難しいのですが、あくまでも私自身が20世紀後半から21世紀初頭にかけて暮らした旧世界との比較で言えば、品質はむしろ向上していると感じます。

その理由として、23世紀には多くの分野で職人仕事が復活していることが考えられます。商業活動が消滅し、画一的な大量生産社会から多種少量生産社会に転化したため、職人組合的な生産組織が数多く見られます。そのため、多くの製品がある種の芸術的な価値を帯びた精巧な作りになっているのです。

その反面、機能的にはシンプル化しているようです。商業生産の時代には、他社との差をつけるため、不必要なまでに多機能化された商品が開発されがちでしたが、競争がない現在、そうした多機能化戦略的なものも廃れました。

安全性という面から見ても、製品の安全保証に関する法規制は格段に強化されており、製造物責任法は最大で製造企業の強制解散というペナルティーまで備えた厳しいものとなっています。

無形的なサービスの分野でも、例えば電気・ガスのようなエネルギー供給や交通機関などを見ても、安全かつ安定的に供給されており、特に不満は感じません。

ただ、顧客サービスの側面では、貨幣交換がなく、商品を買わせようとする目的で客に媚びるようなアプローチをする必要もないためか、スタッフの対応が昔より無愛想になった感じはします。そういう意味でのサービス(リップサービス)低下が全般に観察されるのは事実です。 

ともあれ、私も含めた資本主義時代人は「競争が品質を支えている」という神話―競争神話―に陥りがちだったように思いますが、実際は逆で、競争こそがコスト削減圧力から、品質低下・安全軽視の風潮を作り出していたのではないかと思えるのです。

もう少し突っ込んで考えると、無償供給だからこそ、商品としての交換価値(値段)ではなく、製品としての使用価値(値打ち)がストレートに問われるため、製造者は品質管理を云々するまでもなく、製品の命である品質については常に最大限の配慮をするのでしょう。 
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by komunisto | 2014-05-09 08:03 | 経済