カテゴリ:政治( 24 )

2216年5月28日

23世紀における「都市」という制度について、補足をしておきたいと思います。かつて「都市」と言えば、一般的に都会のことでしたが、現在「都市」とは、市でありながら、道と同等の権限を持つ地方自治体を指す法令用語です。

道とは地方圏と呼ばれる広域自治体で、21世紀までの都道府県をより大きなまとまりで束ねた単位。現在は12あります。それら道の内部に、道と同等の大都市が点在しているわけです。

道と同等ということは、警察・司法を中心とした秩序行政を担う自治体で、独自の警察・裁判所を持つということを意味します。ですから、例えば、福岡市警察とか福岡市裁判所といった「市営」の警察や裁判所もあるのです。

こうした「都市」は、東京、横浜、名古屋、大阪、広島、福岡、仙台、札幌の八つです。正式なものではありませんが、これらの都市にはそれぞれの特徴に応じ、学術都市(東京、仙台)、経済都市(横浜、大阪、福岡)、歴史都市(京都)、政治都市(名古屋)、北方都市(札幌)、平和都市(広島)といった通称があります。

東京が政治経済の中心ではなくなり、学術都市となっているのが過去200年の大きな変化です。政治は真ん中の名古屋へ、経済は横浜と大阪、福岡へ遷っています。ただし、経済と言っても、商業は廃されているため、経済計画機関の本部(横浜)と代表部(大阪、福岡)が所在することを意味しています。

これらの通称はあくまでも各都市の主要な特徴をとらえたもので、上記の八都市はいずれもその地方における中心市ではあるのですが、21世紀までに比べると、都市への機能集中は大きく削減され、バランスの取れた分散化が図られています。

ちなみに、21世紀までの意味合いで「村落」に対照させて「都市」と言いたい場合、23世紀の社会では「都会」という言い方をすることが多いようです。これには何だか昭和的な言い回しのような懐かしさがあるように思います。
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by komunisto | 2016-05-28 12:37 | 政治
2216年5月14日

そちら21世紀の日本では、首都の顔でもある東京都知事殿が豪勢な外遊や公用車の多用で批判されているようですが、23世紀の状況や如何? と言いましても、23世紀には比較の対象そのものが存在していないのです。

以前のたよりでもご報告しましたが、現在「東京都」という行政体自体が存在せず、旧区部だけが「東京都市」として独立しており、旧市町村部は旧神奈川県と旧山梨県を合わせた南関東道という別の自治体に組み込まれています。「首都」という概念もないため、東京は大阪や名古屋など複数ある「都市」の一つにすぎません。

従って、東京都知事という職も存在しないのですが、強いて対応する職を挙げれば、東京都市民衆会議議長がそれに当たります。これもたびたびご報告してきたように、23世紀の政治は中央・地方ともに民衆会議という民衆代表機関を中心に行なわれますから、地方首長にあたるのは、その民衆会議議長なのです。

その点、「都市」とは一つの市でありながら、地方圏=道と同格的な大都市を指しますから、東京を含む都市民衆会議議長は、強いて言えば知事のようなものです。とはいえ、議長職は当該民衆会議代議員の中から一年任期で選出され、本会議議事の進行役と幹部会に当たる政務理事会の主宰者を務めるまさに「議長」であって、知事のような行政長官職ではありません。

民衆会議制度は全世界的な共通制度でもありますが、海外の先進的な領域圏(国に相当する単位)にあっては、議長職を廃止して、完全な合議体制に移行するところも出てきています。議長職が名誉職的なものとなるにつれ、その存在理由が問われ、廃止されていくのです。

何かと「長」の付くポストを欲しがる風土が残る日本ではそこまでいっていませんが、都市の民衆会議議長といえども、一年任期の輪番制に等しい職であり、とうてい「顔」と言えるような大きな存在ではありません。外遊自体、まずしないでしょう。

仮に「都市外交」的な外遊をすることがあるとしても、貨幣経済が廃された現在、多額の経費を使った大名旅行はあり得ません。ちなみに、旅客機のファーストクラスなるものも現在は存在せず、すべてが旧ビジネスに相当するクラスです(代わりに区画貸切というサービスがあります)。

議長には公用車すらなく、移動する際は自家用車や公共交通機関を一般市民と同様に利用します。地位特権がないのは、「民衆会議」という名称にふさわしく、まさに民衆の政治・自治が行なわれている証左だろうと思います。
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by komunisto | 2016-05-14 10:00 | 政治
2216年2月6日

23世紀の世界で目立つ特徴は、敵/味方思考の消滅です。つまり、23世紀人は敵/味方を区別して争うという習性を持たないのです。この点では、ヒトという動物そのものの本質が根本から変化したようにも見えます。しかし、筆者の見るところ、それは本質的な変化ではなく、政治的・政策的な変化がもたらした結果と思われます。

とりわけ、政党政治の廃絶です。政党という党派集団を作り、権力の掌握を目指して抗争するという政治慣習が消滅したのです。これは地球革命の大きな成果でした。党派集団は敵/味方思考を強めます。当然ライバル党派は敵ですが、しばしば同じ党派内部でも党の指導権や路線をめぐり敵/味方の抗争が発生します。こうした敵/味方の峻別は時として流血事態や戦争にもつながります。

もっとも、抽選制による民衆会議の制度が地球的なスタンダードとして定着している23世紀にも政党は存在するのですが、現在の政党は政策提案を主とした政治クラブ的な団体であり、直接に政治に参加することはありません。

政党員がたまたま代議員に就任することがあっても―それは認められています―、代議員は会派を形成することが禁じられ、特定の政党や政治団体の利益代弁者として活動することも固く禁じられているため、政党の影響が民衆会議に流入することはないようです。

従って、民衆会議の審議も、そちら21世紀の国会審議の光景とは大きく異なり、与党と野党が激しく応酬するような場面はありません。基本的に円卓会議の形で、政策そのものを冷静かつ論理的に討議しています。

グローバルなレベルでも事は同じで、国というものがありませんから、大国が陣営を作って互いに抗争するというようなうんざりするパワーゲームはもう見られません。23世紀初頭の世界は対外戦争も内戦も知らない地球史上前例のない平和を享受していますが、これも敵/味方思考の消滅によってもたらされた理想状態と言えます。
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by komunisto | 2016-02-06 14:28 | 政治
2215年8月17日

21世紀初頭の世界では、世界各地で市民のデモ行動が盛んなようですが、23世紀の世界では同様のデモ行動はほとんど見られません。これはデモ行動が抑圧されているせいではなく、そもそもデモに訴えなければならないような不平不満がないからです。

デモ行動は市民の抗議行動の一形態ですから、デモの発生は抗議したくなるような施政がなされていることの証左です。いわゆる民主主義を標榜していても党派政治が行なわれていれば、党派的な不平不満は避けられません。

これまでにもしばしばご報告してきたように、23世紀には民衆会議を中心とした非党派的な政治が全世界に普及しているため、政治が党派的に左右されることはないのです。利害対立が起きても、抽選制の民衆会議で熟議され、中立的な落としどころが探られ、解決に導かれます。

23世紀の政治学者によると、民衆会議とは旧議会よりも裁判所に近いものだというのです。なぜなら、民衆会議は利害が対立する課題についても党派性抜きに審議し、中立的に結論を下すからです。

またデモによらなくとも、民衆会議への直接的な提議の手段が用意されているので、こうした民衆提議立法もよく行われます。そのように代表機関が文字通り民衆の代表として機能しており、議会制度のように選挙が終われば知らんぷりの間接代表機関とは根本的に異なるのです。

これも政治学者によると、代表者(議員)と一般市民が投票によって間接的にしか結ばれない旧議会とは異なり、民衆会議は代表者(代議員)と一般市民がより直接に結びつく「直接代議制」という理念に基づいているとのことです。

ちなみに、デモの自由は世界で広く認められていまして、21世紀にはデモが抑圧されていたような地域にあっても市民的自由が保障されるようになっていますから、民衆の抗議方法としては有効なのですが、それは奥にしまってあるというわけです。
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by komunisto | 2015-08-17 12:05 | 政治
2215年8月5日

米国民を対象とした2015年の米世論調査によると(2015年8月5日東京新聞報道)、日本への原爆投下に関して、44歳以下の年齢層では「誤った判断だった」と答えた人が「正しい判断だった」と回答した人より多いという結果が出たそうです。

全体でも原爆投下を正しかったとする多数意見は46パーセントまで下がったとのこと。200年後の現在から振り返ると、この調査結果は一つの吉兆だったようです。21世紀には想像を超えることでしたが、世界最初の原爆使用国にして、世界最大の核保有国でもあったアメリカでも民衆革命が勃発し、アメリカ合衆国が解体されたことが(旧稿参照)、核兵器廃絶の大きな推進力となったからです。

2年前のたより「軍隊なき世界」からも推察されるとおり、2215年現在、核兵器はもちろん、そもそも兵器自体が存在しません。より正確に言えば、地球上で使用する兵器は存在しないということになります。すなわち、23世紀の兵器は地球外からの攻撃に備えた航空宇宙兵器に限定されています。

ここまで到達する道のりは長かったわけですが、このような兵器なき世界の構築こそ、21世紀末から22世紀初頭にかけての世界連続革命の大きな成果の一つでした。その手始めが、今から100年以上遡る2110年に発効した核兵器全廃条約です。

核兵器廃絶を突破口として、核以外の大量破壊兵器、さらには通常兵器に至るすべての兵器の保有禁止が地球的な規範となったのです。このことは、旧国際連合に代わって世界を束ねる世界共同体の憲章として明文化されています。

ちなみに先に言及した航空宇宙兵器ですが、これは異星からの攻撃といういささかSF的な想定に基づき、世界共同体が共同で製造・保有する共用兵器です。もちろん大量破壊兵器ではなく、防衛的な通常兵器です。その運用は厳格な手続きに従い、世界共同体の航空宇宙警戒軍がこれを行ないますが(上記旧稿参照)、幸い、これまで一度も発動されていません。

識者の中には、信頼できる従来の宇宙研究の結果からみて、地球を攻撃し得る能力を備えた異星人が存在する確率はほぼゼロだとして、こうした共用兵器の廃止を主張する意見もありますが、そこまで徹底した兵器廃絶論はなお一般化していません。

とはいえ、核兵器なき世界の構築さえ、空疎な美辞麗句にとどまり、実のある進展がなかった21世紀に比べれば、こうした23世紀のSF的論議はそれこそ夢のような観があるでしょう。しかし、200年後の人類は確かに兵器なき世界を構築しているのです。
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by komunisto | 2015-08-05 20:04 | 政治
2215年7月12日

計画経済最前線の経済計画評議会の傍聴に続き、今回は政治的な代表機関である中央民衆会議の傍聴にも行って参りました。経済計画評議会は横浜でしたが、中央民衆会議は名古屋にあるため、リニア高速線を使って、東京から50分ほどです。

以前のたよりでも報告したように、23世紀の東京はもはや政治の中心地ではなく、主として学術都市として機能しています。政治の中心は、日本本土のちょうど中央付近にある名古屋であり、まさに中央民衆会議所在地なのです。

名古屋市郊外にある中央民衆会議議事堂に就いてみると、それは美術館のような外観を持つ巨大なビルで、現在は憲政博物館となっている東京の旧国会議事堂とは大きく異なっていました。一階はレストランやその他の物品供給所が入っていて、21世紀ならちょっとしたショッピングモールのように、一般市民が普通に出入りしているのも、まさに民衆会議にふさわしい光景でした。

中央民衆会議は21世紀までの制度で言えば国会に相当しますが、以前のたよりで報告したとおり、代議員は投票ではなく、有資格者(代議員免許取得者)の中からくじ引きで抽選されます。代議員は地元ボスや学歴エリートではなく、普通の市民の中で免許を持つ人という程度の存在です。

二階の議場に入って早速傍聴すると、代議員は皆私服で、男性でも背広姿はありません。これは実は全世界共通で、以前のたよりでも報告したように23世紀はカジュアル社会だからです。堅苦しさはなく、市民集会のような光景で、これも民衆会議の名にふさわしく思われました。

さらに、旧国会との大きな違いとして、人数が多いことです。定数が2000もあるため、本会議場はまるでコンサートホール並みの広さです。この人数で審議ができるのかと思われますが、実際のところは細かく分けられた小委員会のレベルで実質審議がなされ、本会議は総論的な審議の場ということで成り立っているようです。

小委員会も原則的に公開されていますが、会議室のスペースから裁判のように抽選傍聴制となっています。この日はたまたま空きがあった教育関係の小委員会の一つを傍聴しましたが、ラウンドテーブル方式で活発な討議が行なわれていました。

さらに旧国会との大きな違いとして、女性や障碍を持つ代議員の多さがあります。女性に関してはそもそも定数が男女半数制であるため、2000人のうち1000人は必ず女性となるのです。障碍者の率は特に決まっていませんが、審議資料の点字化など障碍者の参加支援策が格段に充実しているため、自ずと障碍者代議員の数も増えるのだそうです。

中央民衆会議はまさに民衆の代表機関として、社会の縮図のような構成を持っているのです。従って、国会に相当する機関といっても、それはあくまでも形式的な比喩であって、男性富裕層中心の旧国会とは似て非なるものと言ってよいでしょう。
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by komunisto | 2015-07-12 11:33 | 政治
2215年3月20日

遺憾なことに、21世紀は、23世紀から振り返って「テロの世紀」と呼ばれています。何しろ、21世紀最初の年2001年は、資本主義の象徴ニューヨークの世界貿易センタービルを倒壊させたまさに空前の航空突撃テロで幕を開けたのですから。

テロの犠牲はどれも悲惨ですが、中でも観光客の巻き添え死は気の毒です。21世紀は同時に「観光の世紀」でもあり、各国が競争のように観光のビジネス化を進め、観光ブームが起きていましたから、観光客がテロに巻き込まれる危険も増していたのです。

めぼしい産業のない国やすでに斜陽化している国にとっては、観光客の落としていく金は重要な恵みでしたが、一方で観光客の落し物は金だけではありません。ゴミや汚物も落としていきます。それは環境悪化の要因となり、また重要遺跡の汚損等の原因ともなります。

世界遺産云々といって多額の費用を要する保存を義務付けながら、一方で観光による劣化については知らぬふり。こうしたポリシーに、21世紀時代の筆者はどこか偽善を感じていました。

では、23世紀の観光やいかに?以前の記事で、世界が一つになった23世紀には、国というものがなく、従って国境もないので、世界旅行は完全自由というご報告をしましたが、これには重要な留保があります。

たしかに世界共同体を構成する各領域圏は原則出入り自由なのですが、観光目的の入領には毎年何人までと上限を設けるのが決まりです。一方で、長期滞在目的での入領に特段の制限はないのです。これは、21世紀までのやり方とは正反対ですね。

このように観光のような一時滞在目的の入領を制限する理由として、遺跡や保護区の環境保全もあるのですが、もう一つの重要な理由として、これも以前の記事でご報告した貨幣経済の廃止もあります。

現在、どの領域圏でも貨幣なしにあらゆる物が手に入る一方、物の生産量には自ずと限界がありますから、海外から押し寄せる観光客の大量取得による物不足という事態を防ぎたいわけです。

かくして、23世紀の観光は旅行会社を通した商業観光ではなく、各領域圏観光局が直担管理する上限付きの「管理観光」の形をとります。従って、人気の高い領域圏では何年も先まで予約待ちという「行列」ができることも珍しくありません。
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by komunisto | 2015-03-20 10:49 | 政治
2215年3月8日

23世紀から振り返りますと、21世紀は中国の世紀でした。中国が米国と並ぶ超大国として台頭してきたのです。あれから200年、世界共同体という新たな世界システムの下、以前の記事で報告したように、旧米国は北アメリカ領域圏とアメヒコ領域圏に分割されていますが、中国はどうなっているでしょうか。

23世紀の中国は、中華連合領域圏という正式名称を持つ領域圏に姿を変えて存続しています。連合領域圏とは、かつての連邦制に近い構成体で、高度な自治権を有する複数の準領域圏がまとまって一つの領域圏を構成するものです。中華連合の場合は、現時点では20の準領域圏で構成されています。

領域圏は旧世界人には御馴染みの「国」ではないので、もはや「中国」という略語は使われず、中華連合領域圏を縮めた「中連領」もしくは「中連」という略語が使われるのですが、21世紀の読者にもわかりやすくするため、記事タイトルでは「中国」という旧語を用いておきました。

ちなみに、かつて分離独立運動も盛んで中国当局との衝突もしばしば起きていた西方のチベットとウイグルの両自治区は、それぞれチベット領域圏、ウイグル領域圏として独立の領域圏を構成しつつ、中華連合領域圏とは緩やかな合同領域圏―正式名称はチャイナ‐チベット‐ウイグル合同領域圏―を形成しています。

また台湾については、大陸と平和裏に統合され、中華連合領域圏を構成する準領域圏の一つ(台湾省)として存続しています。

こうした再編は、すべて21世紀末乃至22世紀初頭の世界革命の後、貨幣経済が廃止され、もはや経済的な利害関係にとらわれることなく、民衆の自発的な意思と平和的な協議により一滴の血も流さずに行なわれたのですから、旧世界人にとっては奇跡のように思えます。

ところで、近代中国と言えば共産党と切り離せませんが、中国共産党は現在解散されています。といっても、共産主義でなくなったからではなく、「共産主義が実現されたから」です。これも、一見奇妙なことなのですが、地球が共産化され、グローバルに共産主義が実現された現在、共産党は役割を終えたのです。

現在の中華連合では、世界共同体のシステムの下、各領域圏共通の標準制度となっている民衆会議が基本的な政治制度となっている点では、他の領域圏と変わりありません。ただ、人口は21世紀よりは若干減少したものの、なお10億人を擁する世界最大の領域圏です。

世界最大といっても、連合領域圏における準領域圏の自治権は相当に高度であるため、20の準領域圏はそれぞれが小さな領域圏のようなものですから、現在の中華連合は20の領域圏に分割されたに等しいものです。もちろん、これも民衆の自発的な意思によるもので、帝国主義的な分割とは全く異なるものです。
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by komunisto | 2015-03-08 11:31 | 政治
2214年11月29日

23世紀の民衆会議代議員は代議員免許取得者の中からくじ引きで選ばれるとご報告したことがありますが、代議員免許試験とはどんなものなのか、興味があり、覗いてみました。

まずこの免許試験で問われることは、市民が中央・地方の代議員として活動するうえで必要な社会科学的な素養です。などと言えば、各種資格試験のような難関なのかと思われるでしょうが、そうではなく、合格率80%以上、落ちても最悪三回以内で合格するとされています。

内容は[Ⅰ]基礎科目として「政策立案」、「立法技術」、「政治倫理」、[Ⅱ]政策科目として(A群)は必修科目の「政治・法律」、「経済・環境」、(B群)は「福祉・医療」、「教育・文化」のいずれか一方を選択します。

結構盛りだくさんで大変なように見え、21世紀の人なら「受験対策」に走りたくなるかもしれませんが、問われる内容は、13年間一貫制の基礎教育(義務教育)の内容に多少上積みした程度のことにすぎません。逆に言えば、それだけ基礎教育の内容は充実しているということです。

しかも、試験方法も民衆会議が定期的に監修・発行する各科目の公式テキストを試験会場に持ち込んでよいという寛大なもので、いわゆる丸暗記は必要ないのです。設問は暗記力を問うのでなく、テキストの情報をもとに自ら課題を発見・解決するというまさに代議員の任務に沿ったものとなっているからです。

免許試験の受験資格も寛大で、基礎教育の過程を修了していなくとも、15歳以上なら誰でも受けられます。実際、毎年10代の免許取得者も少数ながら出ています(ただし、代議員の適格年齢は19歳以上)。

また海外からの移民でも居住2年以上なら受験可能です(代議員となるには、地方で3年以上、中央なら5年以上の居住歴が必要)。そして、嬉しいことに、私のように過去から来た旧世界人にも受験資格があります。

21世紀にいた頃、丸暗記が何より苦手だった私にとって、テキスト参照OKの問題発見型試験は理想の試験に思え、旧世界人なりに政治貢献すべく、受験を考えているところです。
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by komunisto | 2014-11-29 10:42 | 政治
23世紀の社会で特徴的なことは、公務員が非常に多いことです。統計上は、労働者の3人に1人以上が公務員だそうです。それもそのはず、23世紀社会には民間資本というものが存在せず、多くの事業が公的に担われているためです。

やはり、共産主義社会は役人天国なのか、と思いきや、そうでもないようです。というのも、23世紀の公務員は市民の奉仕者としての性格が明瞭だからです。資本主義時代にも「公共の奉仕者」という理念が憲法にも謳われていましたが、その意味内容は曖昧で、美辞麗句にとどまっていました。

21世紀人の知っている公務員とは、親方日の丸に安住し、市民のことなど眼中になく、上から目線の杓子定規で融通が利かない、でも安定しているので就職口としては人気といったイメージだったと記憶します。要するに、公務員とは行政(一部は司法)を管理する役人でした。

23世紀の公務員は単に行政を管理する役人なのではなく、市民に奉仕するサービス提供者です。ですから、民の上に立つお偉方ではないのはもちろん、ただ行政のルティーンワークをこなすだけの存在でもありません。ある意味では、ボランティアのようなものです。

実際、以前からご報告しているように、23世紀の労働はすべて無償で行なわれていますから、もはやボランティアと有給職の区別はなく、公務員も無給です。従って、感覚としては、公共の仕事を市民がボランティアで自ら担っているという感じです。

それでも、中央の公務員たちはまだ威張っているのだろう、とお思いでしょうか。これについても、以前の記事で書いたように、23世紀には「中央省庁」というものがもはや存在しません。政府機構自体が存在せず、民衆代議機関としての民衆会議がすべてを掌握し、旧中央省庁は政策シンクタンク的な研究調査機関に転換されているからです。

というわけで、かつて霞ヶ関を牙城としていた「中央官僚」という種族は絶滅していますから、官僚主導の非民主的な社会も過去のものです。まさに民が主人公である民主主義が実現されているという点では、目を見張る進歩があります。
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by komunisto | 2014-11-04 09:57 | 政治