カテゴリ:経済( 29 )

2216年5月21日

前回も少し触れたように、23世紀の旅客機にはファースト―ビジネス―エコノミーといった座席の等級はなく、原則としてすべてが旧ビジネスに相当する座席で統一されています。そしてもちろん・・・全席無料です。

その代わり、一定の区画を貸切とするサービスがあります。これは一定区画を貸し切って専従の客室乗務員が付くサービスで、当該区画には関係者以外の出入りができない構造になっています。公人や著名人の旅行にはよく利用されるようです。

ただし、これとて、座席の形態はビジネス相当であり、他の一般開放席より特別に上等というわけではなく、主として利用者のプライバシーとセキュリティーを考慮した特別サービスという性格を持ちます。

ちなみに、これとは別に、全席旧ファーストクラス相当の「豪華旅客機」というサービスもあります。これも無料で利用できますから、当然希望者は殺到し、チケットの予約はびっくりするような高倍率での抽選になります。

他方、通称エコノミークラス症候群の病名に使われる不名誉を甘受していた旧エコノミークラスのような詰め込みサービスは存在していません。あれは資本主義時代のコスト削減、薄利多売的な発想で生まれた人体にも不健康なサービスであったのです。

要するに、23世紀の旅客機には、富裕層―中間層―庶民層のような社会の階級をそのまま航空機内に持ち込むような等級付けサービスは存在しないと言えます。

もっとも、以前のたよりでご報告したとおり、商業活動という営為が消滅した23世紀には、高速ながら景色を楽しむ余裕のない旅客機はさほど利用されなくなっており、むしろ客船の人気が高まっていることも事実です。
[PR]
by komunisto | 2016-05-21 09:54 | 経済
2216年4月23日

以前のたよりで、自治体ごとの公共災害備蓄制度についてご報告しましたが、こうした備蓄は個人のレベルでも行なわれています。すなわち、各世帯ごとに二週間分の災害備蓄と簡易トイレ装備が配給されているのです。

21世紀までの市場経済システムでは、個人レベルでの災害備蓄は各自が商品として予め購入し、常備しておくことが推奨されていました。しかし、当然ながら、商品の購入を義務付けることはできないのが自由市場経済でもありますから、実際に災害備蓄を万全に備えている世帯は限られていました。

実際、21世紀当時の私も、災害備蓄セットの購入を検討してみたことはありますが、一式セット販売では結構高価で、かといって個別に備えると不足品が出そうな気がして、二の足を踏んでおりました。

23世紀の共産主義計画経済では、災害備蓄は事前配給制ですから、簡易トイレを含む基本セットは全世帯にまとめて配給され、家族構成に応じた衛生用品等の追加品は申請によって個別に配給されることになります。この配給を拒否することはできません。

そのことについて罰則があるわけではありませんが、仮に災害備蓄の事前配給を拒否して、いざ被災した時に改めて配給を申請しても認められませんから、配給は間接的に強制されるに等しいわけです。結果として、全世帯に二週間分の災害備蓄が常備されることとなります。

ちなみに、世帯ごとの頭数に応じた二週間分ですから、家族の多い世帯では保存食や飲料水などは結構な量になり、置き場に困るといった話も聞かれますが、だからといってあえて拒否する人はいないようです。

図式的にまとめると、自宅避難の場合→配給災害備蓄で二週間生活、二週間超過や自宅倒壊等の場合→公共災害備蓄により救援、というシステムになります。市場経済ではなかなか実現し難い合理的な仕組みだと思います。
[PR]
by komunisto | 2016-04-23 10:56 | 経済
2216年3月5日

23世紀現在、労働者の働き方が大きく変化しています。その変化の中心は、労働時間の大幅な短縮にあります。そちら21世紀では1日8時間労働基準は変わらず、しかもそれを骨抜きにするような改悪で抜け道的な「残業」はかえって拡大しているとか。

こちら23世紀は1日4時間労働が基準です。つまりは、ほぼ半日労働です。但し、4時間はあくまでも「標準」であって、違反すれば罰則対象となる「上限」は6時間です。これにはさらに但し書きがついて、上限いっぱいまで労働させる事業所は、理由を付して届け出る必要があります。

一方、残業は「裁量」も含めて違法となります。つまり、労働者が好きで残業することもご法度なのです。そこまでしなくても? いいえ、そこまでしないと日本のような働き蜂社会では残業習慣はなくならなかったのです。

以上は一般的な労働の場合の原則であり、警察・消防や一部の医療関係のように24時間稼動を要求される公共性の高い労働分野では特例として6時間標準が認められています。それでも、21世紀までに比べれば短縮されていますね。

とはいえ、原則4時間では相当多くの労働者を動員する必要があるのではないかと思われるのですが、ワークシェアリングによるシフト制が多くの職場で採用されていて、昔なら一人の労働者が一日通しで担当していた仕事を二人に分けるといった場面は多いようです。

労働効率という点では一見、資本主義的オーバーワークのほうが勝っているようですが、実はオーバーワークはかえって労働者の疲弊による生産性低下の原因でした。現在、あらゆる仕事は無償労働ですから、人件費節減圧力はなく、オーバーワークならぬオーバースタッフは当たり前です。

それにしても、皆さん無償でよく働く気になるものだとは旧世界人の感慨であって、23世紀人たちは半日労働ならタダ働きでも苦にならないようなのです。腑に落ちない21世紀人もいらっしゃるでしょうが、200年という時間の経過とはそういうものです。
[PR]
by komunisto | 2016-03-05 14:38 | 経済
2216年1月23月

そちらでは廃棄食品の横流し事件が大きな波紋を呼んでいるようですが、こんな話は23世紀の現在ではあり得ません。なぜなら、現在では消費も計画経済によって適正にコントロールされているからです。

問題になっているような日常食品は、23世紀のシステムでは、消費事業組合と呼ばれる公的組織が一括して分配します。消費事業組合は地方圏(例えば東海地方圏や東北地方圏等々)ごとに設置される協同組織ですが、同時に消費計画機関でもあります。

消費事業組合は、その管轄地方圏の住民なら自動的に加入する仕組みで、住民権の中に組合員資格も組み込まれています。最高議決機関は組合員総会ですが、組合員数が多いため、総代制度が採られています。

消費計画案の策定は第一次的には事業組合の計画委員会が行ないますが、消費計画は中央における3か年計画を参照しつつ、毎年更新される1年計画として策定されます。基本的に地産地消主義のため、地方圏住民の世帯数を基準に日常食の生産量や製品概要が決められます。

製品開発に当たっては、組合員でもある消費者からの企画も募集され、環境や健康に配慮しつつ、栄養士や調理師も加わった開発委員会―その内部は製品の種類ごとに分かれていますが、食料品は食品部が担当―で決定されます。

計画委員会が策定した計画案は組合員総会に上程、審議の末承認されれば、最終的に地方圏の議会に相当する地方圏民衆会議に付託され、承認審査を受けます。そこで承認されれば、諸費計画が正式に発効します。その後、消費計画に基づき、消費事業組合と提携する生産協同組合に委託して生産がなされます。

このように厳密な計画の下に食料品を含む消費財の生産・分配がなされるため、廃棄物も最小限に抑えられ、また廃棄・リサイクルのプロセスも計画的にコントロールされますから、横流しの余地もメリットもありません。

とはいえ、以上はあくまでも冷凍などの既成食品に関するものですが、23世紀の社会では既成食品は比較的消費期限の長い保存食的なものに限られています。社会の仕組みの変革により、食品は再び第一次的な食材を使って各家庭で料理する古来の食習慣が復活してきているので、そちら21世紀ほど既製品に依存していないのです。

というわけで、廃棄食品横流し事件は、料理をしなくなった既製品依存かつ過剰生産の飽食社会という、ある意味では資本主義的な食の異常が引き起こした不祥事でもあると言えるのではないでしょうか。
[PR]
by komunisto | 2016-01-23 11:00 | 経済
2215年10月28日

かつてアマゾンやニューギニア、インドのアンダマン諸島などにごくわずかながら、石器時代の生活様式を維持し続ける文明非接触部族と呼ばれる集団がいました。「文明世界」でも貨幣経済が廃止された23世紀、かれらはどうしているのか、気になり調べてみました。

すると、もはや非接触部族というものは存在しないことがわかりました。それは「文明世界」によって踏査・征服されたからではなく、かつての非接触部族たちのほうから接触を求めてきたためだといいます。

非接触部族が長く接触を断っていた理由は、ジャングルの奥深くに住む生活様式のせいもあったでしょうが、それ以上に「文明世界」の貨幣経済から独自の自給自足経済を防衛するという意味もあったようなのです。

たしかに、かれらがひとたび貨幣経済圏と接触を持ってしまえば、部族は貨幣経済に取り込まれ、しかも経済計算に疎いために「文明人」に騙されたり、人身売買の餌食にされたりする運命が待ち受けていたでしょう。

ところが、世界大革命以降、「文明世界」でも貨幣経済が廃されたことで、かれらも長い防御体制を解除することができるようになったのです。といっても、ジャングル生活を捨てて町へ出てきたというわけではなく、ジャングルで伝統的な自給自足を続けながら、町とも交流を持ち、物々交換などをするようになったということです。

面白いことに、従来の「文明世界」に属する地域でも、農漁村では自給自足が再び成り立つようになり、実際に自給自足生活を営む農漁民は増えています。また農漁村に別荘を持ち、週末や休暇の時だけ自給自足を営むというようなライフスタイルも観察されています。

このように、23世紀の社会は計画経済を中核とした「文明世界」の裾野に自給自足経済も包摂されるような構造をしているのですが、こうしたことが無理なく可能になっているのも、「文明世界」が貨幣経済を放棄したことが大きく関わっているのだとわかります。
[PR]
by komunisto | 2015-10-28 12:28 | 経済
2215年9月4日

23世紀は地球規模で貨幣経済が廃止されているのですが、一方で物々交換市場はかなり広範に存在しています。特にインターネット上の電子交換市場は内外に無数にあります。その最大級のものは、北米系のアマゾンクラという電子市場です。

クラとは、本来パプアニューギニアの経済慣習である儀礼的な交易のことで、一般的な物々交換とは概念的に違うらしいのですが、この電子市場で行なわれているのはネットを介した一般的な物々交換です。

アマゾンクラではあらゆる物品が日々交換されており、イメージとしては資本主義時代の電子市場アマゾンのようなものと考えればよいでしょう。実際、アマゾンクラは旧アマゾンを前身の一つとする企業体だそうです。

こうした海を越えた大規模な物々交換サイト以外にも、領域圏内部の大小様々な物々交換サイトが存在しており、電子物々交換はITと有史以前からの物々交換慣習とが組み合わさった現代的共産主義にふさわしいシステムだと思います。

オンライン上の電子市場とは別に、伝統的な青空市型の物々交換市場もありますが、これはどちらかというと、古着などの中古品の交換市場として活用されていることが多いようです。

これらの一般的な物々交換市場では、物々交換に供せられる物品の種類や数量が決められていることが多く、特に相手が見えない電子市場の場合はそうした交換ルールの適用が画一化されていて、交渉の余地がないため、実質上は貨幣交換に等しいとみる経済学者もいます。

ただ、個人運営の電子市場や顔の見える相対取引となる青空市場の場合は、交換ルールが画一化されておらず、何と何をどれだけ交換するかについて、個別的な交渉の余地があるようです。

ちなみに、前回のたよりでもご報告したとおり、通貨としては廃止された古物としての貨幣の物々交換市場もありますが、この場合に交換される貨幣は貨幣経済における交換媒体としての通貨ではもちろんなく、あくまでも古物としての扱いとなります。
[PR]
by komunisto | 2015-09-04 11:45 | 経済
2215年7月18日

先日、中央民衆会議議事堂のある名古屋までリニア高速線で東京から50分と書きましたが、このリニア高速線とは、そちら21世紀初頭の日本で政治問題化している中央新幹線のことではありません。これは旧「東海道新幹線」です。

23世紀のリニア高速線は、既設の全新幹線網を継承・統合する形で、東京と新大阪を基点に北端は旭川、南端は鹿児島中央までを一本に結ぶリニア高速線網に整理されており、「新幹線」という呼び名も「リニア高速線」に改称されているのです。

一方で、反対運動を押していったんは開業にこぎつけたリニア中央新幹線のほうは、革命後に廃止されました。理由は、環境破壊問題や地下鉄区間が多く、観光的にもマイナスだったことです。要するにリニア新幹線を新設することは経済合理性を欠くと判断されたのです。

そこで、革命後に、既存新幹線のオール・リニア化事業という形で、リニア高速線網の建設が始まりました。しかし、ほとんどの区間が高架線である既存新幹線をリニア化するというのは、大胆な計画のように思われますが、どのように克服したのか。

まず、何度も指摘してきたように、貨幣経済が廃されたことで、建設費の負担に悩む必要がなくなったことがあります。また中央リニア線で問題とされた超高速走行に伴う風切り音問題は、超高速走行区間を最小限にとどめるという実に単純な方法で解決したのです。

それでは夢の超高速走行というリニアの利点が生かされないのでは?と思われるかもしれません。しかし、以前のたよりでもご報告したように、23世紀の社会は徒にスピードを追求しません。リニア高速線にしても、例えば富士山付近のような風光明媚区間に到達すると、指定速度を落として走行したりします。

23世紀のリニア線の標榜最高可能速度は時速700キロに達していますが、実際の指定最高速度は600キロに抑えられ、しかも600キロ走行区間は人家が少ない区間などに限定されています。全体の平均時速は400キロ程度とされます。

とはいえ、リニア高速線で東京から名古屋まで50分ですから、旧新幹線の約半分の速達です。新大阪‐名古屋間はわずか30分弱ですから、中央民衆会議代議員の中には「リニア通勤」している人も少なくないとのことでした。
[PR]
by komunisto | 2015-07-18 09:46 | 経済
2215年7月6日

23世紀世界の最大の目玉は、計画経済です。これは日本に限らず、かつては強固な資本主義大国であったアメリカを含め、全世界で行なわれています。世界共同体は、そうした計画経済の司令塔的な役割も果たしています。

計画経済の具体的なやり方は世界共同体を構成する各領域圏によって若干の違いはありますが、通常は経済計画評議会(以下、評議会という)という会議体が担っています。言わば、計画経済の最前線です。評議会の審議は公開されており、先日見学してきました。

評議会の議事堂は東京ではなく、横浜にあります。一見すると、議会の議事堂のようです。実際、評議会は基幹産業分野の企業体の代表者で構成される一種の議会のようなものであり、官庁ではありません。

議場も議会のようなセッティングになっており、各評議員がそれぞれの個別計画案を持ち寄り、それをめぐって審議し、最終的な総合計画案に仕上げていきます。内容的には、経済政策限定の議会のような観があり、それなりの知識がないと理解が難しい高度な審議をしていました。

評議会は官庁ではないとはいえ、事務局を擁し、ここには環境的な観点から経済分析をする専門家である環境経済調査士という資格を持つ専門員が配置され、経済計画に必要な統計資料の作成・提供などの補佐業務をこなします。審議にもこうした専門員が参考人として出席し、求めに応じて詳細な統計などの報告を行なっていました。

計画経済は三か年計画を基本としているため、評議会の本会議が開かれるのは三年に一度ですが、評議会は計画期間中も経済計画の実行をモニターする責務を負い、必要に応じて計画を修正することもできるため、常設会議として機能しています。

ちなみに、23世紀における議会に相当する政治的な代表機関は民衆会議であり、こちらは名古屋に所在しています。民衆会議と評議会の関係は二院制的なものとされますが、民衆会議優越原則により、評議会の計画案が発効するには、民衆会議の承認決議を要します。

評議会は専門性の高い会議のせいか、傍聴人はまばらで、ほとんどは民間の経済専門家や研究者らしき人たちでしたが、野次などの不品行は一切なく、まるで専門学会のような高品質な審議が行なわれていたのが印象的でした。
[PR]
by komunisto | 2015-07-06 09:15 | 経済
2215年6月30日

そちら21世紀にはデフォルト問題など、何かとお騒がせで、ややお荷物的な立場になっているらしいギリシャですが、23世紀の現在、ギリシャは平穏な地中海の領域圏として人気です。

資本主義の時代、たしかにギリシャは優等生とは言えませんでした。理由はよくわかりませんが、のんびりした地中海の代名詞のような風土と気風は、生き馬の目を抜く競争の資本主義市場経済ではどうしても落ちこぼれ気味だったのでしょう。

それが貨幣経済が廃止された23世紀となりますと、俄然立場が変わりました。のんびりゆったりのギリシャ的なものは、一つの模範と考えられています。必要な物を必要なだけ生産し、あとはゆっくり休み、質素な生活を楽しむのです。

共産主義計画経済の時代、元劣等生のギリシャは優等生です。ただ、経済計画はやや大雑把で、需給関係のバランスを崩すことがたまにあるようなのですが、それもギリシャ流ということで、さほど問題視されないようです。

一方、かつて資本主義の優等生だったアメリカや日本、ドイツなどは、共産主義の時代にも健在ですが、どちらかと言えば地味な存在であり、ギリシャのほうが先進領域圏とみなされることもあるようです。

ちなみに、ギリシャは観光地として相変わらず人気ですが、老朽化してきた遺跡保護の規制が厳しく、観光名所の多くが立ち入り禁止となっています。この点も、めぼしい産業がないため、遺跡を売りに観光をドル箱としていた時代とは事情が異なります。

劣等生の時代からギリシャを贔屓にしていて、応援していた者としては、今、ギリシャが新しい時代の代表として評価されているのを見ると、駄目だった子の成長を見る親のような心境です。
[PR]
by komunisto | 2015-06-30 16:28 | 経済
2215年5月7日

23世紀の経済史の本によると、日本社会では永く年功序列が維持されていたところ、21世紀に入ると能力主義が強調されるようになり、徐々に年功序列は崩れていったと説明されています。

2015年の日本はまだ過渡期と思われますが、2050年の日本では年功序列は完全に崩壊していたようです。ところが、2215年の今また年功序列は復活しており、ほぼすべての組織が年功序列によっているとされます。このような復古はなぜ起きたのでしょうか。

ここにはやはり経済体制の変化が絡んでいるようです。何度も報告しているように、23世紀は貨幣経済が廃止された共産主義体制をとっております。労働はすべて無償のボランティアにより、23世紀人は労賃というものを全く知りません。

能力主義とは労賃を年功に比例させず、能力に基づかせる方法をいうわけですが、結果として労賃によって定まる職階も年功でなく、能力によることになり、部下より年次が下の上司というものも存在してきます。

これによって、ある種和気あいあいとした雰囲気を特徴とした日本の組織―特に企業組織―は次第に殺伐としたものとなり、労働者のストレス障碍なども急増したと、史書には記されています。競争淘汰的な雰囲気が強まったせいでしょう。

ところが、賃労働が消滅した現在、能力を労賃に反映させることはそもそも想定できません。それでも、能力主義の職階制をとることはなお可能ですが、23世紀にはそういう習慣もないようです。職階も年功によるため、年次が下の上司はまずいません。

ただし、終身雇用習慣は廃れて久しく、転職は普通のことなので、ここで言う年次とは前職場での在職年数なども合算した広い意味での経験年数のことです。

能力主義が称揚されていた頃は、年功序列は組織の活力を失わせるなどと宣伝されていましたが、現在このような批判はありません。むしろ、年功序列は組織の安定と持続を担保し、労働者の心身の健康にも寄与するという効用が説かれています。

能力主義はまさに資本主義的な競争至上主義の哲学を前提とした資本主義的組織論であったのですが、競争ではなく協働を重んじる共産主義的組織論は安定的な年功序列を再発見したのでしょう。
[PR]
by komunisto | 2015-05-07 11:22 | 経済