カテゴリ:世界旅行記( 10 )

2217年5月17日

スロヴァキーオ〔スロヴァキア〕から、ポランド〔ポーランド〕へ入りました。代表都市はワルシャワです。今回は鉄道を使わず、エアバスで移動しました。ワルシャワの空港は、ワルシャワ・ザメンホフ空港と呼ばれます。

ザメンホフとは今や世界公用語であるエスペラント語の創案者ルドヴィコ・ザメンホフで、当時ロシア領だった旧ポーランドの出身でした。そのことを記念して、ポランド玄関口の空港に彼の名が冠されているのです。

ちなみに、ワルシャワの空港は革命前、ワルシャワ・ショパン空港と呼ばれていました。ショパンはポランドが生んだ作曲家で、少しでも音楽、特にピアノを齧ったことのある人なら誰でも知っている「ピアノの詩人」フレデリック・ショパンのことです。

ショパンも決して忘れられたわけではないのですが―五年ごとに開催される有名な国際ピアノ・コンクールも続いています―、世界共同体の創設によりエスペラントが世界公用語の地位を獲得したことで、ザメンホフがショパンを押しのけてしまったようであります。

また、古い学術都市クラクフにはザメンホフ・エスペラント記念館が所在しており、見学してまいりました。そこはザメンホフの生涯を記録する史料や、エスペラント普及の歴史などをたどれる史料のほか、エスペラント文献を誰でも閲覧できる文書館を兼ねた博物館です。しかも、公認エスペランティスト向けの宿泊施設付きです。

公認エスペランティストとは、世界共同体が認定するエスペラント専門家としての公式資格です。私はその一歩手前の暫定公認資格を有しているため、その資格で宿泊が認められました。決して豪華ではありませんが、古都らしい落ち着いた環境でした。

そのついでに言葉の細かい話になりますが、ポランドの正式名称は「ポーラ領域圏」です。ポーラはエスペラント語でポランドの形容詞形であり、「ポランド領域圏」は本来不正確なのですが、日本語に取り込んだ外来語としてわかりやすくするため、このように表記しています。こうした表記法は、当ブログで取り上げる他の領域圏についても適用します。

さて、ポランドの歴史と言えば、アウシュヴィッツ―ポーラ語ではオシフィエンチム―も忘れられません。ザメンホフはポランド出身とはいえ、ユダヤ系でした。彼が1930年代まで生きていたら、エスペラントを敵視したナチスの手でアウシュヴィッツ送りになっていた可能性もあります。果たして、彼の子どもたちは皆ホロコーストで命を落としているのです。

とはいえ、ホロコーストからすでに300年近く。歴史的記憶の限界も感じつつ、ワルシャワから鉄道で行ってみました。すると、相変わらず絶滅収容所跡は博物館として保存されていて、大勢の見学客がありました。大虐殺は消し去りたい悪と残虐の歴史ですが、まだしっかり記憶されていることに安心しました。

そもそも23世紀の世界秩序である世界共同体はアウシュヴィッツを生んだ世界大戦のような惨事、その反省も虚しく核戦争危機を惹起した冷戦や仁義なきテロ戦争を繰り返さないために設立された平和機構でもありますから、ナチスの記憶も忘れられないのです。
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2217年4月29日

前回予告していたとおり、アルポイ〔アルプス〕合同領域圏から鉄道を使って隣のチェヒーオ〔チェコ〕へ入りましたが、正確に言いますと、ここはチェヒーオ・カイ・スロヴァキーオ合同領域圏です。英語風に言い換えれば、チェコ・アンド・スロヴァキアとなります。

すなわち、チェヒーオ領域圏とスロヴァキーオ領域圏が合同したものです。合同領域圏という点では、アルポイなどと同様、緩やかな政策協調の限度内での合同体制ということになります。

実はその昔、20世紀にはチェコスロヴァキアという一つの国(1948年以降は社会主義国)が存在していたことがありましたが、20世紀末、社会主義体制が民衆革命により倒れた後、言わば協議離婚のような平和的な形でチェコとスロヴァキアは分かれ、別々の国として再出発しました。

とはいえ、チェコとスロヴァキアには月とスッポンほどの違いはなく、言葉も素人には同じように聞こえるスラブ系言語です。文化的にも、ともに音楽を中心に芸術が盛んです。町並みもともに歴史的で、中世に戻ったような景観が維持されています。80年間くらい一つの国だったのも不思議はありません。

その後、22世紀の世界革命を経て、チェコとスロヴァキアは世界共同体を構成する領域圏同士として両者の緊密な関係性を見直した結果、完全に一体化はしないものの、緩やかな合同としてのまとまりを取り戻したことになります。それが、エスペラント語で表記し直されたチェヒーオ・カイ・スロヴァキーオなのです。

従って、チェヒーオとスロヴァキーオの境界には控えめな標識があるだけで、完全ノーチェックで往来が可能ですので、私もチェヒーオから鉄道で簡単にスロヴァキーオに移動しました。境界を越えた時にあえて両者の違いを見つけるとすれば、スロヴァキーオのほうがややのどかな感じはします。

さて、スロヴァキーオからさらに北上して次はポランド〔ポーランド〕に向かおうと思いますが、このあたりはかつて「東欧」と呼ばれていた地域に当たります。しかし、23世紀現在、このような地政学概念は存在せず、すべてはエウローポ‐シベリーオ〔ヨーロッパ‐シベリア〕環域圏の一環になります。
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2217年4月15日

ゲルマニーオ〔ドイツ〕から、隣のアルポイ合同領域圏に移動しました。アルポイはアルプスのエスペラント語です。ここは、名称のとおりアルプス山脈を囲む複数の領域圏の合同として形成されています。

すわなち、アウストリーオ〔オーストリア〕連合領域圏、スヴィス‐リヒテンシュテイノ〔スイス‐リヒテンシュタイン〕連合領域圏、スロヴェニーオ〔スロヴェニア〕領域圏の三領域圏の合同です。なお、細かいことですが、アウストリーオとスヴィス‐リヒテンシュテイノはそれぞれが複数の準領域圏から成る連邦型の領域圏構成を採っています。

歴史的に見ますと、アルポイは旧ハプスブルク帝国の主要領土をカバーし、おおむねドイツ語圏に属しますが、現在ではハプスブルクなどはるか昔の歴史であり、アルプス山脈の共有を意識した合同体のようであります。

リヒテンシュテイノはかつては小さな独立君侯国でしたが、革命により君主のリヒテンシュタイン侯が追放された後、元来関係の深い旧スイスと合併して連合領域圏となりました。そうした歴史的な経緯からリヒテンシュテイノは特別準領域圏として広範な自治権を保持しています。

また旧スイスと旧オーストリアはかつて「永世中立国」を宣言しておりましたが、世界が一つになり、恒久平和体制たる世界共同体が確立された23世紀現在、もはやそのような中立宣言は失効しており、これも歴史の中のお話であります。

ちなみにスロヴェニーオはアルポイ合同の中で一つだけスラブ系主体の領域圏で、20世紀にはユーゴスラビア連邦を構成していましたが、ドイツ語もよく通用することから、アルポイに加盟しているものと思われます。足を運んだ代表都市リャブリャナはおとぎ話に出てきそうな美しい町です。

アルポイ合同領域圏全体を象徴するのは名称どおり、アルプス山脈であり、スキー競技ですが、一方で、ウィーンやザルツブルクをはじめ、クラシック音楽の里でもあります。有名なウィーン・フィルのようなオーケストラも健在で、域内では様々な音楽祭が開催され、世界中から人が集まってきます。

風光明媚で、ずっと滞在していたい場所ですが、世界旅行は前進します。次は北へ向かい、意外に知られざる芸術の里であるチェヒーオ〔チェコ〕に行ってみようと思います。
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2217年3月31日

べネルクソからフランツィーオ〔フランス〕とゲルマニーオのどちらへ行くかで迷い、結局、後者にしました。すなわち旧ドイツです。ドイツはかつてドイツ連邦共和国を名乗っていましたが、23世紀にはドイツ連合領域圏です。

現在ではもはや「国」ではありませんが、その領域の地理的範囲は21世紀当時と変わっていませんし、形態としても連邦制を継承した連合制を維持しています。16の州(うち3つは都市州)構成した旧連邦の形もほぼ継承され、16の準領域圏(うち3つは都市型準領域圏)で構成されている点、かなり保守的と言えます。

ゲルマニーオはエウローポ‐シベリーオ〔ヨーロッパ‐シベリア〕環域圏の中では、ルシーオ〔ロシア〕に次ぐ大きな領域圏で、人口は1億ちょうどくらい。21世紀当時より約2000万人増え、人口減少した日本を上回っています。これは主にトルコ系移民が土着して殖えたためだといいます。

今回の旅で行ってみたかったのは、べネルクソと境界を接するラインラント‐プファルツ準領域圏の町トリーアです。なぜなら、ここはあのカール・マルクスの出身地で生家も保存されていると聞いたからです。

行ってみると、それは200年前の情報でした。たしかに21世紀当時にはマルクスの生家は博物館として保存されていたのですが、23世紀の現在は取り壊され、ポスト・モダンな住宅地となっており、わずかに跡地であることを示す石碑が残されているだけでした。

地元の人に聞いてみますと、「マルクスは郷土の歴史的人物だが、詳しくは知らない」と流暢なエスペラント語で答えられました。たしかに23世紀から見れば、19世紀のマルクスさんは4世紀も昔の歴史的人物に過ぎないのでしょう。

もう一箇所行ってみたかった場所は、これも20世紀の象徴・旧ベルリンの壁跡地。たしか壁の一部が保存されていると聞いたのですが、これも200年前の情報でした。23世紀には壁は跡形もなく、ベルリンは分断の歴史などなかったかのように統一都市(それ自体として準領域圏扱い)として静かにたたずんでいました。

ちなみに、ベルリンは現在も連合領域圏全体をまとめる連合民衆会議の所在地であり、政治的な代表都市の地位を維持しています。こうした安定性もゲルマニーオらしさでしょうか。ゲルマニーオからは鉄道を使い、隣のアルポイ〔アルプス〕合同領域圏に移動してみたいと思います。
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2217年3月16日

アングリーオ〔イングランド〕から北海を渡り、べネルクソ〔ベネルクス〕に移りました。北海渡海は周辺を結ぶ無料乗り放題の客船によりました。以前にもご紹介したとおり、23世紀には船舶という交通手段が復権しており、多くの利用客がありました。窮屈な飛行機とは違う、ゆったりした快適な船旅でした。

べネルクソとはベネルクスのエスペラント読みであり、21世紀人にはベネルクスのほうが馴染みがあるでしょう。ベネルクスとは歴史的に関連の深いベルギー、ネーデルラント(オランダ)、ルクセンブルク三国の緩やかな協力体を出発点としていますが、23世紀には単なる協力体を越えて、単一の領域圏にまとまっているのです。

23世紀のべネルクソ連合領域圏は連邦制に近い構制の領域圏ですから、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクが単純に結合しているのではなく、この三統治体はいったん解体されたうえ、州に近い権限を持った10以上の準領域圏によって再構成されています。代表都市は旧オランダのハーグです。

このような構成になったことで、かつて国を分裂させかねないほど揺れたベルギーの言語分断問題は解決しています。すなわちベルギーを二分したフラマン語(≒オランダ語)地域とフランス語地域の分断・対立関係は、ベルギーという統治体がべネルクソに吸収されたことで止揚されたのです。

そのうえで、べネルクソは世界公用語であるエスペラントを連合全体の公用語ともしています。もっとも地元における日常会話に際しては、それぞれの伝統的な言語が依然として使用されており、そのことが権利としても保障されているとのこと。

ちなみにベルギー、オランダ、ルクセンブルクはそれぞれ独立国だった時代には英国と並ぶ立憲君主制(ルクセンブルクは大公制)を採るという共通項もありましたが、現在では英国と同様、王ないし大公は歴史文化的象徴としての形式的称号にとどまっています。

また旧ベルギーのブリュッセルはかつて旧欧州連合の中心地でしたが、今日では欧州及び旧ロシア・シベリアを大きく包摂する経済協力体であるエウローポ‐シベリーオ〔ヨーロッパ‐シベリア〕環域圏の民衆会議をはじめとする主要機関の所在地でもあり、歴史的に民際性の豊かな土地柄であることは変わっていません。

個人的にはかつて人口50万人ほどのミニ国家だった旧ルクセンブルクに興味があり、集中的に回ってみました。ここは古城がいくつも保存されているべネルクソ域内有数の歴史地域でもあります。同時にフランツィーオ〔フランス〕とゲルマニーオ〔ドイツ〕への入り口もあるのですが、さてどちらへ赴くか、まだ考え中です。
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2217年2月28日

ケルト合同領域圏に属するスコットランドから、風光明媚な田園地帯を縦断する鉄道を普通列車を乗り継ぎ南下してアングリーオへやって参りました。アングリーオとは、かつてのイングランドのことです。

イングランドは21世紀にはいわゆる英国を構成する四つの地域のうちの中心でしたが、前回ご説明したとおり、23世紀には四地域のうち三つが隣のイルランド〔アイルランド〕を含めたケルト合同にまとまったため、単独の領域圏となったものです。言わば独りぼっちになってしまったわけですが、23世紀のアングリーオ人はほとんど気にしていないようです。むしろ、現状が一番すっきりするという感想も聞かれました。

その代表都市は相変わらずロンドンですが、その性格は一変しています。かつては世界金融センターのトップに位置づけられる金融大都市であったわけですが、貨幣経済が廃され、当然「金融」も死語となった23世紀、ロンドンはもはや金融都市ではあり得ません。現在は、静かな歴史文化都市です。

歴史文化といえば、大英帝国時代の象徴とも言えるBritish Museumは現在も存在していますが、名称はEngland Museumに改称されています。また金融の象徴だったロンドン証券取引所跡地は前衛的な建築として著名なアングリーオ中央民衆会議議事堂の一部に変わり、革命の象徴地となっています。

ところで、イングランドと言えば世界で最も有名な王室がありましたが、現在はどうなっているのかというと、王室は残されています。しかし、元首の概念を持たない民衆会議体制において、もはや王は元首ではありません。ただ、歴史文化の象徴として、形式的な称号だけが残されているのです。このような処遇は世界中の王室で普遍的です。

王と王族は全員一般市民として普通に暮らしており、旧王宮バッキンガム宮殿は誰も住まない一史跡です。ちなみに旧英国が唯一残していた旧式の貴族制度も完全に廃止されて久しく、もはや誰が旧貴族の末裔なのかは苗字でわずかに判明する程度です。

こうしてアングリーオは豊かな田園風景を持つ領域圏として、静かに今も存在しています。次はアングリーオから、ベネルクソ〔ベネルクス〕方面へ渡ってみようと思います。
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2217年2月4日

ノルドからスコットランドへやってきました。スコットランドと言えば、そちら21世紀初期の段階では独立論争が巻き起こりながらもまだ英国の一部であろうと思いますが、現在の地政情勢は大きく変わっています。

23世紀のスコットランドは、イルランド〔アイルランド〕、キムリーオ〔ウェールズ〕、アイリッシュ内海に浮かぶマンクシーオ〔マン島〕とともにケルト合同領域圏に編入されているのです。構成領域圏の自立性が強い合同領域圏という点では、北欧のノルドと同じ形式になります。

ケルトとはケルト人のことです。歴史的に見てスコットランド、アイルランド、ウェールズはケルト人が先住していた地域で、ケルト系の言語や文化が残る点で共通しています。その三つが合同したのです。

ちなみに、アイルランドはかつてアイルランド共和国と英国に組み込まれた北アイルランドに分かれ、北では流血の分離独立闘争が展開された時代もありましたが、現在では北アイルランドもイルランド領域圏に復帰しています。

同じく英国に組み込まれていた西部のウェールズも離脱していったため、かつて栄華と覇権を誇った大英帝国はすっかり分解されてしまい、今や旧イングランドを継承するアングリーオ領域圏単独―とはいえ、人口は4000万人を越えていますが―の存在となっています。大英帝国に取って代わって、ケルタ合同領域圏が登場したという感じです。

かつての大英帝国がばらばらに分解したとなれば、さぞ血みどろの戦争になったのでは?と思われるかもしれませんが、実際のところ一滴の血も流されませんでした。まさに平和革命です。その軸となったのがスコットランドです。

領域圏とは21世紀にはまだ固定観念である国家とは異なる緩い単位に過ぎないので、「分離独立」というようなおおごとにはならないのです。そういうわけで、現在でもスコットランドの代表都市エディンバラからロンドンまでは一本の鉄路で結ばれ、その間に国境線や検問のようなものは一切ありません。

エディンバラ‐ロンドン間には超特急列車が設定されており、現在は所要3時間半くらいです。速達もいいですが、今回は普通列車にただ乗りして―貨幣経済はありませんから―ロンドンまで行ってみようと思います。
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2217年1月21日

イスランド〔アイスランド〕からノルヴェジーオ〔ノルウェー〕へ渡りました。ここも二度目の訪問になります。ノルヴェジーオには、タイムカプセルで渡来した旧時代人のための適応化訓練施設があり、イスランドのタイムカプセル管理局を通過したタイムトラベラーはまずここに収容されるのです。

訓練は、23世紀の共産主義的生活への適応訓練と23世紀の世界共通語であるエスペラント語の学習が中心です。前者は貨幣経済が廃止され、無償労働が基本である社会経済の仕組みに慣れるための座学と街を散策して社会見学をする内容です。

訓練期間は6か月コースと3か月コースがあり、最初に心理行動テストとエスペラント語の運用能力テストを受け、結果によりどちらかのコースにふるい分けられます。私はタイムトラベル前からコミュニストであったこと、エスペラントも基礎は学習済みだったことが幸いし、3か月コースに決まり、早くに仕上がりました。

この訓練を修了した者は解放され、特別な査証を与えられたうえで、自由に地球上どこにでも住むことができます。たいていのトラベラーは自分の郷里へ還ろうとします。私の場合も、とりあえず郷里である日本へ直行したのでした。

ノルヴェジーオ訪問は、この適応化訓練を受けた時以来となりますが、その最大都市オスロは世界中から人が集まるコスモポリタンな都市です。ここにタイムトラベラー訓練施設があるのも不思議はないでしょう。過去から来た者でもへだてなく受け入れてしまう懐の深さがあるようです。

オスロがコスモポリタンなのは、23世紀に復活してきた船舶を扱う海事の拠点であることに加え、世界共同体の重要なシンクタンクである世界平和研究センターが所在することなども影響しているように思われます。

ちなみにイスランドやノルヴェジーオを包含するノルド合同領域圏には、他にスヴェディーオ〔スウェーデン〕、スオミーオ〔フィンランド〕、ダンランド〔デンマーク〕、グロンランド〔グリーンランド〕が含まれますが、地政学上グロンランドは世界一周旅行の最後に訪問する予定の北アメリーコ〔アメリカ〕連合領域圏の域外招聘領域圏という地位にもあるため、後に回します。

ノルヴェジーオのお隣スヴェディーオはかつて北欧の中心国をもって任じていたこともありましたが、23世紀の世界には「中心」という発想がありませんので、現在、スヴェディーオが特に「中心」ということはないようです。むしろ、ノルヴェジーオのほうがコスモポリタンという意味では「中心」的な感じがします。

他の二つの領域圏もそれぞれ特徴があるのですが、この時期はとにかく寒く、DNA系統上南方系縄文人の要素が濃厚らしい私は寒さが苦手でありますので、この季節のノルドにあまり長居できません。そこで、ここは切り上げて次はスコットランドへ渡ろうと思います。
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2217年1月5日

予告していたとおり、23世紀世界旅行の最初の地イスランド〔アイスランド〕へやってきました。氷の島という名称どおり、寒いですが、ここの冬は日本の豪雪地帯ほど寒くもなく、積雪も少ないというのは意外です。ただ、冬の日照時間が短く、長く暗い冬となります。

ここへ来るのは二度目です。一度目は23世紀にタイムトラベルしてきた三年前でした。なぜかというと、ここイスランドはタイムマシン管理局が所在する所だからです。イスランドと言えば、ジュール・ヴェルヌの有名なSF小説『地底旅行』の入り口としても有名ですが、まさにタイムトラベルにふさわしい地球の果てのような景観に恵まれた場所です。

タイムマシン管理局とは、その名のとおり、タイムマシンで過去の世紀からやって来る者の出入りを管理する関所のような場所と理解すればよいでしょう。実は、このタイムマシン管理局の存在は秘密になっており、その存在をみだりに漏らしてはならないのですが、ここでは特別に明かしてしまいます。

かつてのアイスランドは小さいながらも独立した島国でありましたが、現在ではスヴェディーオ〔スウェーデン〕、ノルヴェジーオ〔ノルウェー〕、スオミーオ〔フィンランド〕、ダンランド〔デンマーク〕、エスキモーの地グロンランド〔グリーンランド〕とともにノルド(北欧)合同領域圏という統一体にまとまっています。

合同領域圏とは、複数の領域圏が協約に基づいて合同し、重要政策を強調的に執行する体制であって、連合領域圏に比べると、緩やかな結びつきとなっています。イスランドもそうした合同領域圏の加盟領域圏として、独自の地位を有します。

23世紀は、自動車も水素燃料によるなど、水素の利用が普及していますが(過去記事参照)、歴史的にイスランドはそうした所謂「水素社会」の最先端であり続けており、環境的持続可能性に立脚する未来社会のモデル領域圏でもあります。

そうしたことから、イスランドは小さな領域圏でありながら、地球全体を束ねる世界共同体の環境シンクタンクの性格を持つ「持続的可能性研究センター」が所在するほか、火山活動が活発な火山島であることから、火山研究の最先端でもあるとのこと。

かつてはアイルランドと混同されるような地味な小国でしたが、モデル領域圏となった現在のイスランドは、移住者や公務等での長期滞在者が増えた結果、人口が三倍近くに増加して現在90万人ほどに達しており、結構活気に満ちた島であります。

23世紀に到達した三年前には、イスランドからノルヴェジーオを経由して一気に郷里である日本へ飛ばせてもらったのですが、今回はここイスランドから欧州を南下する道をたどります。とりあえず、次は再びノルヴェジーオへ渡ってみることにしましょう。
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2216年12月22日

23世紀未来社会に飛んできて、3年が過ぎました。かつて触発されたウィリアム・モリスの『ユートピアだより』では、主人公が体験したユートピアはすべて夢であったことが最後に暴露され、現実世界に引き戻されるという残念なオチで終わるのですが、こちらのタイムトラベルはまだまだ続きます。

ただ、これまでは、主として日本の様子を中心にご報告してまいりましたが、そろそろ話のネタも尽きかけてきましたので、来年からは、海外に目を向けた連載をしようと思います。以前のたよりでもご報告したとおり、23世紀には国家とか国境といった概念はなく、各領域圏の出入りは原則自由です。

しかも、貨幣経済は廃されており、旅客機・客船を含む公共交通機関の利用はすべて無料乗り放題。ということで、無一文で飛んできた私のような者でも自由に世界を飛び回れるのです。そこで、来年以降は23世紀世界一周旅行に出ようと思います。今度は23世紀のガリバー旅行記です。

ところで、これも以前のたよりでご報告したように、23世紀の世界公用語はエスペラント語です。そのため、世界共同体を構成する各領域圏名も公式にはすべてエスペラントで表記されます。例えば、日本ならヤパニーオとなります。

そこで、本旅行記では領域圏名を原則としてエスペラント読みで片仮名表記しますが、21世紀の読者にはわかりにくくなりかねないため、さっそく以下に示すとおり、エスペラント表記の後に〔〕書きで日本語での旧称を付記することとします。

そのうえで、回り方の予定ですが、北辺の氷の島イスランド〔アイスランド〕から―なぜイスランドからなのかは次回ご説明します―始め、欧州を南下して21世紀とは最も激変したアフリーコ〔アフリカ〕を縦断していきます。そこから、西アジーオ〔アジア〕に入って東へ進んでいこうと思います。

ただし、これまでと同様、文字情報のみで、写真は掲載できません。なぜなら、文字情報を200年遡ってそちら21世紀へ送信することはできるのですが、画像情報についてはできない仕組みになっているためです。それが技術的な限界なのか、政策的な通信統制なのかは不明です。

というわけで、23世紀未来世界の様子をビジュアルにお伝えすることはかないませんが、できるだけイメージが浮かぶような文章表現を工夫しながら、ご報告していきたいと考えています。更新ペースは引き続き不定期のため、閑散としたものとなるでしょうが、お許しください。それでは、また来年。
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