脱・囚われの聴衆

2215年12月27日

23世紀の社会の様子として特徴的なことは、BGMが聞こえてこないことです。BGMが空気のように当たり前だった旧人にとっては信じ難いことですが、BGMを規制する法律があるのです。これは、不特定多数の人が一定時間以上とどまる公共的な場所での音楽の強制聴取を禁じる法です。

中心的な規制エリアは、音楽の聴取を目的としない不特定多数人の集まる公共施設、公共交通機関などです。病院や学校はもちろんですが、かつてのスーパーに相当する物品供給所とか、食堂まで含まれます。周辺的な規制エリアとしては、住宅街やその隣接区域があります。

ただし、違反すれば即罰則という取締り法規ではなく、市民の申し立てにより差止めができるという緩やかなルールですから、差止めの申し立てがない限りはBGMを流しても処罰はされないのですが、多くの該当エリアでは念のため、このルールを遵守しているようです。結果として、非常に静謐な環境が保たれています。

それにしても、なぜこんなルールがあるのかと言えば、一定の場所に一定時間以上とどまる人に、意図しない音楽を強制聴取させることは人権の侵害に当たるといういわゆる「囚われの聴衆」の理論に基づいています。

逆言すれば、どんな音楽を聴取するかは、各人が自由に選択すべきだというのです。個人の尊重がそこまで徹底されているとも言えます。思い返せば、たしかにBGMが空気のようだった革命前、BGMが騒音と感じられることもありましたが、差止めを求めても応じてはくれないこともわかっていたので、我慢していた記憶があります。

とはいえ、音楽が聞こえてこない生活を23世紀人はどう考えているのか。これについては、以前のたよりでもご報告したように、23世紀人は音楽より美術を選好するようで、音楽の代わりに美術が溢れています。

ただ、揚げ足を取れば、これだって見たくないものを見せられる「囚われの視衆」(?)ではないかとも思えるのですが、見たくない美術の規制については、ポルノや過度の暴力描写に該当するものに限られています。

実は、今回取り上げたBGM規制も、ポルノや暴力描写などの規制ともども個人の感受性の尊重と法的保護を趣旨とする「感性保護法」という一本の法律にまとめられている同根の規定なのです。つまり、「人は聴きたくないものを聴かず、見たくないものを見ない権利がある」というわけです。
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by komunisto | 2015-12-27 09:53 | 法律