カテゴリ:社会( 36 )

2215年9月22日

23世紀という時代には、多くの文物・制度が200年前とは大きく変革していることは、これまでいろいろご報告してきたとおりなのですが、一つ手前の22世紀について教えてほしいとのお便りを読者よりいただきました。

実は、21世紀から23世紀に直接タイムトラベルしてきた私は22世紀という時代を直接体験していません。そのため、22世紀に関しましては、23世紀の史料によってお答えするしかありません。

そういう前提で申しますと、22世紀はまさに人類史上の大転換期だったと言えます。実際、現在2215年は23世紀が始まってまだ15年目ですので、その文物・制度の多くは22世紀のものを引き継いでいるわけです。そのため、22世紀のことは同時にご紹介しているに等しいのですが、22世紀は20世紀と同様、前半と後半とで大きく様相を異にしていました。

22世紀前半は、21世紀末から22世紀初頭にかけての世界連続革命―世界大革命とも呼ばれます―が一巡し、世界が資本主義から共産主義に塗り替えられた時期に相当します。この22世紀前半の50年はまさに激動の時代でした。21世紀までは常識とされてきた貨幣経済とか国家体制といった基本的枠組みとそれにまつわる諸々の諸制度・慣習のすべてが変わったのです。

その変化のスピードと急進性は、20世紀後半のそれに比せられていますが、歴史家によってはそれを上回る人類史上最大級の変革期だったとみなす人もいるほどです。世界の人々も、その変革についていくのが大変だったようです。

特に、貨幣経済の廃止によって、空気のごとく馴染んでいた貨幣という媒体が消え去ったことは変革のハイライトであり、日常の衣食住の根幹が大きく変わりました。本日から貨幣を廃止すると言われたその当時の人々の驚きが目に浮かびます。

その激動期を体験した方の話も聴きたいのですが、2215年の現在、100歳の古老でも2115年生まれで、激動期には乳幼児でしたので、激動期の暮らしを成人として体験したのは古老の親世代の人たちということになり、もはや存命していないのは残念です。

ただ、22世紀初頭の暮らしを体験した当時の著名人の証言を集めた電子書籍がありましたので、それを紐解いてみると、やはり貨幣が廃止された時は大騒ぎで、それまで当たり前のように貨幣と交換していた物品やサービスがすべて取得数量制限付きの無償となったことに体が馴れるまでに時間がかかったという体験が綴られていました。

一方、22世紀後半は、共産主義社会の成長期に当たります。激動が一段落し、新たな文物・制度が定着・発展を遂げていった時代です。23世紀初頭に現在する文物・制度の多くがこの時代に基礎が築かれたものです。

そうした意味では、23世紀未来社会としてこれまでご紹介してきた事柄は、実質上22世紀後半期の延長と言えるわけで、あと85年を残す23世紀という時代はこれからなのですが、私の寿命は世紀末までは持ちません。
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by komunisto | 2015-09-22 07:25 | 社会
2215年9月10日

そちら2015年の日本では、広域暴力団組織Y組の分裂騒動が起きたそうですが、2215年の日本に暴力団というものはそもそも存在しません。存在しないのは、警察の壊滅作戦で潰されたからではなく、自然消滅したからです。

このように犯罪組織が存在しないのは、日本に限らず、世界共通傾向です。マフィアや麻薬カルテル、黒社会などなど、世界の著名な犯罪組織はみな過去のものです。これらもすべて自然消滅しました。

その最大の理由は、貨幣経済の廃止です。日本では「暴力団」という不適切な用語が定着してしまったのですが、本来犯罪組織とは単なる暴れ者集団ではなく、非合法(一部合法)ビジネス集団だったのです。

このことは、麻薬ビジネスを専業としていた中南米の麻薬カルテルを想起すればよくわかりますが、「暴力団」と不適切に呼ばれていたY組の年収9兆円などと言われたのも、「暴力団」の経済組織としての本質を物語っています。

ある意味、犯罪組織は貨幣経済の副産物だったのです。どの犯罪組織も貨幣経済が高度に発達した資本主義社会で成長を遂げていたのも頷けます。そうであれば、革命によって資本主義社会から貨幣経済によらない共産主義社会に変革されたことで、犯罪組織の存立基盤も失われたのです。

とはいえ、革命当初は違法に私的通貨を発行して裏で貨幣経済を営む闇経済組織がしばらくは見られ、経済警察による摘発がしばしば行なわれたそうですが、計画経済を軸とする共産主義体制が確立するにつれて、そうした闇組織も消滅していったのです。

もっとも、麻薬のように経済体制のいかんを問わず、社会内に一定の潜在的需要がある法禁物については、闇ビジネスが成り立ちそうですが、そうはなっていません。その背景にある未来社会の驚きの仕組みについては次回へ。
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by komunisto | 2015-09-10 09:51 | 社会
前回、ウィリアム・モリスを話題にしましたが、モリスは社会の「システム過剰」に批判的で、単純素朴な田園社会を理想と考えていました。その点、23世紀の未来社会はシステム過剰気味ではないか、という疑問を続けていただきました。

たしかに、前回もご報告したように、23世紀社会はモリス的田園ユートピアではありませんから、単純素朴とはいかず、かなりシステマティックに構築されている印象を受けるかもしれません。しかし、筆者がかつて生きていた21世紀社会に比べれば、システムは緩和されていると感じます。

システム化が高度に進んだ21世紀社会の仕組みは錯綜し、全体像が見えなくなっていました。そうした錯綜の元は、市場経済機構の複雑化と、行政機構の肥大化であったと思われます。金の複雑な流れ―ことに金融―、そして法と権力の複雑な体系が迷路のような社会を作り出していたのです。

21世紀の学者たちは、こうした社会の高度なシステム化をあたかも「進歩」の証しであるかのようにみなし、モリスのように批判的に見ることはありませんでした。

その点、23世紀社会は、経済的には計画経済を機軸とした非貨幣経済でまとまり、政治的にはすべてが民衆会議に集約されています。簡単に言えば、商業と金権政治が消滅したわけです。それは、以前の記事でもご紹介したように、透明感のある社会の元にもなっています。

その結果、社会のシステム化は抑制され、見えやすいものになっています。こうして社会のシステム化が抑制されていることを、23世紀の学者たちは「システム緩和」と呼ぶようです。現在では、こうしたシステム緩和こそが進歩の証しとみなされています。

すなわち、できる限り簡明なシステムをもって高度な産業/情報社会を維持していくことこそが、新たな進歩の方向性だと考えられているのです。今回は、ややメタなご報告となりましたが、23世紀社会を理解するうえでのご参考まで。
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by komunisto | 2015-04-01 10:28 | 社会
2215年3月14日

以前の記事で、選択的通学制を採る23世紀の学校は生活人として必要/有益な素養の涵養に重点を置き、社会性の涵養については、学校制度と切り離して地域少年団活動が担うと記しました。

この地域少年団というのは、21世紀人には耳慣れないものですが、類似の活動としてはボーイスカウト・ガールスカウトに近いかもしれません。ただし地域少年団は各市町村が所管する公式の制度で、スカウトのように軍隊活動のアナロジーではなく、むしろ非軍事的な自然観察活動のようなものです。

従って、スカウトのような制服の着用はなく、私服で活動します。しかも、単なる任意のクラブ活動ではなく、満8歳から15歳までの少年少女全員が加入を義務付けられる野外活動です。団は各市町村の地区ごとに編成され、数名の成人が指導員として配置されます。

年齢構成は学校と異なり、横断的で、如上の年齢層に含まれる地域の子どもたちが包括的に含まれます。そうすることで、地域の子どもたちの間で擬似きょうだい関係を設定し、社会性を涵養することが目的とされます。

具体的な活動内容は、主に週末を利用して、日帰り、時に一泊で田園や高原、海岸など比較的安全かつ自然環境の豊かな場所で散策活動をします。内容的には自然環境教育に近く、従って指導員もスポーツ指導者ではなく、自然レンジャーのような研修を受けた人が充てられるとのことです。

ただ、活動は授業そのものではないため、「勉強」というよりもレジャー的な要素が強く、近隣地域の子どもたちが遊びを通して社会性を身につけ、併せて23世紀世界の共通原理でもある環境的持続可能性を体得できるように工夫されています。

この活動は義務的ですから、学校では通信制を選択して日頃は自宅学習している生徒も少年団活動には参加しなければなりません。障碍のある子どもも、医学的に参加不能な状態でない限り、平等に参加するため、健常児と障碍児が触れ合ったり、介助したりということがごく自然に行われ、障碍者のインクルージョンにも一役買っているとの指摘もあります。

ところで、週末の子どもたちは塾や習い事に多忙で参加できないのでは?という心配は無用です。人生設計の自由度が驚くほど高い23世紀には、塾や習い事に駆り立てられる子どもは皆無なのです。
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by komunisto | 2015-03-14 11:13 | 社会
2215年2月6日

23世紀には婚姻の制度が大きく変革され、結婚制度(法律婚制度)はよりインフォーマルな登録パートナーシップ制度に変化していることについて、これまでにも、いくつかの記事でご報告してきました。

この制度の下では、もはや夫と妻という性別役割関係もなく、どちらも完全対等なパートナーです。ですから、男性同士、女性同士のパートナー関係も全く自由です。

これによって、「嫁」という語は死語になりました。辞書にはまだ搭載されていますが、【死語】もしくは【廃語】の表記が付され、「旧結婚制度の下で、妻の別称」などと解説されています。辞書によっては、「女性配偶者を家政婦扱いする古い男性優位の観念に基づく用語」といったご丁寧な注記をしているものまであるほどです。

こういう次第ですから、当然、「夫は仕事、妻は家事育児」などという性別役割分担は全く見られません。パートナー同士は仕事も、家事育児も対等分担が常識です。古い性別役割分担の習慣が根強く残されていることで悪名高かった日本社会も、この点では革命的に変化しています。

女性陣にとっては、まさに「家付きの女」=「嫁」という古い従属的地位からの解放の時代の到来ですが、男性陣はどう思っているのか、周囲に聞いてみると、特に不満はないようです。男性にとっても、「夫」という役割に束縛される旧結婚制度は良くないという意見も見られました。

一方、こうしたインフォーマルで対等なパートナー関係は解消されるのも早いのではないかと予想したのですが、予想は外れました。統計上解消(離婚)に至るパートナーシップは全体の20パーセント程度で、大部分は長持ちしているようです。

その理由はまだはっきりと把握できていないのですが、一つには自治体が運営するマッチングサービス―言わば公共結婚相談所―が効果を発揮しているようです。これについては、稿を改めてご報告しましょう。
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by komunisto | 2015-02-06 14:11 | 社会
2215年1月19日

以前の記事で、23世紀は移民不要の時代になったと報告しました。すなわち、貨幣経済の廃止により、貧困国から富裕国へ移住する経済移民の必要がなくなったのでした。

そのため、21世紀の欧州が直面している移民社会と先住国民社会の間の文化摩擦や社会的排除、それを温床とするテロリズムなどの諸問題は、23世紀には想定できません。

とはいえ、移民はゼロというわけでもありません。23世紀の移民は、経済的理由からの移民ではなく、自分が気に入った領域圏に移り住むという、文化的な理由からの移民―文化移民―です。例えば日本が気に入った人が海外から移り住む、反対に海外が気に入った日本人が海外へ移り住むといったものです。

これも以前の別記事で報告したように、地球全域が世界共同体にまとまった23世紀には、国とその境界線を示す国境という概念も制度もなく、簡素な手続きだけで自由に海外渡航できるので、好きなところに行って住むことができます。

同時に、国民国家時代には各国とも外国人の長期滞在・永住に様々なハードルを設け、しかもその政策が国によりまちまちで不統一という煩雑さがありましたが、現在の世界共同体の仕組みにおいては、全領域圏共通の制度のもとに、簡単な登録手続きだけで長期滞在・永住も認められます。

こうした文化移民は好きで移住してきた以上、現地の言語や文化にも深い関心があり、現地社会に溶け込もうとしますから、文化摩擦や排除の問題も起きにくいのです。

貧しいから移民する経済移民から、好きだから移民する文化移民へ―。こうした移民のあり方の歴史的転換の背景には、世界の政治経済構造の根本的な変革があったのです。
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by komunisto | 2015-01-19 14:06 | 社会
2215年1月1日

21世紀までの日本では新年参賀と言えば、2日に行われる天皇・皇后をはじめとする皇族の「お目見え」が恒例で、これに新年の始まりを感じるという方もあったでしょう。23世紀の現在、もはやこのようなことはありません。

23世紀の新年参賀は、中央民衆議事堂前広場で行なわれる新年の儀です。これは大晦日の前夜からカウントダウンの形で行なわれる一大行事となっており、毎年大勢の市民が集まります。

新年の儀には中央民衆会議議長をはじめとする民衆会議執行部のメンバーも加わって、盛大に新年を祝い、議長が新年の辞を演説します。音楽の演奏などもあるようです。

このイベントが行なわれる中央民衆議事堂前広場は、ほぼ旧皇居前広場に当たるエリアです。皇居跡地に中央民衆議事堂が建てられており、その前に広場があるという構成になります。

ところで、民衆広場という空間は全世界にあり、全世界同時にカウントダウンすることが恒例となっていて、その様子はテレビや動画で中継されます。世界共同体の下、世界が一つになったことを実感できる瞬間です。

では、どうしてもロイヤルファミリーの参賀に駆けつけたい人は?残念ながら、その期待はかなえられません。いずれ詳しくご紹介するように、23世紀にはロイヤルファミリーというものはもはや存在せず、天皇・皇族は称号を保持しながらも、一般市民化されているからです。

天皇家は現在、「特例市民」という特別な市民として明治維新までの居住地であった京都に住んでいますが、実質は一般市民と同等なため、新年に特別な参賀を受けることもなく、一般家庭同様、プライベートに新年を迎えます。
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by komunisto | 2015-01-01 13:43 | 社会
2214年11月14日

前回報告した保育の問題を引き継ぐ形になりますが、21世紀には保育園の増設に伴い、園児の遊び声が「騒音」として近隣から苦情化されるという新たな社会問題が生じていました。保育が義務制となり、保育所が診療所より多い23世紀、この問題はどうなっているのでしょうか。

近所の保育園で聞いてみると、住宅が近くまで迫っている園庭などで園児を遊ばせる場合は、あまり騒ぎ声を上げないように指導しているため、騒音苦情はないとのことです。これは、園庭とはいえ、私的空間から一歩外に出たら近隣社会にも配慮するという公私峻別の価値観を保育段階から体得させるという明確な保育方針に基づいているといいます。

実は、こうした公私峻別は23世紀社会では一つの共通した社会のモラルとして定着しています。21世紀にも公私混同はモラル違反として非難されましたが、その一方で公私混同がしばしば役得的に容認される風潮も見られたり、成人でも近隣に配慮せず大騒ぎするような振舞いも見られたところでした。

23世紀の社会には、あらゆる職務において「公私混同・即免職」という厳しい綱紀がありますし、公私混同をチェックするオンブズマンや社内監査なども厳正です。

こうした厳しい公私峻別は、自分たちの社会は自分たちで運営するという広い意味での自治の発想が根付いていることから生まれるようです。何度も報告しているように、23世紀には国家とか政府といった上から個人を管理規律する機構は存在せず、すべてが自治に委ねられるのです。

純粋に私的な領域に公権力は干渉しない反面、何らかの形で社会と接触する場面では、規律ある自己抑制的な振舞いが求められるわけですが、それを綱紀として強制するだけでなく、幼児期の保育でも、遊びの中で公私の別を自然に体得させるという方針には強い感銘を受けました。
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by komunisto | 2014-11-14 09:09 | 社会
2214年9月20日

20世紀以降の世界では、ホワイトカラー男性の業務用「制服」として、世界中で着用が事実上の義務となっていた背広ですが、23世紀にはこのような習慣は廃れ、執務中でもカジュアル服装が常識となっています。

従って、企業とか公的機関などのオフィスでも背広の男性は見かけません。また民衆会議代議員のような政治職もカジュアルで審議に出ますから、まるで町の寄合のような光景になりますが、現在の民衆会議制度は権威ぶった名望家たちの談合だった議会制度とは違い、まさに市民の寄合のようなものなので、全然違和感はありません。

それでは今や背広は完全に廃れたかと言えば、そうでもなく、レセプションや各種の公式行事などに出席する際に着用する社交用の正装としては存続していますが、そういう場ですら、主催者によってはカジュアルを奨励する場合もあるようです。

詳しくは知りませんが、もともといわゆる背広は19世紀に英国貴族の乗馬服だったものが礼服化されたモーニングコートから派生し、20世紀になると米国でビジネススーツ化したのだそうで、本来は貴族服だったものが簡略化されて平民服となったもののようです。

21世紀初頭頃には「クールビズ」などといって冷房節電のため夏場限定のカジュアル執務を許容、あるいは奨励するような現象も広がり始めていましたが、通年カジュアルとなるごく一部の動きにすぎず、保守的な大企業とか官庁などでは背広着用がまだまだ一般的でした。

ある意味で、背広の一般普及は服装の民主化という現象でもあったわけですが、それにしても型にはまった礼服を祖先に持つだけに、まさに堅苦しく、特に夏にはむさ苦しい印象すら与えるものでした。背広は数百年かけて礼服という元の役割に戻っていったと言えるかもしれません。

なお、鉄道員とか警察官に代表されるような文字どおりの制服のほうは今も健在ですが、学校の制服は廃れています。23世紀は人間を型にはめることには強く否定的で、服装の自由は市民的自由の象徴の一つなのです。
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by komunisto | 2014-09-21 09:36 | 社会
2214年7月23日

私が旧世界にいた21世紀初頭には核家族化が高度に進行し、家族はせいぜい3、4人の小さなグループに切り刻まれていました。こうした孤立的な核家族モデルは近代的とされる一方で、様々な家族病理現象の発生源ともなっていたものです。保守的な論者の中には、古い大家族制へのノスタルジックな回帰を主張する向きもありました。

実は、あれから200年を経た現在でも、核家族化の基本線は変わっていません。否、むしろ結婚制度廃止・パートナーシップ制移行により核家族化は完全に定着したと言ってよいでしょう。

しかし、そうした中にもある変化が見られます。それは、集合家族現象です。つまり、隣近所の核家族同士がまとまって一つの大家族のようなグループを形成する現象です。集合家族間では家事や育児、時に介護まで融通し合います。 

こうした現象には、共産主義社会で農業を中心とした第一次産業が復権したことが寄与しています。つまり、革命後、都会から帰農する家族が増加し、そうした帰農家族同士が農村で集合家族を形成しているのです。一見すると、古い農村の家族像と似ていますが、現在の集団農業は世襲の家業ではないので、一つの家に数世代が同居する昔の拡大家族とは異なります。  

興味深いのは、農村ばかりでなく、都市部でも同様の現象が観察されることです。都市部でも、4時間労働制や職住近接の定着により、近隣のつながりを通じた集合家族が形成されているのです。特に職住近接は、近所に同じ職場の人が集住することになりやすく、言わば自然にかつての「社宅」のようなものが形成されるわけです。

現在の倍の8時間労働が基本で、そのうえに残業が常態という資本主義時代、都市は寝に帰るだけの「ベッドタウン」と化していたことが、孤立した核家族現象を生んでいたのですが、共産主義はその流れを変えました。

ただ、共産主義的集合家族は前近代的な血縁に基づく大家族の復活ではなく、近代的な核家族モデル自体はこれを維持しながら、核家族を孤立化させず、横につないだのだと言えるでしょう。

とはいえ、孤立型核家族に慣れ切った者には、集合家族はいささかプライバシーが筒抜けのような感もありますが、隣に住む人が誰だかわからない不穏さと「筒抜け」の煩わしさとを比較した場合、前者のほうがいいと一概に言い切れないのではないでしょうか。少なくとも、かつて孤立型核家族の病理に苦しんだ私は後者を支持します。
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by komunisto | 2014-07-23 09:24 | 社会