カテゴリ:経済( 29 )

2213年12月21日

未来社会は農業のイメージと結びつきにくいと思われますが、農業は23世紀においても重要な産業です。しかし、200年前とはその仕組みが大きく変わりました。

日本では農業は長く中小の土地持ち農家によって家業化されていましたが、22世紀に革命が起きた頃には、中小農家の断絶は決定的となる一方、競争力を持った外国農産品の輸入による食料自給率の低下を商業資本による農業の集約化でカバーしている状況でした。

革命後の農業は、日本農業機構という単一の農業生産組織に集約化されています。言ってみれば、旧農業協同組合が統合されたようなものですが、組合組織ではなく、地方ごとに分権化されているものの、一個の生産企業体です。

前にご報告したとおり、土地は誰にも属しない無主物であることは農地に関しても同じですから、農業機構は土地管理機構から土地を永代借用して農業を経営しています。

末端の農地は市民農場として区画されており、農場長が管理しています。農作業はこの市民農場の職員という形で雇用された農務員が従事しますが、週末だけのボランティア農務員も存在します。

こうした仕組みはあたかも社会主義的な農業集団化政策のように見えますが、微妙に違います。農業機構は国営企業ではなく、社会的所有企業と呼ばれ、計画経済が適用される公企業の一環です。

農業生産は環境的持続可能性と食の安全を考慮した有機栽培によって行われ、効率のために遺伝子組み換え技術に頼ることはしません。一方で、天候による豊凶の変動を回避するため、栽培工場化が進んでいます。

また、貿易というものが世界的に廃された結果、農産品の輸入は限定的となり、特定不足産品の輸入制度がある程度で、食糧自給率は80パーセントまで回復しています。

こうした持続可能な農業の集約化により、農業生産は安定しており、農産の最前線を担う農務員は人気職の一つで、競争率も高く、希望してもなかなか就けないようです。
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by komunisto | 2013-12-21 10:46 | 経済
2213年11月10日

21世紀の世界から23世紀に飛んできて不思議に思ったことの一つは、23世紀の労働人口は21世紀より減少しているにもかかわらず、企業をはじめとする様々な組織体には働いている人がやたらに多く見えることでした。

実際、組織体のメンバー、職員数は多いのです。例えば、国会に相当する中央民衆会議の代議員は2000人もいます。これはかつての国会議員の3倍近い数字です。その他、下部機関の職員を含めると、1万人以上が中央民衆会議で働いています。

企業でも特にサービス業界の人員は多く、スーパーに当たる物品供給所などでもコーナーごとに人が配置される昔のスタイルが復活しているようですし、路面電車や路線バスでもとうに廃止されていたはずの車掌が乗務するのが通常です。

これには理由があり、今や組織体では「人減らし」ならぬ「人増やし」が合理的な経営方針とみなされているからです。

資本主義時代は人件費節約が至上命令でした。要するに少ない労働者を安い賃金で目いっぱい働かせて利益を搾り出すという経営方針こそが合理的とされていたのです。

しかし、人口減の中での共産主義的経営は労働者を無賃でできるだけ多く、ゆとりをもって使って社会的必要を充たすことが合理的とされ、いわゆる「ワークシェアリング」が、そういう用語も死語となるほどに常識です。

労働者がだぶついているように見えるのも、分業体制が高度で、かつ短時間勤務のシフト回転が頻繁だからです。これによって労災や過労死を防止する効果も得られると考えられています。

どちらが真に合理的かは一概に言えないかもしれません。資本主義で「人増やし」ができるのはよほどの好況かつ成長局面においてだけですが、それとて資本主義に付き物の景気循環でいつ不況に襲われるか確実に予測できない中では、「人減らし」のほうが合理的とも言えます。

しかし社会的コストの点から見れば、「人減らし」によって職にあぶれた人を失業保険や生活保護といった「セーフティーネット」で救済し、救済し切れなければホームレス化という資本主義は決して効率的とは言えませんでした。

基本的な衣食住が無償で充足される23世紀の経済社会では失業保険も生活保護も必要なく、ホームレス化もないということでは、一見非効率に見えて社会的コストは高度に節約されている点で効率的と評し得るように思われます。
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by komunisto | 2013-11-10 09:04 | 経済
2213年10月26日

これまで私は、23世紀の世界では貨幣経済が廃止されているとご報告してきましたが、最近そうした考えは誤っているとの指摘をある経済学者から受けました。

彼女―今や、経済学者の半数は女性です―によると、23世紀の世界ではたしかに通貨制度は廃止されているが、貨幣経済が廃止されたとは言えないというのです。

つまり物々交換の形でなお交換経済は続いており、それぞれの取引界で慣習化されている交換条件にあっては通貨の代わりに特定の物が貨幣と同じ働きをしており、また特定取引界だけで通用するクーポンのような媒介物も存在している以上、姿形を変えた新たな貨幣経済が発明されたにすぎないというのです。

彼女の考えでは、物々交換を含めた交換経済自体が廃止されない限り、真の意味で貨幣経済が廃止されたとは言えないが、強欲な人類は交換経済から手を引くつもりはないだろう。ゆえにいずれ通貨制度も復活し、かつてのドルに相当するような世界通貨も海を越えた交換経済を円滑にするべく再登場するだろうとのことです。

たしかに理論的に詰めていけばそういうことになるのかもしれません。ですが基本的な衣食住に関わる物とサービスに関しては物々交換でなく、無償供給制ですから、生存の根本のところでは交換経済は廃止されています。これは、まさに「生存権」が虚しい空理でなく、実質的に保障されていることを意味します。

文字どおりの貨幣経済下で四苦八苦させられた旧世界人からすると、やはり貨幣という一個の特殊商品が存在しないことの影響は大きく、貨幣を持たなくとも基本的な生活が営めるのは革命的と言えます。そうした重要な変革を軽視して、23世紀の世界をなお貨幣経済の延長とだけみなすのは、一面的であるように思えます。

ともあれ、23世紀の世界では様々な分野で手ごわい女性論客が珍しくなく、もはや「女性○○」という言い方をする必要がないのも、大きな変化ではあります。
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by komunisto | 2013-10-26 09:43 | 経済
2213年10月8日

23世紀の現在、世界が共産主義化されてもう1世紀近く経過しており、私のように旧世界からタイムマシンで飛んできた少数の人間を除き、100歳を超えた古老でも資本主義時代はまだ幼少で、ほとんど記憶に残っていないという時代です。

そういう時代にあって、資本主義への回帰を訴える運動も一部に存在します。先日、そうした運動に関わる人の話を聞く機会がありました。彼は50歳代ですから、生まれた時から共産主義社会で生きている人です。

その彼の意見では、資本主義時代のほうが自由かつ豊かであったというのです。当時は、資本家・経営者が自由な発想に基づいて多様なビジネスを展開し、投資家は財産の投資先を自由に選択し、運用できた。消費者は資本制企業が市場競争の中で開発・提供する豊富な商品・サービスを自由に選択購入し、自分らしい生活を楽しむことができた。そうした自由と豊かさを奪い取ったのが共産主義である、と。

しかし、資本主義時代の労働はしばしば過酷な労働条件に縛られた搾取的なもので、ひとたび貧困に陥れば豊富な商品・サービスも入手できず、生活苦にあえぐこととなり、運にも見放されれば野宿生活にすら落ち込んだのでしたが?

彼によればしかし、労働者も一念発起し、努力すれば条件のよりよい職を得られたし、運も味方につければ資本家・経営者に転身することもできた。貧困者は保護制度で救済され、再起するチャンスが与えられていた(それはどうでしょうか)。そうした個人の努力可能性を封じ、山も谷もない人生を押し付け、怠け者でも食っていける堕落社会を作り出したのが共産主義である、と。

しかし、資本主義は地球環境問題を解決することがついにできず、破局的な地球環境危機を招いたことが革命の要因でもあったのでは?

彼によればしかし、地球環境はわれわれの想像以上に強靭なのであって、資本主義的生産活動によって持続不能なほどに害されることはなく、環境危機を招いた主因は地球そのものに内在するものであったというのです。

さて、人間は経験したことのない世界を闇雲に理想化しがちですが、彼もまたその一人のようです。彼の言い分にはいくらか理もあることは認めますが、山から谷へ転落することもあり得た不安な時代を経験した私にはいささかナイーブなものに感じられました。
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by komunisto | 2013-10-08 13:58 | 経済
2213年9月26日

21世紀初頭の日本では福島原発の事故以来、電力供給のあり方が議論となり、電力事業の発送電分離や料金自由化、地域独占排除などの電力自由化推進が取り沙汰されていました。

そうした議論はしかし、当時モードであった新自由主義の立場から、規制の強い電力事業を市場に開放し、究極的には各家庭を含む電力受益主体が自由に電力会社を選べることを理想とする資本主義的「自由化論」でした。

23世紀の現在、電力供給は「日本電力事業機構」という単一の公益事業体が全土にわたって発送電すべてをまかなっています。おや、それではかつての地域独占を超える超独占企業体では?と思われるかもしれません。

ある意味ではそうなのです。しかし「独占」の意味が違います。未来の共産主義社会の独占は営利独占を意味せず、公益独占です。つまり環境的持続可能性を考慮した計画経済の一環としての「独占」なのです。

こうした「独占」は電力に限らず、他の基幹産業すべてで採られており、例えば「日本鉄鋼生産機構」とか「日本造船事業機構」などがあり、自動車ですら今や「日本自動車生産機構」が一括して自動車生産に当たっているのです。もはやトヨタも日産もありません。

このような生産体制は資本主義に慣れた者には理解しにくいところもありますが、計画経済が全世界に行き渡った現在では、これが世界標準モデルとなっています。

電力に話を戻すと、電力事業も「経済3か年計画」の中に組み込まれ、計画に基づき電力事業機構が日本中の電力供給を一括して担っているわけです。地方事業所はおおむね旧電力会社の所在地ごとに設置されていますが、長く東西で異なっていた周波数も統一され、電力融通供給の技術的な問題もクリアされています。

また以前ご報告したとおり、原発は全廃されているため、現在の電力供給事業は再生可能エネルギーで大半をまかなっており、風力や水力、太陽光、地熱など多種類の発電所が機構によって運営されています。
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by komunisto | 2013-09-26 09:57 | 経済
2213年9月14日

23世紀の未来社会へ飛んできて、21世紀までの旧社会で慣れ親しんでいた何かを見かけないという気がしていたのですが、それは広告でした。かつて溢れかえっていた商品広告を全く見かけないのです。

これはおよそ商業というものが廃止された以上、必然の結果です。すべての物品・サービスは無償で計画的に供給されるのですから、「買わせる」ための広告は必要とされないのです。

それどころか、いわゆる物品供給所では広告によって人が殺到することを防ぐために、かえって広告は禁じられているほどです。だから、どんな物品が入荷しているかは行って見なければわからないので、この点では時々スーパーの折り込み広告が入ってきた旧世界より不便な感じはあります。

それでも、毎日ポストに投げ込まれる広告の山に苦慮することはありませんし、たびたび番組を中断させるテレビCMや、インターネットの閲覧速度を落とす大量の広告バナーもなく、すっきりした印象です。

ちなみに広告がないということは、広告のキャッチコピーを考案するコピーライターという職業も存在しないことを意味します。

その代わり、電化製品を中心に物品の取扱い説明書は極めて明快で、そうした説明書を専門に執筆する職業が確立されてきています。かつてわかりにくさの象徴だった説明書が今や非常にわかりやすくなっていることは、「メカ音痴」にとっては助かります。

これは文化にも関わる重要な変化で、簡単に言えば、「広告・誘惑の文化」から「説明・納得の文化」への変革があったとまとめることができるでしょう。

ところで、今でも広告を唯一見ることのできる場所があります。それは美術館です。大きな美術館には資本主義時代の代表的な商品広告を集めた展示コーナーがあるのです。広告は今や、近代の古美術品として扱われているわけです。
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by komunisto | 2013-09-14 09:47 | 経済
2213年7月31日

23世紀未来社会の交通手段としては、列車と船の復権著しいのが特徴です。自動車と飛行機全盛の21世紀から飛んできた者にとってはレトロな感じもします。

旧世界先進諸国の代名詞であった「クルマ社会」は環境規制が強化された今や、すでに過去の歴史です。マイカーを持つ習慣も都市部ではほとんど見られません。日本の代名詞でもあった自動車産業も過去のものとなり、23世紀の日本はむしろ鉄道車両製造で世界トップクラスとみなされています。

バスは地方の町村部を除き、路面電車やライトレールに代替されつつあります。東京でも昔懐かしい路面電車網が復活しています。貨物輸送は地産地消経済の発達によりトラックによる長距離輸送が減少し、自動車と鉄道の組み合わせが主流となっています。

高速交通についてはいっそう進歩した高速航空機が登場しているものの、国際商業活動が行われていないため、世界の空を飛び回るビジネス客もなく、航空は観光と貨物輸送が中心です。ちなみに日本のご自慢・新幹線はすべて高速リニアモーターカーに転換されており、これも人気の高速交通となっています。

とはいえ、商業ビジネスが廃された結果、人々はあまり短時間・長距離の移動を必要としなくなりました。23世紀の人々はゆったりと時間をかけて景色を楽しむ移動を好むようです。

船旅が復権しているのも、そのためでしょう。旧世界では高価なブルジョワ的旅行であった船旅も今や無料。豪華客船にタダ乗りして世界一周旅行もあり、という時代です。 
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by komunisto | 2013-07-31 13:22 | 経済
2213年7月25日

未来社会のビジネスは、旧社会のそれとは異なり、金儲けを目的としていません。これはカネというものがそもそも存在しないため、当然のことです。

となると、ビジネスは何を目的とするのかと言えば、公益です。未来社会のビジネスとは公益事業です。すると、自動車製造やインターネット・サービスまで公益事業?という疑問が浮かぶかもしれません。

これらも公益事業です。自動車製造であれば自動車という交通手段の提供という公益を、インターネット・サービスであればインターネットという情報手段の提供という公益を目的としています。

資本主義の時代にはこうした事業はすべて金儲けを目的とする営利事業として展開されていて、それが「ビジネス」と呼ばれていたのですが、共産主義の未来社会ではむしろ非営利公益事業がビジネスなのです。

資本主義時代の営利企業の代表格は、株式会社でした。今、株式会社は存在しません。未来社会のビジネスを展開しているのは、社会的企業と呼ばれる公益事業体です。社会的企業には業務内容や規模に応じて種別があるのですが、ここでは細かい問題は省略します。

ところで、未来社会に営利事業は一切存在しないかと言えば、そうでもありません。公式のものとしては存在しませんが、伝統的な青空市やインターネット上の物々交換サイトが盛んです。中には事実上物々交換ビジネスを展開している人たちもいます。

貨幣交換はありませんが、その代わり物々交換は禁止されておらず、合法的な「ビジネス」です。物々交換なんてまるで先史時代に逆戻り?たしかにそうですが、インターネット物々交換は現代的・未来的ではないでしょうか。

というわけで、未来社会のビジネスは公式には公益事業、非公式には物々交換型の営利事業という二元的な混合経済のようになっています。

ちなみにビジネス界で働く人を特にビジネスマン/パーソンと呼ぶ習慣は消滅し、働く人はみな労働者=ワーカーです。もっとも、ワーカホリック(仕事中毒)はもはや存在しませんが。
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by komunisto | 2013-07-25 08:32 | 経済
2213年6月4日

前回、未来社会はすべての財・サービスが無償で供給される社会だと書きました。それはどういうことか、具体的な経験を書いてみましょう。一番わかりやすいのは、物品供給所での物品の取得方法です。

物品供給所とは、簡単に言えば資本主義社会の商店に当たるものです。しかし、そこで扱う物品は商品ではないから、商店とは呼ばれないのです。物品供給所にはいくつか種類があるのですが、そういう細かい話はおいて、スーパーに当たる「包括供給所」での話に絞ります。

「包括供給所」は今でも通称「スーパー」で、外観も内部もスーパーと変わりません。棚に並んでいる欲しい物品をまとめてカゴに入れます。ここまでは同じ。違うのは会計のレジがないことです。タダなのですから、会計も無用なのは当然でしょう。

とはいえ、すべてがタダでは独り占めされないか。ご心配無用です。取得できる物品には数量規制があるからです。例えば、りんごは一人何個までとか、肉は一人何グラムまでというように。陳列物品にはかつての価格表に代わって、こうした数量表が付けられています。

そのため、棚から取った物品をカゴに入れる際に、カゴに取り付けられた機械で物品名と数量を読み取り、データ化します。そして、最後に出口でカゴ内の物品を自動包装する際に最終チェックがなされる仕組みです。このチェックカウンターを通らないと外に抜けられず、保安ロボットに阻止されます。

しかし、何度も並び直すことでそうした数量規制をかいくぐれないか。ノーです。チェックカウンターでは顔認証システムが作動しているので、同一人物が数量規制を超えると警報が鳴り、ばれる仕組みです。

それでも、すべてタダでは人が殺到しないか。残念ながら、これはイエスです。物品供給所で欲しい物が切れる前に確実に手に入れるには並ぶ必要があり、整理券発行はしばしば見られる光景です。この点は、昔のスーパーより不便を感じる点です。

ただ、目下私の悩みはすべてがタダでもらえてしまうことによる罪悪感です。思わずポケットの中にあるはずもない財布という骨董品を捜してしまうことも・・・。貨幣経済の旧社会育ちの哀しい性でしょう。
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by komunisto | 2013-06-04 10:11 | 経済