システム緩和社会

前回、ウィリアム・モリスを話題にしましたが、モリスは社会の「システム過剰」に批判的で、単純素朴な田園社会を理想と考えていました。その点、23世紀の未来社会はシステム過剰気味ではないか、という疑問を続けていただきました。

たしかに、前回もご報告したように、23世紀社会はモリス的田園ユートピアではありませんから、単純素朴とはいかず、かなりシステマティックに構築されている印象を受けるかもしれません。しかし、筆者がかつて生きていた21世紀社会に比べれば、システムは緩和されていると感じます。

システム化が高度に進んだ21世紀社会の仕組みは錯綜し、全体像が見えなくなっていました。そうした錯綜の元は、市場経済機構の複雑化と、行政機構の肥大化であったと思われます。金の複雑な流れ―ことに金融―、そして法と権力の複雑な体系が迷路のような社会を作り出していたのです。

21世紀の学者たちは、こうした社会の高度なシステム化をあたかも「進歩」の証しであるかのようにみなし、モリスのように批判的に見ることはありませんでした。

その点、23世紀社会は、経済的には計画経済を機軸とした非貨幣経済でまとまり、政治的にはすべてが民衆会議に集約されています。簡単に言えば、商業と金権政治が消滅したわけです。それは、以前の記事でもご紹介したように、透明感のある社会の元にもなっています。

その結果、社会のシステム化は抑制され、見えやすいものになっています。こうして社会のシステム化が抑制されていることを、23世紀の学者たちは「システム緩和」と呼ぶようです。現在では、こうしたシステム緩和こそが進歩の証しとみなされています。

すなわち、できる限り簡明なシステムをもって高度な産業/情報社会を維持していくことこそが、新たな進歩の方向性だと考えられているのです。今回は、ややメタなご報告となりましたが、23世紀社会を理解するうえでのご参考まで。
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by komunisto | 2015-04-01 10:28 | 社会