カテゴリ:生活( 21 )

2216年4月16日

ペット動物の形をしたロボペットというものはそちら21世紀でも開発されているようですが、まだ普及するには至らず、ペットと言えば圧倒的に生身の動物のペットが多いと思います。23世紀にはそれが逆転しています。

つまり、生身の動物をペットとする人は少なく、ペットの多くはロボペットなのです。理由としては、以前のたよりでもご報告したとおり、23世紀には動物権利法により動物の保護が格段に強化されているため、ペットの飼育に関しても厳しい法的制約があることです。

その点、機械であるロボペットは動物権利法が適用される「動物」には当たらず、毎日の餌やりすら必要なく、不要になればゴミとして廃棄することも可能なため、生身の動物に代わって普及しているようです。

しかも、ワンコ、ニャンコのような典型的な愛玩動物に限らず、ライオンとかゾウ(ゾウはさすがに等身大よりは小型ですが)のような通常は個人で飼育不能な大型動物のロボペットまで開発されていて、実際そうした大型動物系ロボペットを「飼育」している人も結構いるようです。

これらのロボペットは外見上本物そっくりに作られているので、一瞬本物の動物がいるように見えます。また動物の毛や皮膚に似た感触の素材で作られているため、触ってみても本物感覚を味わえるのが特徴です。

ロボペットは電池で動かす仕組みですが、23世紀の電池は長持ちするため、普通の使い方ならば、何年間も電池交換せずに動かせるそうです。ちなみに、スイッチを押すと、鳴き声も本物そっくりに出る仕組みを備えているので、比ゆ的に言えば、剥製動物が実際に動き出すような感覚です。

もちろん貨幣経済ではありませんから、ゾウのような大型動物系ロボペットでも無料で入手できますが、一部の量産品を除き、ロボペットは専門工房による注文生産となるため、手元に届くまでには一定の時間がかかります。
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by komunisto | 2016-04-16 11:41 | 生活
2215年12月9日

整髪は、いつの時代でも暮らしに欠かせません。21世紀まで筆者は理容室を利用していましたが、23世紀には理容室というものがありません。整髪業はすべて整容室と呼ばれる一種のエステサロンに一本化されているからです。

整容室とは、旧理容室・美容室を併せたようなものと考えれば間違いないのですが、散髪、整髪に限らず、顔面のお手入れまで、要するに首から上の整容全般をやるので、整容室と呼ばれているようです。そこにいるのは、整容師と呼ばれる専門職です。

整容師も旧理容師・美容師を一人で兼ねたようなものですが、ヘアカット、ヘアスタイルに限らず、エステの技術も習得した職人で、かなり厳しい修練を要する公的資格となっています。

こういうわけで、昔のように男性→理容室、女性→美容室というふり分けはもはやなく、男女とも整容室を利用しています。もっとも、21世紀には男性も美容室に行くことが多くなっていたので、その延長上にこうした一本化があるのでしょう。

一方、旧理容室に似たものとして、頭髪院という施設があります。頭髪院とは、頭髪の衛生を専門とする施設で、主に脱毛治療や頭皮ケアを行なっています。担当しているのは、頭髪衛生士という専門職です。

頭髪衛生士は整容師とは異なり、あくまでも衛生的な観点から頭髪の問題を扱う専門職です。ただし、医師ではないので、薬物投与などの医療行為はできず、頭髪・頭皮の非医療的なケアをするのです。従って、医療を要する重症の脱毛症や頭皮疾患の場合は、医療機関にかかる必要があります。

ちなみに、西洋の理容師の起源は医師だったと聞きますが、現在の頭髪衛生士は医師ではないものの、衛生職なので、起源に一部立ち戻ったような感じでしょうか。

以上、大まかにまとめると、正常な髪のセットは整容室へ、頭髪・頭皮のトラブルは頭髪院へ、というのが23世紀流です。理容室と美容室のふるい分けが今ひとつわかりにくかった時代と比べると、すっきり合理化されていますね。
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by komunisto | 2015-12-09 09:36 | 生活
2215年7月30日

23世紀の社会における日常生活で20世紀のSF的な感覚に最もとらわれるのは、住宅設備です。住宅は過去200年間で最も大きく進化した生活手段であると言えます。といっても何からご報告すべきか迷うのですが、まずは玄関から。

かつて住宅には鍵が必需で、鍵をなくすと一騒動でしたが、23世紀住宅は鍵でなく、カードキーで開ける仕組みがすべての住戸に導入されています。もっとも、鍵も廃止されたわけではないのですが、鍵はカードキーを紛失した場合に備えた予備的開扉手段にすぎません(どちらか一方を紛失しても、セーフなわけですね)。

次に住戸内の光熱設備ですが、これらは音声入力により自動でオン/オフの切り替えをする方式が一般です。ただし、発声できない場合に備えて、手動スイッチも付置されていますので、どちらを使うかを選択することができます。また窓の開閉・施錠も音声入力による自動となっていることが多いようです。

こうした住宅IT化は実のところ、すでに前世紀までにだいたい整備されていたのですが、23世紀住宅の大きな特徴は、バリアフリー化が高度化していることです。先の音声入力もその一つですが、他にもあります。

例えば、私有以外の公営住宅のトイレ・バスは、初めから障碍者仕様に設計されており、障碍のいかんにかかわらず使えるようになっています。また屋内の段差がなく、ベランダとの境目もスロープになっています。こうした設計は、公営住宅の場合は法律で義務付けられているのです。

ちなみにバリアフリー化は、住文化的な面でも日本で長く保持されてきた靴を脱いで上がる習慣をほぼ一掃し、土足型に変化させました。これにより、日本家屋に付き物だった玄関の段差が消失し、車椅子のまま入室することも可能となっています。

さらに公営住宅の場合、家具などの調度品は初めからリユース品がセットで備わっており、すべて自分で導入する面倒はありません。ただ、必要なものを追加したり、どうしても気に入らない既設品を交換することもできるようになっています。

なお、私有住宅の場合、設備はすべて所有者が好みに合わせて設計できるので、上記のことは必ずしも全面的には当てはまりませんが、以前のたよりでご報告したように、23世紀における私有住宅の割合は全体の4割程度に減少しています。
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by komunisto | 2015-07-30 09:58 | 生活
2215年4月25日

先日、23世紀日本の持ち家比率は約40パーセントで、過半数の60パーセントは借家だというデータを見かけました。一方、そちら2015年に最も近い2013年度のデータによると、持ち家比率は約60パーセント、借家は約35パーセントとされていました(残り5パーセントは不明)。

この結果は、いささか意外でした。貨幣経済が廃止され、住宅建設も無料となった23世紀の今、大半は持ち家に住んでいるのはないかと想像していたからです。実際には逆で、この200年の間に持ち家と借家の比率はほぼ逆転していたことになります。これはどうしたことでしょうか。

いろいろ調べてみると、以前の記事でお伝えしたように、23世紀の社会では自治体が提供する公営住宅の制度が充実していることに行き着くようです。23世紀の公営住宅はもはや低所得層向けの福祉住宅ではなくして、より大衆的な一般住宅として普及しているからです。

それに加え、23世紀の環境的持続可能性に配慮された環境計画経済下では、土地私有制度が廃され、無計画な商業的宅地開発というものが一切行われておりません。個人が持ち家を建築する場合は、土地管理機構から土地を借り、指定された方法で環境調和的に施工しなければならないといった制約がかかります。

そういうわけで、現在マイホームを夢とする人はあまりおらず、よほどお仕着せの公営住宅では満足できず、自分の好みの設計で戸建てを建てたいという希望の強い人だけが、上述のような制約を甘受してでもマイホームを建てるようなのです。

ちなみに、21世紀には分譲マンション型の集合的持ち家というものもありましたが、23世紀にはこのような型の持ち家はほとんど聞いたことがありません。シェアハウスのようなものはあるようですが、それは普通の戸建て住宅を仕切って共有するようなタイプのものです。

また貨幣経済の廃止により、家を有償で貸して賃料収入を得るという賃貸事業も成り立ち得ませんから、民間の借家もほとんどなく、上述の60パーセントの人たちの大多数も公営住宅に居住していることがデータ上も示されています。

21世紀人からすると何と味気ない住宅事情よと思われるかもしれませんが、23世紀の公営住宅は画一的なコンクリート建築ではなく、外観・内装ともに芸術的な価値も十分に認められるようなお洒落な設計になっていますから、かえって下手なマイホームを建てるよりいいのかもしれません。
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by komunisto | 2015-04-25 17:24 | 生活
2215年3月2日

3月に入ったばかりで少し早いですが、かつて日本の3月は引越しシーズンでもあり、ある種の「民族大移動」の季節でした。21世紀の社会では依然としてそうだと思いますが、23世紀の現在、そのようなことはありません。

その理由として、昨年3月の記事でも報告したように、4月に入社・異動・入学が集中する「4月基準社会」は過去のもので、従って3月も引越しシーズンではなくなっているということがありますが、そればかりでなく、23世紀の人たちはそもそも引越しをあまりしないようです。

一般世帯の引越し理由で一番多いのはやはり転勤・転職だと思いますが、23世紀には転勤がほとんどありません。これは各地に支社や事業所を持つ大企業というものが消滅したことが大きいですが、大規模組織でも地元固定採用が基本のため、転勤に次ぐ転勤ということがないのです。

一方、23世紀の労働者はしばしば転職しますが―ある統計によると、平均して生涯に3.5回―、職住近接を基本とした労働紹介システムが完備しているため、転職する場合でも、近傍で転職するのが一般ですから、やはり転居の必要はないわけです。

その結果、23世紀は産業社会でありながら、農耕社会並みに定住性の強い社会となっているのです。考えてみれば、転勤・転職に伴って、あちこち転居して回るという生活スタイルは、まさに20世紀的な働き蜂社会そのものだったのかもしれません。

とはいえ、諸事情から転居する必要が生じ得ることは23世紀でも変わりませんが、引越しが少なくなった現在、かつて御馴染みだった引越し専門業者も見当たりません。短距離の引越しなら、親族・友人などを頼んで個人的に転居作業する人が多いようです。

すると、21世紀からタイムトリップして来た筆者のように23世紀社会に親族・友人の少ない人間はどうすれば?探してみると、ボランティアで引越し作業を手伝う団体があるようで、こういうところに頼むしかないようです。
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by komunisto | 2015-03-02 18:08 | 生活
2214年9月11日

23世紀には路面電車の復活と普及が顕著なのですが、我が市でも、かつてはバス路線だった隣の市までの路線が路面電車(エスペラント語でトラモ)に置き換わっていたので、子どもみたいですが、用もなしに試乗してみました。

出発点は地元幹線鉄道の市中心駅前です。一時間に二、三本しかないのはバス時代と変わらないようですが、路面電車ですから、当然線路が敷かれています。ちなみに、以前報告したとおり、貨幣経済ではないため、運賃という制度もなく、無賃乗り放題です。

ただし、運賃はなくても、切符はあります。正確には乗車証明券と呼ばれるのですが、一回券と定期券とがあり、乗車の際、停車場備え付けの機械に通すか、機械のない停車場では乗務員にスタンプを押してもらいます。

しばらく待ってやってきた電車は一両の単行運転ですが、ワンマンではなく、車掌が乗務しています。これも報告したように、人減らしの「合理化」という発想は23世紀にはありません。また女性の鉄道員も常識で、試乗した時の電車はたまたま運転士・車掌ともに女性のコンビでした。

さて、近代的に整備された駅前を出発した電車は、少し行くともう市街地を抜け、田園地帯に入ります。地方市とはいえ、資本主義時代には郊外まで宅地開発が進み、田畑も消滅しかけていたのですが、今は郊外に田畑や林が復活してきています。

地方市のさほど広くない道路上を自動車と併走するため、広い隣市駅前以外は単線が基本で、途中上下線の行き違い可能な複線の停車場は一箇所だけでした。

電車はゆったりしたスピードで田園地帯を進み、次第に隣接市の市街地に入っていきます。隣市駅前に出る乗客が増え始めたと思うと、もう終点に到着です。この間、上下線交換待ちや信号待ち時間を含め、40分ほどの「旅」でした。
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by komunisto | 2014-09-11 09:19 | 生活
2214年9月1日

23世紀の生活で特徴的なことの一つは、冷蔵庫・洗濯機等の日用大型家電がすべて義務的リユース制となっていることです。その他の家電製品やガス製品、家具などの調度品についても任意のリユース制があり、広く利用されています。

この種の家財道具はすべて自前で購入、所有、廃棄することが常識だった21世紀以前の人間にとっては、前に誰が使用したとも知れないリユース製品を強制的にあてがわれることには抵抗を感じるかもしれません。

こうしたリユース制は品不足でやむを得ず導入されているのではなく、省エネと粗大ゴミ抑制のためです。23世紀の世界は環境保全を個人レベルの意識任せにせず、政策的にも強制します。そのため、大型家電のような製品については省エネ設計製品のリユースが強制され、個人的に所有、廃棄することは制限されているわけです。

リユース製品は市町村の循環事業部が製造事業者と連携して、貸し出し、修繕、更新などの管理業務を一元的に行なっていますから、住民は所帯を構えるに際しては、まず循環事業部に連絡して、製品の手配をしてもらいます。リユース契約はおおむね三年ごとに更新され、空きがあれば製品を変更してもらうこともできます。

上述したように、大型家電は強制リユースですが、任意のリユース製品も同様に市町村循環事業部で扱っていますから、主な家財道具一式すべてリユースという人も結構いるようです。

ちなみに、商業活動が廃された23世紀にはかつて家電を専門に扱っていた量販店とか、家具などの調度品を扱う大型ホームセンターのような施設は存在しません。ただ、循環事業部の倉庫兼事務所は旧ホームセンターのように製品を陳列して、選べるようになっていますが、陳列されているのはすべて見本で、直接入手することはできません。

現在、我が家でも家電はすべてリユースでまかなっていますが、品質・性能に特に不満感はなく、むしろ修繕も無償かつ迅速、引き取りも自治体がすべて行ってくれる点、一点ずつ購入し、処分しなければならなかった私有制より便利です。
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by komunisto | 2014-09-01 10:23 | 生活
2214年7月28日

23世紀の生活で大変重宝することの一つに、住生活サービスの充実があります。生活していれば家電の故障から水漏れ、蜂の巣まで、さまざまな生活トラブルに遭遇しますが、そうした場合、行政の住生活サービスに電話するとすぐに対応してくれるのです。

こうした総合窓口は全市町村に設置が義務づけられており、地元S市では「住生活総合課」が正式名称ですが、通称で「なんでもやる課」と呼ばれています。

なんでもやるとはいっても、違法行為や公序良俗違反の依頼を受けないのは当然として、警察や消防が対応すべき事案や保健所管轄事項の依頼も引き受けません。また家電の修理のように専門業者でないと安全確実に実行できないような作業についても、専門業者への連絡手配をするだけです。

そういう制限はあっても、自分で営利系の対応業者をいちいち探さなければならず、中には運悪く悪徳業者にひっかかってしまうこともあった200年前より利便性に富む行政サービスだと思います。私も23世紀に飛んできてからすでに何度か「なんでもやる課」の世話になっています。

このなんでもサービス行政はおそらく昔の「すぐやる課」のような即応生活行政を発展させたものと思われますが、予算という貨幣経済特有の金銭的な枠に縛られた縦割り行政システムの中では十分に展開できなかった総合生活行政が、共産主義社会になって本格的に実現したのです。

本来、サービス―23世紀にはエスペラント語由来の外来語で「セルボ」と言われます―とは奉仕のことで、行政サービスとは行政による住民への奉仕にほかならないのですから、「なんでもやる課」のような総合生活行政こそ、本来の行政の姿なのかもしれません。
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by komunisto | 2014-07-28 10:09 | 生活
2214年7月13日

田舎で自給自足生活を送る21世紀の読者S氏から、23世紀共産主義社会でも量産既製品の供給体制が続いているなら、それを無償化しても既製品頼みの資本主義時代と本質上変わらないのではないか、という問題提起のお便りをいただきました。

たしかに23世紀社会は完全自給自足社会ではありません。生産様式は変わったものの、基本的な生活物資については量産既製品の供給体制が続いております。その点では、原始農耕共産社会とは大きな違いがあります。

ただ、資本主義時代と全く変わらないかと言うと、現在では職人的生産方式が復活しており、家具とかインテリア関係の調度品や服飾などは職人工房で製作され、注文生産も行われます。以前の記事でご報告したように、自家用車までもが注文生産方式となっています。

食品関係は、消費事業組合を通じた地産地消政策の定着により、地方的な特色に富んだ品揃えになっています。そのため、かつてのように全国どこの店(供給所)でも同じメーカーの規格品を扱っているということはありません。

S氏のように、主義として自給自足生活を送っている人たちも増えています。計画的な職業配分制度のおかげで、職住近接が実現しているため、田舎に住んで半自給自足のような生活をすることはしやすくなっているからです。 

特に農業共同化の現場である市民農場では週末だけのパート農務員も雇用していますから、週末農業に従事する人は多いようです。農務員は農産物の一部を自家用に収取する権利が認められるので、その限りでは自給的な暮らしになります。

このように、完全な自給自足生活を理想とするなら、23世紀共産主義社会には不徹底の不満があるかもしれませんが、むしろ分業体制を維持しながら自給自足的な要素を取り入れるという不徹底さに長所があると見る余地もあるように思われます。
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by komunisto | 2014-07-13 09:16 | 生活
2214年5月24日

23世紀社会は労働が無償化されている、つまりあらゆる仕事はボランティアであるということはたびたびご報告していますが、21世紀の読者から、皆がタダ働きなのに働く意欲を維持していけるとは信じ難いとの疑念が寄せられています。これは私が下手に解説するより、実際に労働者の言葉を紹介したほうがよいでしょう。

Aさん(清掃員)
「仕事の報酬を得たいとは思わない。報酬がないと働かないなんて、動物並みね。清掃の仕事は大変な面もあるけど、環境美化に貢献しているっていう自負が支えよ。」

Bさん(教師)
「子どもの教育は、本来無償のものです。もしこの仕事に報酬があるとすれば、それは教え子がしっかりした大人に成長してくれるということに尽きます。」

Cさん(アーティスト)
「30歳過ぎまで、夢を追っていました。定職がなくても食べていける社会だからこそできたことで、そうじゃなかったら、とっくに夢を諦めていますよ。アートに報酬は必要ない。」

Dさん(私企業員)
「事務の仕事をしています。毎日パソコン画面に向かう単調な仕事ですが、半日しっかり働いて、半日は趣味のサッカークラブでサッカーを楽しむ生活はバランスが取れていて、満足しています。」

Eさん(医師)
「昔の医師は高収入を誇ったというけれども、収入目当てで医師になるなんて信じられない。医師の仕事は患者を治し、病気を予防すること、それが同時に医師としての報酬ではないか。」

Fさん(大工)
「これまで何度も転職を経験してるよ。大工になったのは40代から。腕を磨くことが職人魂で、依頼人が喜んでくれることが報酬だよ。」

Gさん(管理職公務員)
「報酬がないと、管理職を目指すモチベーションがなくなる?それは多少あるでしょうが、今の管理職は地位が高いというよりも、責任が重いのです。報酬で釣ろうとしても無理でしょうな。」

Hさん(介護職)
「介護の仕事は大変ですが、短期で辞める人は少ないです。みんな人のお世話が大好きなので、続けています。報酬はお年寄りの感謝の言葉や満足したお顔でしょうか。」
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by komunisto | 2014-05-24 09:42 | 生活