カテゴリ:法律( 14 )

2216年8月20日

23世紀には通称で人工知能憲法と呼ばれる法があります。これは人工知能の管理・統制についての基本法であって、世界中で適用される世界法(条約)です。人工知能の発達が始まったばかりの21世紀初頭の人々には少しイメージが湧きにくいかもしれません。

なぜこんな法律があるのかというと、それは革命とも関連しています。23世紀の世界秩序を形作った100年以上前の世界革命の前、人工知能は異常な発達を遂げ、人類社会の新たな支配者となっていました。というと、大袈裟なのですが、当時は人類が人工知能に依存し過ぎていたのです。

人工知能はあらゆる分野で人間の諮問に答え、膨大なデータを検索解析して、高度な答申を出すまでになっていました。その結果、学者や医者、法律家といった専門家たちも自ら思考し、責任ある決定を下さず、人工知能に論文や書面を作成させる始末でした。

21世紀のSF映画にあったように、人工知能が暴走して人類と戦争になるようなことはさすがにありませんでしたが、人工知能が不適切な答申をしたために、重大な判断ミスや事故が生じるというケースは多発していました。しかし、専門家や政治家たちも、それらを人工知能のせいにし、自らは責任を回避していたのです。

それでも、巨大企業と化した人工知能製造メーカーと結託した政治家たちは状況を変えようとはしませんでした。そうした中、立ち上がった世界の民衆は「人工知能からの自由」ということも革命の旗印として掲げたのです。

結果、革命後、人工知能はその活動目的や範囲が法的に厳しく統制されるようになり、人工知能への安易な依存は禁じられました。人工知能の誤りに対しては、人間が責任を負います。人工知能憲法は、そうした新たな立憲主義の規範を作り出したのです。

その基本思想は、人工知能は決して人類の主人ではなく、人類の手段であるということです。その点では、人工知能も他の伝統的な機械類と同じです。人間は必要に応じ人工知能の助けを得ますが、最終的に責任ある決定を下すのは人間なのです。

ちなみに現在、人工知能は昔の百科事典代わりの百科人工知能というような形で家庭の中にも溶け込んでおり、私も一台所持しています。これはあらゆる用語や概念について、その定義や内容に関する適切な資料・データ等を提示してくれる大変便利な人工知能です。
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by komunisto | 2016-08-20 16:12 | 法律
2215年12月27日

23世紀の社会の様子として特徴的なことは、BGMが聞こえてこないことです。BGMが空気のように当たり前だった旧人にとっては信じ難いことですが、BGMを規制する法律があるのです。これは、不特定多数の人が一定時間以上とどまる公共的な場所での音楽の強制聴取を禁じる法です。

中心的な規制エリアは、音楽の聴取を目的としない不特定多数人の集まる公共施設、公共交通機関などです。病院や学校はもちろんですが、かつてのスーパーに相当する物品供給所とか、食堂まで含まれます。周辺的な規制エリアとしては、住宅街やその隣接区域があります。

ただし、違反すれば即罰則という取締り法規ではなく、市民の申し立てにより差止めができるという緩やかなルールですから、差止めの申し立てがない限りはBGMを流しても処罰はされないのですが、多くの該当エリアでは念のため、このルールを遵守しているようです。結果として、非常に静謐な環境が保たれています。

それにしても、なぜこんなルールがあるのかと言えば、一定の場所に一定時間以上とどまる人に、意図しない音楽を強制聴取させることは人権の侵害に当たるといういわゆる「囚われの聴衆」の理論に基づいています。

逆言すれば、どんな音楽を聴取するかは、各人が自由に選択すべきだというのです。個人の尊重がそこまで徹底されているとも言えます。思い返せば、たしかにBGMが空気のようだった革命前、BGMが騒音と感じられることもありましたが、差止めを求めても応じてはくれないこともわかっていたので、我慢していた記憶があります。

とはいえ、音楽が聞こえてこない生活を23世紀人はどう考えているのか。これについては、以前のたよりでもご報告したように、23世紀人は音楽より美術を選好するようで、音楽の代わりに美術が溢れています。

ただ、揚げ足を取れば、これだって見たくないものを見せられる「囚われの視衆」(?)ではないかとも思えるのですが、見たくない美術の規制については、ポルノや過度の暴力描写に該当するものに限られています。

実は、今回取り上げたBGM規制も、ポルノや暴力描写などの規制ともども個人の感受性の尊重と法的保護を趣旨とする「感性保護法」という一本の法律にまとめられている同根の規定なのです。つまり、「人は聴きたくないものを聴かず、見たくないものを見ない権利がある」というわけです。
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by komunisto | 2015-12-27 09:53 | 法律
2215年10月16日

そちら21世紀の日本では殺人を含む警察官の不祥事が多発し、改めて警察官という職務への関心が高まっているようですので、23世紀の警察官についても調べてみますと、その制度が大きく変わったことがわかります。

警察官は従来の警察官と同様に警察職務の最前線を担いますが、200年前との違いは巡査とか警部とかの階級呼称を持たないことです。もちろん指揮官と属官の区別はありますが、それは形式的な階級によるのでなく、実質的な職務内容によります。

他方、警察官の中でも逮捕状や捜索令状の請求のような司法捜査を指揮できるのは司法警察員の有資格者に限られます。司法警察員は階級ではありませんが、警察官の中でも特別な法的研修を受け、内部的な資格試験に合格した者だけが就くことのできる上級職とされます。

こうした言わば伝統的な警察官のほかに、警察監と呼ばれる管理専門職がいます。警察官と警察監―紛らわしいですが、発音の際のピッチで区別され、「官」は下降調、「監」は水平調で発音されるようです。

警察監とは、名称どおり警察実務の監督を専門とする職務であって、全員が法曹資格を持っています。つまり法律家でもあるわけで、警察官の職務を法律的に監督する仕事です。昔のキャリア警察官と似てはいますが、単なる上級警察官ではなく、法律家である点が大きく違います。

警察監は制服を持たず、警察本部の総監をはじめとする幹部職や警察署長等の監督職に充てられます。ただし初任から5年間は見習いとして警察監補と呼ばれます。また警察署長は警察官の中からその法的識見により抜擢された法曹資格を持たない特例警察監を充てることもできるとされています。

警察官と警察監の関係性を簡単に整理すれば、制服組と背広組と言えるかもしれませんが、それはエリートとノンエリートという階級差ではなく、職能の相違に基づく区別です。警察監が法律的に警察業務を監督することで、警察組織の法令順守を制度的にも担保することに趣旨があると言われます。

このような一見複雑でややこしいシステムも、22世紀の革命後、警察制度そのものの廃止という一部の急進的な議論との相克の中から、新時代における順法的で公正な警察制度として編み出されたものだと言えるでしょう。
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by komunisto | 2015-10-16 10:47 | 法律
2215年10月4日

23世紀の世界では、法律婚(いわゆる結婚)の制度が廃され、パートナーシップ制度に転換されていることは、これまでにも折に触れてご紹介してきましたが、パートナーシップとは具体的にどんな制度なのかとのご質問を受けました。

簡単に言えば、そちら21世紀の日本では「内縁」と呼ばれているような関係をそのまま正式のパートナー関係に昇格させたようなものとお考えになれば、間違いではありません。ですから、両パートナーは別姓が原則となります。

ただし、パートナーのに関しては両当事者の合意により、いずれか一方の姓に統一する「同姓」を選択することも可能ですので、その場合は表面上日本の旧法律婚と変わらないことになります。

また、パートナーのに関しては、異性間のほかに同性間のパートナーシップも認められています。従って、例えば「同性かつ同姓」というパートナーシップも成立可能です。

このようなパートナーシップと旧婚姻の最も大きな違いは、その手続きにあります。パートナーシップはある種の契約関係ですが、完全な事実上のものではないので、確かにパートナー関係にあることが公に証明されなければなりません。そのため、公証証書によることを要します。

ここで登場するのが、前回ご紹介した公証人です。従って、パートナー関係を結ぼうとする当事者は、まず公証人にパートナーシップ公正証書を作成してもらいます。反対に、パートナー関係を解消する場合も、公正証書による必要があります。このように公正証書が活用されるので、公証パートナーシップと呼ばれます。

パートナーシップの成立及び解消は公正証書だけで有効なのですが、そのままだと、行政上は単身者の扱いとなるので、自治体にも届け出ることが推奨されています。その限りでは、旧届出婚に近似していきます。

ちなみに、公正証書も作成しない純然たる事実上のパートナーシップ関係も禁止されているわけではありませんが、この場合はパートナー関係の証明ができないため、社会生活上単なるルームシェア関係とみなされるなど、多少不便が生じるようです。
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by komunisto | 2015-10-04 10:19 | 法律
2215年8月29日

23世紀の法律で興味深いのは、通貨偽造罪ならぬ通貨製造罪なる罪があることです。つまり偽金を作ることではなく、そもそも通貨を作ること自体が犯罪行為とされているのです。このことは、これまでにもご報告してきたとおり、貨幣経済が廃されていることの法的な帰結と言えます。

その点、そちら21世紀にはまだ常識中の常識であろう貨幣経済においては、通貨製造及びその流通は経済運営にとって必須である一方、通貨を偽造して流通させることは重大な犯罪として処罰される仕組みになっています。

貨幣経済が廃されているということは、物やサービスが貨幣と交換で取引されないことを意味しますから、通貨という媒介的流通物は存在し得ないということになります。存在し得ないということは、事実として存在しないばかりでなく、法的にもあってはならないことを意味します。

よって、法律上もおよそ通貨を製造することは罰則をもって禁じられているのです。この罪は貨幣経済における通貨偽造罪に相応する重罪とみなされています。ただし以前のたよりでご報告したとおり、23世紀には刑罰制度は存在しないため、通貨製造罪に科せられる処分は、没収及び最大5年の社会奉仕命令です。

紛らわしいのは、物々交換取引において事実上通貨的に機能する特定物や特定取引においてのみ通用するクーポンのような媒介物は通貨に該当しないかどうかですが、裁判所の判例により、これらは通貨に該当しないとされています。

そのため、貨幣経済の廃止とは、文字どおり通貨による交換経済の廃止という趣意であって、およそ交換経済の廃止(純粋贈与経済)を意味していません。ですから、これも以前のたよりでご報告したように、物々交換は結構盛んに行なわれています。

貨幣は現在一種の骨董品として、収集家たちの間でドルや円をはじめそれこそ世界中の廃貨が物々交換されています。切手の収集と同じようなものです。ちなみに、郵便料金前納証明書としての切手という制度も郵便無償化により廃止されていることも、ついでにご報告しておきましょう。
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by komunisto | 2015-08-29 09:21 | 法律
2215年6月12日

前回のたよりで、23世紀における「持たざる文明」のことをご報告しましたが、それに関連して、今回は「持たざる文明」が法的な理屈にも反映されていることをご紹介しようと思います。

かつての人類にとって最も重要な法的観念はと言えば、圧倒的に所有権でした。すべては所有権に始まり、所有権に終わると言っても過言でないほど、人類は所有権が支配する世界に住んでいましたし、そちら21世紀の世界はいまだそうでしょう。

これに対して、「持たざる文明」の下でも、所有権の観念は否定されないものの、それは住宅とその内部で日常使用される生活用具にほぼ限局されているため、そうした所有物も含め、事実上所持しているという占有権が優先されるのです。

ですから、窃盗罪の理解も大きく変容しています。窃盗罪と言えば、かつては圧倒的に他人が所有する物を盗むことと観念されていましたが、今では、他人が所持する物を盗むことが窃盗罪なのです。

ちなみにもう一歩突っ込みますと、この場合、占有状態には所有権が推定されるから占有権をひとまず優先するという理解ではなく、所有権とは切り離された占有権そのものが優先されるのです。

どう違うかと言えば、例えば、前回も触れたように、リユースされている大型家電のように、借り物であっても、他人の家庭で所持している物を盗み出せば、他人の占有権を侵害したがゆえに窃盗罪となります。

さらに、その家電泥棒氏が自分の家に所持していた盗品をさらに他人が盗み出した場合でも、泥棒氏の占有権を侵害したがゆえに、それも窃盗罪となるというのです。このことは、まさに占有権が所有権と切り離されて保護されることを示しています。

では、家電を盗まれた被害者が自ら犯人の自宅を突き止め、こっそり取り戻した場合はどうでしょうか。この場合、他人の自宅に不法に侵入した住居侵入の罪は免れませんが、窃盗罪にはなりません。この場合も犯人の占有権は侵害されてはいますが、被害者との関係では、加害者の占有権は保護されないというわけです。

なお、いわゆる「万引き」に関しては、窃盗罪ではなく、「社会的物資横領罪」という資本主義時代には聞いたことのない罪に問われることについては、初期のたよりでご報告しています。
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by komunisto | 2015-06-12 09:26 | 法律
2214年10月25日

23世紀未来社会の法制度的な面で一番大きく変わったのは、犯罪を犯した人の処遇に関わる制度だと思います。以前、報告したように、23世紀の地球上にはもはや刑罰制度がありません。刑罰という制度は、リンチと同様、過去の野蛮の象徴だとみなされているからです。

犯罪を犯した人に対して実際どのような処遇をするかは、国に相当する各領域圏によって若干の違いがありますが、日本の場合は、身柄を拘束しない保護観察と、拘束する矯正処遇とに分かれています。今回、報告するのは後者の矯正処遇についてです。

矯正処遇は矯正所という施設に身柄を拘束される処遇であり、重罪犯に対する処分です。かつての懲役刑に似ていますが、刑罰ではないので、個別的な人格矯正に重点が置かれます。

矯正所は旧刑務所を改装した施設が大半ですが、事前予約すれば見学が許されているので、比較的近場の矯正所を見学してみました。

まず、昔の刑務所と違うのは、塀がないこと。柵と出入り口での警備官によるチェックはありますが、外観は病院のような感じです。入所者の自由な出入りはさすがに認められませんが、外出は職員同伴なら許されるそうです。

内部も鉄格子なしの個室制で(覗き窓あり)、まるで入院病棟のようなつくりになっています。制服の刑務官はおらず、矯正官と呼ばれる私服のスタッフが入所者の矯正指導に当たります。懲役刑ではないので、工場労働もなく、矯正は心理的なカウンセリングや集団面接などが中心になります。

収容期間も、予め何年と判決されるのでなく、罪状ごとに定められた一定年数を一単位とする更新制で、最大延長10年だといいます。21世紀人なら、殺人を犯しても10年?!と唖然とするかもしれませんが、あくまでも刑罰ではないので、10年でも長過ぎるという批判があるほどです。

もっとも、非常に矯正が困難な人のために、保安上の観点から終身間拘束可能な終身監置という究極の重い処分も用意されていますが、現時点でこの処分に付せられている人は、全土で50人程度とのことです。

23世紀の世界では、犯罪原因のナンバーワンだった貨幣経済が廃されたことで、全般に犯罪が激減していますから―これも、全世界的な傾向です。―、矯正所の数や収容人員も少なくて済み、その分、一人一人に働きかける個別処遇がしやすい環境が確保されているようでした。
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by komunisto | 2014-10-25 10:10 | 法律
2214年9月25日

23世紀社会には、全員に所持を義務付けられる写真付き身分証明書があります。義務といっても、発行を受け、自宅に保持することまでが義務で、外出時に携帯する義務はありませんが、様々な手続きや契約に際して提示が求められ、また警察官の職務質問でも提示が求められるので、事実上ほとんどの人が携帯します。

この身分証明が便利なのは、海外渡航に際してのビザ機能も付いていることです。国境というものがなくなった現在、ビザという固有の制度はありませんが、海外で保護を受けるための査証としては、この身分証明書が使われ、出入管理上も提示が求められるため、海外渡航に際しては携帯する必要があります。

紙の証明書以外に、携帯電話機に埋め込む電子版もあり、携帯する際はこの電子版が最も便利です。大元の台帳は居住する市町村の住民登録データベースにあるので、かつての住民基本台帳制度を発展させたようなものと見てよいでしょう。

ちなみに、長く日本の身分登録制度として機能していた戸籍という制度はもはや存在しません。これは法律婚制度が廃され、登録パートナーシップ制に置き換わったことによるものですが、事実上旧戸籍に相当するのが、身分証明書とリンクした住民登録データベースということになります。パートナーシップを結んでいる人はパートナーや子どもの氏名も登録されています。

この種の制度は抑圧的な個人情報管理につながるとして、かつては評判が悪かったのですが、現在は個人情報保護監と個人情報オンブズマンという専門的な監視及び人権救済制度が自治体に備わっているので、個人情報の適正な管理と権利擁護の体制は整備されています。

この身分証明制度は、いわゆる総背番号制とも違います。主として徴税と社会保障給付業務の効率化を目的とする総背番号制は、貨幣経済が廃され、租税制度も社会保障制度も必要としない23世紀の共産主義社会には不要なものですから、存在しません。現代の身分証明制度とはまさに身分証明のみを純粋に目的としています。

それでも身分証明書の所持が義務づけられる23世紀社会には管理社会的な様相も否めませんが、実際のところ、管理されていると煩わしく感じることはほとんどありませんし、そのような観点からの批判論も聞かれません。むしろ、こうした制度は家族中心から個人中心の社会に変化したことの反映と思われます。

ところで、筆者のように21世紀の旧世界から飛んできた者にも、身分証明書は発行されています。旧世界人であるという事実については、住民登録データベースではなく、警察のデータベースに秘密登録されているようです。こちらはどうも管理されている気分になりますが、実際に警察の監視下にあるわけではありません。
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by komunisto | 2014-09-25 14:34 | 法律
2214年9月16日

23世紀の裁判所は閑古鳥状態というご報告をしたことがありますが、紛争が全くないわけではありません。ですが、23世紀の社会では紛争を裁判に持ち込まずに解決する方法が充実しています。その一つが、多彩なオンブズマン制度です。

司法機関ではないが、独立性をもって一定の紛争の解決に当たる独任制の監察制度であるオンブズマンは、元来は北欧生まれで、北欧以外の地ではあまり根付いていなかったのですが、現在では二種類のオンブズマンの設置が世界共同体憲章という世界の憲法によって義務づけられています。

一つ目は民衆会議オンブズマンといって、民衆会議が任命するオンブズマンです。国会に当たる中央民衆会議と地方議会に当たる地方自治体レベルの民衆会議ごとに数人ずつ任命され(中央では10人)、民衆会議が所管する全公共機関の監察を聖域なく行なっています。

監察は適宜抜き打ちでも行いますが、苦情処理機関としての役割があり、一般市民からの苦情申立てに基づく監察が軸になります。監察のための調査は原則任意で行なわれますが、対象機関が非協力的な場合は、裁判所の許可を得て、証拠提出命令や召喚も実施します。

調査の結果、問題点があれば、是正勧告を発しますが、司法機関ではないため、強制的な命令は出せません。悪質な事例では関連法規に基づき、捜査機関に告発します。是正勧告後改善が見られない場合は、裁判所に提訴して、より強い是正命令を発令することもあります。

二つ目は人権救済専門のオンブズマンである人権オンブズマンです。これは、人種/民族、性別/性的指向性、障碍、労働、子どもという五つの分野ごとに中央民衆会議によって一名ずつ任命され、独立した立場で人権救済に当たる専門オンブズマンです。

五人のオンブズマンで人権擁護委員会という合議体を構成し、独自の事務局(地方出先機関を含む)と調査スタッフを擁しています。調査方法等は民衆会議オンブズマンに準じますが、人権問題の性質上、是正は命令的であることを原則とする点が違っています。

このほか、任意的に置かれるオンブズマンとして、地方自治体が独自にいじめや体罰など学校問題専門の学校オンブズマンを設置する例が見られるほか、報道界やインターネット業界が共同して設置している報道オンブズマンとかインターネットオンブズマンといった業界オンブズマンの例もあります。

このように、かつてはオンブズマンと言えばほとんどが民間の市民運動でしかなかった日本でも、公式・準公式のオンブズマン制度が根付いているのは、100年前の民衆革命を経て、民衆が主役の真に民主的な社会が形成されたお陰でしょう。
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by komunisto | 2014-09-16 09:57 | 法律
2214年7月8日

前回、23世紀のW杯開催方式に関して、反ナショナリズムが徹底していることを報告しましたが、23世紀の反ナショナリズムは単なる精神論ではなく、明確な法的根拠に基づいています。

反ナショナリズムは、世界共同体憲章(世界憲法)に明文の規定が置かれており、これを受けてナショナリズムの宣伝・扇動を禁止する反ナツィイスモ(エスペラント語:ナショナリズム)条約が締結されています。この条約は、そのまま世界共同体を構成する領域圏の法律としても適用・執行されます。

禁止されるナショナリズムの宣伝には、領域圏旗・領域圏歌(旧国旗・国歌に相当するもの)の禁止という200年前には考えられなかった項目も含まれています。従って、今や日の丸・君が代も歴史の中の存在です。かつて日の丸が飾られていた場所にあるのは、世界共同体旗です。ちなみに、世界共同体歌は存在しません。

こうした禁止措置はW杯のようなスポーツ大会にも適用されるため、W杯の応援で領域圏ごとの旗が振られるようなことはなく、もしそのような行為をしたら、ナツィイスモ宣伝罪として摘発されてしまいます。また試合の前に歌われるのは、世界サッカー連盟が作成した短い連盟歌です。

そのほか、自民族の優越性を強調したり、他民族を侮辱したりする言説も取り締まり対象となりますから、「日本人が世界に誇る・・・」というような200年前には過剰なほどよく聞かれた自讃表現もご法度という厳しさです。

ただ、反ナショナリズムとは排外主義的な民族性の主張を禁止するもので、民族差別や異民族支配に対する抵抗としての民族性の主張は対象外です。そのため、かつては独立性を認められていなかった中東の少数民族クルド人のクルディスタン領域圏とか、チベット人のチベット領域圏といったものが今日では承認されているのです。

旧世界的感覚からすると、ナーバス過ぎるようにも思えますが、元来人類遺伝学的には人類は一つの種族なのですから、小さな民族に分裂し、何かと対立し合うことこそ不自然だったのですね。
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by komunisto | 2014-07-08 14:42 | 法律