カテゴリ:福祉( 6 )

2216年4月2日

23世紀を象徴する公的な資格として、「社会調整士」というものがあります。21世紀人には聞き慣れないでしょうが、社会調整士の職務内容はそちら21世紀にもすでに存在している社会福祉士と似ています。

ただ、以前のたより『本源的福祉社会』でもご報告したとおり、23世紀には「福祉」という用語が死語に近いくらい、福祉は当たり前なので、社会福祉士という資格は廃止されています。

とはいえ、本源的福祉社会にも地域社会の課題はあり、それを調整するのが社会調整士の仕事です。23世紀の社会には政府とか役所という旧社会ではお馴染みの機関もありませんから、地域社会の課題は社会で自主的に解決しなければなりません。そのためにも、社会調整士はかつての役所に代わるような存在として重要なのです。

社会調整士になるためには、専門職学院の一つである三年制の社会事業学院を卒業したうえで、資格試験に合格後、所定の研修を修了する必要があるというように、医師並みの専門的な養成過程が課せられていることからも、その重要性がわかります。

社会調整士はいわゆる独立開業するということはなく、一本立ちした社会調整士の中心任務は地域社会事業のコーディネートであり、その拠点がほぼ市町村内の地区単位で設置される社会評議会です。

評議会には社会調整士を中心に地区住民の代表者が評議員として参加し、その地区における社会的課題とその対策を討議します。市町村域全体の政治代表機関である市町村民衆会議には各地区社会評議会議長(社会調整士)が特別代議員として参加し、市町村民衆会議にも地域の社会的課題が反映されます。

地域の社会的課題といっても、貨幣経済ではないため、いわゆる貧困問題は存在せず、障碍者や病者、高齢者など物理的な生活難を抱える市民の生活サポートが中心となります。

かつて福祉施設と呼ばれた収容型の福祉サービスも存在しませんから、障碍者や病者、高齢者などが地域で生活することは当たり前であり、社会評議会を通じたサポートの提供が「福祉」のほぼすべてなのです。
[PR]
by komunisto | 2016-04-02 12:48 | 福祉
2215年5月1日

今回はいかめしいタイトルの記事ですが、23世紀の社会の特質を学者はしばしばこのように表現しています。本質的に福祉が埋め込まれた社会といった意味になります。つまり、23世紀の社会はあえて福祉対策をあれこれ採らなくとも、福祉は実現するということです。

そのこともあって、23世紀の社会には特にこれといった福祉政策の目玉が少ないので、この通信でも福祉カテゴリーに分類される報告記事は、生活カテゴリーの報告記事と比べても少なめとなっています。

資本主義時代にはなぜ福祉が叫ばれたかと言えば、何事を為すにも必須アイテムである貨幣の持ち高が少ないと生活が困難になるため、低所得者向けの様々な福祉的支援策を必要としたからです。

国家が税を課して福祉政策を充実させる「福祉国家」が理想とされた時代もありました。しかし結局のところ、資本主義は福祉の世話を必要としない有産者に重税負担を求める福祉政策とはどうしても相性が悪く、福祉国家も溶解・解体が進みました。

そちら2015年の日本も、伝えられるところによると、様々な福祉負担の増大、またはサービスの削減により、元々弱かった福祉政策がいっそう縮減されていこうとしているようですが、これは資本主義社会では必然的な流れと言えます。

この点、貨幣経済が廃止された現在はそもそも生活原理が一変しています。貨幣なしでも必要な衣食住はすべて無償供給制でまかなえるのですから、そもそも貧困という現象は過去のもので、この用語はほぼ死語となりました。

医療も高度な治療を含めてすべて無償ですから、医療保険のような補填制度に頼る必要はありません。病気や障碍で働けなくなっても、生活は成り立ちます。死後に遺族が生活に困らないようにと、生命保険に入る必要もありません。

退職者の年金制度も必要なく、基本的には望む年齢まで働き、望む時にリタイアすることができますし、リタイア後の生活に困ることもありません。高齢になり介護が必要になっても、無償で介護サービスを受けられます。

このように貨幣経済廃止を基点として、福祉がすべて初めから組み込まれていることが、本源的福祉社会の意味です。人類はどうしてこの単純な原理に長い間気がつかず、貨幣制度の発明から何千年もかけてようやく廃止したのか、今となっては不思議なくらいです。
[PR]
by komunisto | 2015-05-01 09:17 | 福祉
2214年11月24日

2014年の日本では、依然として悲惨な児童虐待事件が跡を絶たないようですが、23世紀の社会では児童虐待のニュースはほとんど耳にしません。23世紀の親たちはみんな責任感溢れる立派な親揃いなのでしょうか。

たぶんそうではなく、子育て観の大きな変化が影響していると思われます。現在、「子どもは社会が育てる」という考え方が定着しているのです。

その意味は21世紀なら誤解を招く恐れがありますが、親は育児の責任を負わないということではありません。親権とそれに伴う親の養育義務は変わりませんが、子の養育は親のみの責任ではなく、むしろ究極的には社会の責任であるという意味です。

いつの時代であれ、親の養育能力には埋め難いほどの格差があります。頭の下がる立派な親もいれば、無責任極まりない親まで様々です。親になるのに資格や免許は必要なく、誰でもなれてしまうのですから、こうした「親格差」は考えてみれば当然のことです。

そこで、個々の親の養育義務は当然残しつつも、究極のところでは社会が養育するということが明確にされているのです。

具体的には、子どもの権利法という法律があり、これは民法の特例として、親に養育能力がない場合に裁判所の審判で親権を停止したり、剥奪したりすることが親絶対主義だった時代より容易にできるようになっています。

そうして親権者を失った子どもは厳格な適格性審査と講習を受けた里親が引き取って養育する認定里親制度が充実しているため、いわゆる児童保護施設というものは存在しません。ただ、児童擁護センターという機関で一時保護することがあるだけです。

その児童擁護センターは旧児童相談所の機能をいっそう拡充したもので、旧児童福祉司をより専門化した児童保護士が多数配置され、子どもの権利全般の擁護に当たっています。センターは警察機能すら持っており、児童虐待の疑いがあれば令状に基づく家庭への立ち入り調査や人身保護の権限が与えられています。

また前々回報告したように、1歳から保育が義務とされていることも、乳幼児の養育を親任せにせず、学齢前の子どもでも、社会が責任を持って養育するという「子どもは社会が育てる」の具体化と言えるかもしれません。
[PR]
by komunisto | 2014-11-24 09:48 | 福祉
2214年5月29日

前回、23世紀の介護職の方の言葉を伝えたところ、大変な仕事なのに報酬なしでも短期離職が少ないとは信じ難い、どんな資格と働き方になっているのかとの質問を21世紀の読者より受けましたので、調べてみました。

まず、23世紀の介護職はいくつかの系統に分かれており、最も初歩的なのは「家事援助員」と呼ばれるもので、その名のとおり、高齢者や障碍者宅を訪問して家事の手伝いをするホームヘルパーです。職務内容は家事援助のみで、身体介護はできません。

家事援助員は資格というより、行政主宰の決められた講習を一定時間受ければ誰でもできる仕事です。より本格的な資格として「介助士」があります。これは俗に言う介護士のことです。介助士になるためには、生涯教育機関である多目的大学校や専門技能学校に設置された教育課程を修了したうえで、実技試験に合格しなければなりません。

介護職の働き方は、介護スタチオ(ステーション)に所属するか、もしくは介護付き住宅に勤務するかのいずれかが基本です。家事援助員はパート勤務ですが、介助士は常勤ないし非常勤の正規職員です。ちなみに23世紀社会に介護施設というものは存在しないので、施設勤務という形態はありません。

介護離職者が少ないのは 23世紀には重度の要介護者が少ないため、比較的ゆとりをもって作業できることや、施設勤務というかつて低賃金過重労働の象徴でもあった介護労働が消滅したことも関わっているようです。
[PR]
by komunisto | 2014-05-29 10:07 | 福祉
2213年11月28日

以前のたよりで、いわゆる老人ホームは50年以上前に廃止されたと報告しました。すなわち23世紀の介護は在宅のみです。介護は在宅と入院の双方があり得る療養とは明確に区別され、於居宅と決まっているのです。 

こうしたオール在宅介護を支えるのは、「介護スタチオ」(エスペラント語でステーションに相当する「スタツィーオ」に由来)と呼ばれる総合介護事業所です。これは市町村ごとに組織される「介護事業団」の地区出先サービス機関という位置づけとなっています。

各スタチオには介助士を中心に、看護師、医師、ヘルパーが常駐します。また昔の介護タクシーに相当する介助車も常備され、移動介助にも対応するまさに総合的なワンストップサービスです。介護が必要になったら、このスタチオに一括で依頼すればよいわけで、200年前にはサービスごとに別々の事業所と契約しなければならなかった煩雑さが解消されています。

介護サービスも、すべて無償です。それでも平均寿命が100歳に伸びたわりに健康長寿社会であり、要介護の対象者はさほど多くないので、介護サービスも充分ゆとりがあるようです。我が家の場合は介護付き高齢者住宅に入居中のため、介護は住宅専従の介助士が担当してくれますが、人員に限りがあるため、介護スタチオからも来てもらっています。

ちなみに、昔の訪問介護と決定的に異なるのは、医師も常駐していることです。介護スタチオ専従医師は老年科もしくは障碍者科の専門医資格を持つ総合医で、定期・随時の往診が基本です。また基幹的なスタチオには老年歯科医もいます。このように介護と医療が結合しているのも23世紀の介護制度の便利な特徴となっています。

介護スタチオはまた介護労働の最前線でもあります。上述したように、ここには介護に関わる多種のスタッフが配置されています。このうちヘルパーとはアマチュア(無資格)の家事援助員のことで、家事援助以外の介助は有資格の介助士の専権とされていることが200年前との違いです。

介護労働は現在でも楽ではありませんが、家事援助と介助がはっきり分離されていることや(後掲記事参照)、スタチオへの集約化が実現していることも、比較的安定した労働力確保を可能にしていると考えられます。
[PR]
by komunisto | 2013-11-28 11:35 | 福祉
2213年6月13日

200年後の未来社会に飛んできても、なぜかまだ介護を続けています。しかし介護環境は一変しました。かつては手狭な旧公団住宅で苦労の多い孤独な介護を続けていたのが、現在は在宅介護ながら市営の介護付き高齢者住宅に同居しています。

なぜ高齢者住宅なのか。200年飛んで自身も年老いたからではありません(物理学的には論証できないことですが、年齢は止まったまま200年先にタイムスリップしたので)。介護付き高齢者住宅では、家族介護を条件に高齢ではない家族の同居が認められるからです。

この住宅は外観は旧公団住宅と似たような集合住宅ですが、当然にも内部は完全バリアフリー化されていて、介護士やヘルパーが常駐しています。しかし、いわゆる「介護施設」ではありません。

介護施設としての老人ホームはもう50年以上も前に全廃されたとのことです。未来社会では「在宅か、施設か」の二者択一は迫られません。言わば全員が「在宅」。しかしその意味が広がったのです。

文字どおり自宅で介護することだけが「在宅」ではなく、介護付き高齢者住宅では同居家族がいる場合は日常の介護はその家族自身でするのが原則ですが、家族では難しい高度な介護や、家族が不在の時間帯は常駐職員が手を貸してくれるわけです。

もし状態が重度化し、在宅介護の限界を超えたときは、手厚い看護・介護の受けられる療養病院へ入院することができますが、介護付き高齢者住宅でも最期の看取りまでしてくれます。

ちなみに介護保険制度も貨幣交換システムの廃止に伴い、とうの昔に廃止されています。未来社会では各種物品のみならず、介護のような無形的サービスも無償で供給されます。

介護サービスを商品化したうえで、その購入費用を社会保険で補填するという苦肉の策であった介護保険制度は、資本主義的姥捨て山であった老人ホームとともに過去の悪制として、今では一部専門家しか知らない歴史書の中の存在となったのです。
[PR]
by komunisto | 2013-06-13 09:26 | 福祉