カテゴリ:社会( 36 )

2213年9月2日

1日過ぎてしまいましたが、21世紀日本の昨日は「防災の日」でした。23世紀日本に「防災の日」というものは特にありません。現在、避難訓練ということ自体、専門機関の演習としてしか行われていないのです。

これは避難訓練の効果がかつてほど信奉されなくなった結果でもありますが、現在、各地方圏(道)ごとに極めて強力な災害救難隊が配備されていることもあります。

かつて災害救助は第一次的には消防、消防だけでは対処しきれない大規模災害では自衛隊が投入される一方、警察や海上保安庁も一定の救助任務を負うというように、災害救助機関が錯綜しており、しばしば連携も乱れがちでした。

こうした問題を克服した現在、災害救助は上述の道災害救難隊が一元的に担うことになっています。消防や警察等も災害救助に関しては救難隊の指揮下に入ります。

この救難隊は高度のレスキュー技術を備えた常設機関で、隊員は特別な訓練を受けた精鋭です。そのため、通称ウルトラ・レスキュー隊とも呼ばれています。特に山岳地帯の多い北陸信越道の災害救難隊は山岳救助でも知られています。

ちなみにかつて高度のレスキュー技術をもって大規模災害の救助にも投入された自衛隊はすでに軍隊廃止条約に基づいて廃止されて久しいのですが、道災害救難隊は旧自衛隊のレスキュー技術を引き継ぐ存在でもあります。

各道災害救難隊を中央で束ねるのが、災害救難センターという中央組織で、複数の道にまたがる災害では連携・統合運用も可能になっています。

さらに災害救難隊のみでは対処し切れないほどの大災害では、国連に相当する世界共同体に所属する民際緊急救難隊が派遣要請に基づいて出動しますが、派遣要請がなくても世界共同体独自の判断で出動する場合もあります。

現在、大災害のような緊急時に国際救助をしばしば妨げた国家主権という観念は克服されており、世界共同体は独自の判断でも救難介入を行えるようになっているのです。

大規模災害は今も毎年世界各地で続いていますが、救助体制の一元化と民際化が進んだことにより、かつていわゆる開発途上地域の災害ではしばしば膨大な数に上った犠牲者数も大幅に減少してきています。 
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by komunisto | 2013-09-02 10:35 | 社会
2213年8月18日

かつて未来社会というと、ロボットが各方面で活躍するロボット化社会というイメージがありました。SF小説・映画ではロボットは定番的登場「人物」でした。23世紀の社会はどうでしょうか。

この点、意外なことに、ロボットの活躍場面は案外限られています。かつて喧伝された家事ロボットも実用化されていますが、一般家庭に広く普及してはいないようです。

これに対し、工場のロボット化はいっそう進んでおり、量産体制を取る工場では人力はロボットのシステム管理者だけという状況です。ただ未来社会は大量生産体制ではなく、基本的に多品種適量生産体制なので、手工業的生産様式が復権しており、ロボット化工場は限られています。

現在ロボットが最も活躍中なのは、保安・警察といったセキュリティーの分野です。民間保安では、前にご報告したように、スーパーやコンビニに当たる物品供給所での盗難防止ロボットが普及しています。その他、かつて人間が務めていた守衛やガードマンも今や保安ロボットに置き換わっています。

また公式の警察でも、警察犬に代わって禁制品探索ロボットなどの捜索ロボットが活躍中です。これは一つには、旧社会に比べ動物の権利保護が格段に進んだことで、犬を含む動物の使役に厳しい法的制約が課せられていることも影響しているようです。

さらに警備警察でも、イベント等の警備には人間の警察官とともに、警備ロボットも出動します。これなどはまさにロボコップです。もっとも、映画のロボコップのように死んだ人間の細胞で作られたサイボーグではなく、正真正銘のロボットですが。

こうして23世紀の社会はロボット化社会と言ってもよいのですが、それは私ども「旧人類」が夢想したようにロボットがすべてをやってくれる社会ではなく、人力の補完・効率化のためのロボット化社会だと言えるでしょう。
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by komunisto | 2013-08-18 10:04 | 社会
2213年8月9日

23世紀の未来世界では平均寿命が飛躍的に延びていると報告しました。となると、人口/食糧問題が飛んでもないことになっていないかという疑問が浮かぶかもしれません。

2213年の地球人口は80億人余りです。これは200年前の21世紀初頭より10億人多い程度です。しかし、この200年間、人口/食糧問題では曲折がありました。

20世紀以降の人口爆発現象により、22世紀初頭には地球人口はいったん100億人を突破していました。その頃には食糧危機が地球全域に拡大し、先進国でも餓死者が続出。そうした食糧問題の深刻化が21世紀末から22世紀初頭にかけての世界連続革命の重要な契機ともなったのです。

革命後、人口爆発に歯止めがかかったのは、共産主義の功績です。爆発震源地の「南」では多子の要因でもあった貧困問題が解決し、貧困ゆえに人々の精神的な拠り所ともなっていた宗教の役割が減少し、結果としてバースコントロールを妨げる宗教上の禁忌も緩和・解消されたのです。

一方、対照的に革命前は少子高齢化に悩んでいた「北」では少子化に歯止めがかかりました。ここでは労働時間の長さと硬直さが少子化の重要な要因となっていたのですが、4労働時間制の導入により子どもを持つ女性が働きやすくなり、父親の子育て参加も常識となりました。

ちなみに21世紀初頭には1点台初めまで落ち込み、世界有数の少子化社会となっていた日本の合計特殊出生率も今や、2点台前半まで伸びています。

こうして、23世紀には世界レベルでのバースコントロールが機能しており、地球人口が程よくバランスされるようになりました。「多子高齢」でも「少子高齢」でもない、言わば「中子高齢」が実現していると言えます。

それでも80億人は決して少ない数字とは言えませんが、80億人口を支える食糧は世界食糧農業機関による計画的な農政と食糧分配が機能していることから、十分まかなえています。遺伝子組み換えによらない人工栽培技術の発達も強みです。 

ちなみに200年前、食糧問題解決の苦肉の策として提案されていた「昆虫食」にまで手を出す必要性は全く生じていません。もっとも郷土食としてのセミの揚げものやハチの幼虫の佃煮などは人気食品ですが。
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by komunisto | 2013-08-09 10:26 | 社会
2213年7月19日

ここまで200年後の未来社会についてご報告してきましたが、果たして未来社会の住人である未来人とはどんな人たちなのかご興味があるかと思います。未来人とは宇宙人のような人たちなのか。

残念ながら、違います。23世紀の未来人は21世紀初頭の皆さんと外見上は全く変わりません。これは世界中同じです。何万年も経つと人類の容貌は変化するという説を聞いたことがありますが、まだそういう時期には来ていないようです。

ただ、性格類型には変化が見られます。旧世界では全般に実際的な人が多かったように思えます。貨幣経済下では、要するにカネの算段に長けた要領のよい人が社会の主流であったわけです。その権化が資本家・資本企業経営者でした。

貨幣経済が廃された23世紀の世界の人たちはどこか遠大で、思索的なところがあるように感じます。もはやカネのことを考えることもなく、基本的に生活不安から解放されているため、あくせくする必要がありません。自分のペースで働き、ゆったりと暮らしていけるのです。

また前にご報告したように、未来世界では理想と現実が統一されていますから、理想を追求することは何も青臭いことではありません。老若男女を問わず、未来人は理想主義者です。未来社会では何の理想も持たない人間はかえって軽蔑されかねません。

もちろん実際的な人は存在しますし、実際家的な仕事もたくさんありますが、そうした職に就いている人たちも、身も蓋もないシニカルな「現実主義者」ではなく、むしろそのような人たちこそ、最も高い理想を追求する理想主義者なのです。

こうして、旧世界では社会の主流からはほぼ締め出されていた理想家肌の思索的なタイプの人間は、未来社会では主役です。ある意味からすれば、不器用な人が主役になれる社会と言えるでしょう。
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by komunisto | 2013-07-19 10:45 | 社会
2213年6月19日

未来社会はユートピアです。しかし全く未知の世界ではなく、どこかで見たことがあるような感じがします。当初は200年時間が飛んだことに気がつかなかったほど、一見すると200年前と大差ないのです。

そうした意味では、多くのユートピア文学で描かれる理想郷的ユートピアとは異なり、さりげないユートピアと言えます。

23世紀日本社会は今から100年余り遡る21世紀末から22世紀初頭にかけての世界連続革命によって生まれた社会の一つですが、これら未来社会は旧資本主義社会の成果を放棄することなく取り入れつつ、共産主義に基づいて発展した社会です。資本主義時代を経験した筆者のような旧世代の者に既視感があるのはそのためでしょう。

従って、しばしばユートピアのイメージとして持たれるような農村共同体的社会ではありません。発達した都市を持ち、工業化・情報化はよりいっそう進展しています。一方で環境的持続可能性が社会的規準として確立されており、その枠内での発展が目指されています。資本主義時代には空虚なお題目にすぎなかった「持続可能な発展」が実際に達成されているのです。

ちなみに現在、日本の人口は8000万人余り。しかし革命前夜の21世紀末頃には少子化・人口減が著しく進み、最盛期の半分以下、約5000万人まで激減していました。その結果、労働人口の減少で生産活動は停滞し、生活水準も先進国から中進国レベル以下まで転落しました。

保守的な日本における革命は連続革命の一番最後となったのですが、人口激減の存亡危機が革命の重要な契機となったのです。それでも栄光の(?)1億人台は回復していませんが、8000万人は狭小な日本列島には十分な人口と言えるのではないでしょうか。

東京のような大都会でもかつてのような雑踏は見られません。人口密度が緩和されて全体に風通しがよく、住み心地は旧社会よりも格段によくなっていると感じます。
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by komunisto | 2013-06-19 10:21 | 社会
2213年6月10日

前回、未来社会は決して厳しい監視・統制社会ではないと書きました。実際、物品供給所でも内部に監視カメラは設置されていません。監視カメラは公共的な場所への出入りチェックが中心で、街頭カメラもゼロではありませんが、設置場所や台数に法的な制限がかけられています。個人による防犯カメラの設置は自宅への取り付けに限り認められます。

総じて未来社会の監視活動は最小限に抑えられている印象を受けます。こうした最小限監視社会の実現にあたっては、保安ロボットの活用のようなセキュリティ技術の向上も寄与していますが、そもそも監視しなければならない犯罪行為自体がまれであるという現実があります。

資本主義時代の犯罪の大半はカネにまつわるものでした。殺人のような生命犯ですらもどこかでカネが絡んでいることは資本主義社会に生きる者にとっては常識でしょう。資本主義社会では利欲的動機が犯罪行為の大半を支配するわけです。

しかし貨幣交換システムの廃止は、こうした人間を時として究極の犯罪にさえ走らせる利欲を抑制し、犯罪を激減させました。人々は監視カメラの際限なき増設ではなく、貨幣の廃止こそ究極の防犯対策であることを知ったのです。

未来社会では犯罪に対する不安から監視カメラの増設が際限なく進行していくような「防犯パニック」現象は全く見られません。監視カメラの法的制限に関しても異論がほとんど聞かれないのはそのためです。ただ、残念ながら今でも少数の犯罪は発生するため、必要最小限度の監視システムは保持されているわけです。

もっとも、およそ監視活動に反対というような徹底した反・監視社会論者であれば、保安ロボットですらおぞましいということになるかもしれませんが、最小限の規律ある監視活動は受け入れることができるという者にとっては、おおむね理想状態が保たれていると言えるのではないかと思います。
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by komunisto | 2013-06-10 10:46 | 社会