カテゴリ:環境( 10 )

2216年6月11日

そちら2016年の世界では、夜間照明などの過剰な発達のせいで、日本の人口の7割が天の川が見えない地域に住んでいるそうです。ちなみに米国では8割、欧州で6割と、どうやら21世紀「先進諸国」では同様の状況が進行しているようです。世界全体でも3人に1人は天の川が見えず暮らしているとか。

ところが、23世紀の世界に飛んできてしばらくして気がついたのは、星空の美しさでした。地元でも天の川が見えます。理由は、やはり人工照明の減少にありました。特に、ネオンの類は法律上、明るさや照明時間が制限されているのです。

これは、環境計画経済に伴う電力供給の規制とも関わっており、23世紀的計画経済体制の重要な施策でもあります。結果として、人工照明が自然の光を妨げる「光害」は顕著に解消されてきているのです。

残念ながら、23世紀現在における天の川の「見える化」率のデータは見つかりませんでしたが、おそらく数字は200年前とは逆転に近い状況だと思われます。実際、東京のような大都市でも天の川がよく見えると聞いています。

人工照明にも芸術的に優れたものがあることはたしかですが、何と言っても自然の星の光には他に代えられない魅力があります。旧世界にいた頃は星空を見る習慣すらなかったので、意識したこともなかったのですが、資本主義は星空すら奪っていたのかと200年後の世界に飛んでやっと気がついた次第です。
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by komunisto | 2016-06-11 09:54 | 環境
2216年5月7日

23世紀は核兵器はもちろん、原子力発電所も廃絶された完全非核政策が全世界で適用されています。その中心を担うのが、「世界反原子力機関」という民際機関です。

この機関は旧「国際原子力機関」(IAEA)を前身としていますが、IAEAが原子力の平和的利用の促進―軍事的転用の防止―を目的とした査察機関であったのに対し、世界反原子力機関は平和的か軍事的かを問わない原子力の利用の禁止を目的とする査察・処理機関です。

ただし、物理学的研究や医療目的の原子力利用は例外的に認められていますが、そうした場合も個々のプロジェクトを世界反原子力機関に申請し、許可を得た上で登録し、査察を義務付けられるという厳しいコントロール下に置かれます。

もっとも、核廃絶と原発廃止が世界的に一段落した現在では、世界反原子力機関の任務は査察よりも廃炉やそれに伴う放射性廃棄物の処分管理に重点があります。そこで処理の対象となる廃棄物の大半は、20‐21世紀の人類が作り出したものです。

数百年前の人類が世界中で排出した放射性廃棄物を処理するために、23世紀の人類が全世界で協働する必要があり、日本を含む世界中に地層処分施設が点在します。世界中から収集された「核のゴミ」がそうした処分施設で一括処分されるわけです。期間的に最大数万年以上も要するという遠大な処分プロセスもあります。

そのためか、23世紀の人々は20‐21世紀の人類のことを、批判を込めて風刺的に「核人類」とか「放射性人類」などと呼ぶことがあります。数百年前の人類の負の遺産の清算で大きな負担を強いられているのですから、言われて当然かもしれません。

大量の放射性廃棄物は、21世紀からタイムトリップしてきた私自身も含む「核人類」が未来の人類に押し付けた負の遺産なのです。大いに反省している次第であります。
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by komunisto | 2016-05-07 11:34 | 環境
2215年7月24日

先般、中央民衆会議傍聴のご報告をしましたが、中央民衆会議も旧国会と同様、否、それ以上にたくさんの常任委員会を擁しています。その中で最も影響力の強い常任委員会はと言うと、環境持続性委員会になります。

この委員会は、名称のとおり環境政策全般の立案と法案作成を所管する常任委員会で、旧国会では環境委員会に相当します。ただ、旧環境委員会がどちらかと言えば地味で、所属を希望する議員も限られていたのに対し、環境持続性委員会のほうは中央民衆会議の花形として人気なのだそうです。

ちなみに、旧国会で最も強力な委員会はおそらく予算委員会であったと思われますが、これはまさに貨幣経済下で国の運営の基盤であった政府予算を扱う委員会だったからでしょう。貨幣経済が廃止された現在、予算なる制度自体が存在しませんから、予算委員会もありません。

代わって政策の軸は環境になっており、あらゆる政策が環境的な枠組みによってコントロールされることから、環境持続性委員会が事実上の筆頭的な常任委員会として強い影響力を持つようになっているのです。

現在、中央省庁という制度は存在せず、民衆会議が立法機関であると同時に行政機関でもあるという地位にあるため、各常任委員会が即行政機能も果たします。従って、環境持続性委員会は旧環境省の機能も果たす環境政策の元締めなわけです。

そうした大きな常任委員会だけあって、委員は200人近くもおり、10の小委員会に分かれて、日々環境政策の立案と審議に当たっています。中でも環境影響評価小委員会がエース格で、名称のとおり領域圏が担当するあらゆる政策・公共事業等の環境影響評価を担当し、ダメ出しをする権限を持っています。

旧国会と異なり、民衆会議は市民とのつながりが強いので、一定の署名条件を満たせば、市民が環境持続性委員会に対して特定の事業案件に関する環境影響評価を請求することもできるなど、市民からの突き上げにも答えることがあります。

また同小委員会は各地に設置された環境保全事務所を管轄しており、ここには「環境Gメン」と渾名される環境犯罪に対する警察権をも与えられた環境保全調査官が配置され、強力な環境的目付け役を果たしています。
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by komunisto | 2015-07-24 00:00 | 環境
2214年12月16日

2014年も年末になり、寒くなってきたことと思います。200年後の2214年の年末もそう変わりませんが、大寒波・豪雪という異常気象は起きていません。温暖化が抑止されていることと関連があるのでしょうか。

ともあれ、南西諸島を除く日本の冬には暖房が欠かせません。しかし、暖房システムはかなり変化しているようです。

興味深いのは、囲炉裏の復活という現象が見られることです。特に戸建て住宅の建設は資本主義的なディベロッパーではなく、大工職人組合のような企業体が請け負うため、依頼主の希望で様々な工夫が施せます。囲炉裏の設定もその一つです。

もちろん23世紀にも近代的な暖房が普及していますが、石油式、電気式を問わず、ストーブは廃れています。代わりに、温水式床暖房の普及が見られます。集合住宅ではたいてい導入されています。電気式床暖房もありますが、過熱の危険から推奨されていません。

電気式の暖房では、高い位置に取り付けるエアコン式のものより、低い位置に取り付けるオイルヒーターが一般的です。かつては電気料金が高額のため、普及していなかったようですが、現在は電力も無償化されているため、経済的な問題はありません。

要するに、環境的持続可能性が社会の常識として定着している23世紀には、全体としてなるべく電力に頼らない暖房システムが志向されているのです。

ちなみに電力供給自体も、現在では再生可能エネルギーが大半を占めていますが、特に地熱発電の開発が進んでいます。統計上は、個人宅の冷暖房の半分以上を地熱発電でカバーしているとのことです。

元来大規模な火山帯に位置する日本列島は地熱発電のポテンシャルが大きな地帯であったので、特に不思議はありません。私権との調整の難航や総資本による原発依存の固定観念が豊かな地熱利用を阻んでいただけです。

現在居住している家も、温水床暖房完備の住宅となっていますが、かつて21世紀の旧世界で使用していた電気ストーブやエアコンではほとんど暖まらなかった足元が暖まり、暑さより寒さに弱い身には大変重宝しています。
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by komunisto | 2014-12-16 13:19 | 環境
2214年6月8日

21世紀以前の教科書では、紙の発明・普及は人類史上の画期的な進歩だと説明されていました。しかし、23世紀現在、紙の文明は終焉を迎えています。というのも、紙製品が激減しているからです。

前にもご報告しましたが、紙文明の象徴でもある書籍は、今やごく一部を除き電子書籍に移行しました。また事務の象徴であった紙書類もほぼ一掃されています。

商業活動が存在しないため、毎日山のように投函されていたチラシ類も皆無です。昔の店舗に当たる物品供給所でも、紙袋に包むのはよほど高級品の場合の贅沢で、日用品は包装紙を使わないので、そのまま受け取って持参したバッグや布袋に入れて持ち帰ります。

役所に提出したり、送られてきたりした公的文書類も一部例外を除き存在せず、すべて電子上で処理されます。高齢者でも、生まれたときからコンピュータが存在し、電子化教育を受けた世代ですから、全く不便はないのです。

ちなみに、トイレットペーパーも過去のものです。現在ではかつての水洗トイレと同じくらいに、洗浄機が携帯型を含めて普及・定着しているからです。

かつて製紙業は日本の得意分野でしたが、紙文明の終焉により製紙産業自体が廃れ、製紙は今や手工業的な高級伝統産業に戻りました。

こうした紙文明の終焉は、電子化の進展により自然にそうなったというより、森林保護や製紙工場による環境汚染防止、紙廃棄物の抑制といった環境規制の徹底強化により、政策的にもたらされたものです。

資本主義時代なら、製紙業界の利益に反するような環境規制は事実上不可能だったでしょう。しかし、そういうことが可能になったのも、貨幣経済によらない共産主義社会が実現されたからにほかなりません。
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by komunisto | 2014-06-08 11:11 | 環境
2214年3月27日

私が子どもの頃、今も住む地元の地方市にはまだ多くの田んぼや用水路があり、メダカ、カエル、ザリガニなどの小動物は日常風景でした。それが、私が旧世界を離れた21世紀初頭には、田んぼは宅地や駐車場に変わり、小動物たちも姿を消していました。 

23世紀に飛んできた現在、どうなっているのか気になって、かつて田んぼがあったと記憶する地区を散策してみました。すると、何と田んぼが戻っていたのです。おそらく面積はかつてほど広くないと思われますが、田んぼの懐かしい風景は取り戻されています。

駅前や市街地の中心部などは200年前とそう変わらず、開発されたモダンな景観なのですが、一歩郊外へ抜けると田園が広がるというようなコントラストが印象的です。ポストモダン・シティという言い方はされませんが、そう名づけたくなります。

このような地方市における田園風景の復活は、「持続可能的再編」という政策のもと各地で実施されています。この政策は、ただ単に街に緑を増やそうといったレベルでお茶を濁すのではなく、郊外の自然の生態系の回復を目的に掲げています。具体的には、郊外での宅地や事業用地を制限し、田畑や森林の意識的な維持・復活に取り組んでいるのです。

これは資本主義時代の「都市再開発」政策を根本的に転換するとともに、食糧自給率の回復を目指して革命以来100年にわたって取り組まれてきた「農地再開拓」政策とも組み合わさっています。こうした歴史的な努力の結果、革命前には失われようとしていた水田を中心とする自然の生態系が復活してきているのです。

21世紀初頭には絶滅危惧種のレッドリスト入りしていたメダカをはじめ、レッドリストの登録数は激減し、メダカの学校やカエルの合唱が復活しています。すなわち、エコな美辞麗句にとどまらない生物多様性の回復が実現しているということです。
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by komunisto | 2014-03-27 15:24 | 環境
2213年11月25日

良い言葉ではありませんが、資本主義時代には「3K」(きつい、汚い、危険)と呼ばれる仕事がありました。清掃、建設、介護はその代表格であったと思われます。こうした仕事に限って社会的な必要性は高いのでした。

そのため、人手不足が起きては困るのですが、強制労働によるわけにはいかないので、資本主義的「3K」労働は他の仕事が見つからない人のためのある種失業対策事業として留保され、それでもカバーし切れなければ外国人労働者に押し付けられていたのです。

しかし、およそ労働が無償のボランティア化された23世紀、こうした「3K」仕事に自発的に従事しようとする人は激減し、決定的な人手不足に陥らないかという疑問も浮かびます。実際そのような心配はないのですが、内情はそれぞれの業界ごとに異なるため、ここでは特に清掃労働について取り上げます。

清掃というと、ゴミ回収やビルの清掃などの仕事が思い浮かびます。そうした仕事は今日でも清掃労働の重要な一環ですが、23世紀の清掃労働はより広く「環境労働」というカテゴリーに包摂されています。環境労働とは、環境保全を目的とする労働の総称で、清掃だけでなく、放射線等の各種有害物質の測定・除去や、有害生物(特に害虫)の駆除などにも及びます。

こうした環境労働は、各市町村ごとに組織された「環境労働団」という公的団体が担っています。これは生活ゴミの回収やビル等の清掃はもちろん、上述の環境労働全般を請け負う団体です。なお、清掃事業を営利的に展開する清掃会社というものは存在しません。

この環境労働団の従業員は単なる清掃員ではなく、清掃を含めた環境労働全般の技能を持ったある種の技術者です。こうした環境技術は各地の生涯教育機関である多目的大学校でも教えられており、認定資格制もあります。考えてみれば、清掃も完璧にこなそうとすれば素人ではなかなかうまくいかないもので、たかが清掃と侮れないわけです。

こうした環境労働は決して楽ではありませんが、もはや人が敬遠する「3K」仕事ではなくなり、環境的持続可能性の理念が社会に定着した現在では、むしろ社会的にも敬意を持たれる仕事とみなされているのです。
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by komunisto | 2013-11-25 10:46 | 環境
2213年10月2日

21世紀初頭の世界では先般、国連の作業パネルから、21世紀末の地球環境予測が発表されました。それによると、人間の活動を主因とする地球温暖化は一段と進み、平均気温は20世紀初頭と比べて最大4.8度、海面水位は最大82センチ高くなると警告されました。

23世紀現在から振り返ると、実際のところ、事態は国連の控えめな予測を超え、いっそう深刻でした。21世紀末になると、海面上昇の進行により南太平洋の島嶼国家の中には水没し、消滅する国も現れました。日本でも低地では高潮被害が頻発し、沿岸部に人が住めなくなりました。台風の頻度と規模はいっそう大きくなり、毎年大量の被害を出しました。

全世界的に温暖化に伴う異常気象が常態化し、それに伴う人的・物的被害は戦争に匹敵するほどとなったのです。「地球環境戦争」という言葉が人口に膾炙するまでになりました。

ここに至って、ようやく世界の人々は立ち上がります。21世紀末から22世紀初頭にかけての世界連続革命は、環境だけが要因ではないにせよ、環境悪化に基因する経済危機の発生を含め、環境が一つの重要な契機となった点で過去の革命とは異なっていたため、歴史上「地球環境革命」と呼ばれることもあります。

とりわけ、一貫して温暖化対策に消極的であったアメリカ人が目覚めました。その頃になると、アメリカでもハリケーン被害や中西部での干ばつが深刻化し、国家的危機に陥っていたのでした。

革命は単に「対策」のレベルにとどまらず、地球環境を害していた生産体制そのものの転換にまで突き進みます。要するに、およそ300年にわたって続けられてきた資本主義体制と決別し、環境的持続可能性を組み込んだ新しい共産主義体制へ移行したのです。 

私が旧世界に暮らしていた21世紀初頭にはまだ淡い夢でしかなかったことが、実現しているのです。ただ、そこまで到達するのにさらに100年近くを要し、その間多くの無用な人的・物的被害を耐え忍ばなければならなかったという事実には、いささかため息ではありますが。
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by komunisto | 2013-10-02 10:30 | 環境
2213年9月23日

「水素社会」というキーワードは21世紀にも盛んに登場していましたが、23世紀の現在、日頃格別に意識されないほど水素の活用は一般化されているため、「水素社会」などという用語が使われることはありません。

なかでも、自動車です。23世紀の自動車はすべて燃料電池車です。燃料電池は水素と酸素の化合によって発電する仕組みで、充電が必要だった旧型電気自動車に比べても、環境的持続可能性を含めた総合エネルギー効率は良好です。

こうした燃料電池車自体はすでに私が旧世界にいた21世紀初頭には開発されていましたが、まだ希少車で、自動車と言えば圧倒的にガソリン車でした。23世紀の未来世界では、ガソリン車は環境的持続可能性を欠く悪しきクラシックカーとして記憶されています。

燃料電池自動車の一世代前には充電式電気自動車がありましたが、充電が必要なことや走行距離の短さといった限界があったところ、燃料電池車はこれらの限界を乗り越えたのです。

実際のところ、燃料電池車の優位性は21世紀から認識されていたのですが、水素の生産・運搬・貯蔵等に関わるインフラ整備にかかる多額のコスト、ひいては商品水素の末端価格の高額化がネックとなって、普及の実現可能性は乏しいと見られていたのでした。

要するに、資本主義時代ではあらゆる分野でぶつかったカネの問題です。しかし、貨幣経済が廃止されたことにより、こうしたカネにまつわるネックは完全にクリアーされたのです。

こうして自動車=水素自動車となって、高速道路沿いで見慣れたガソリンスタンドは消滅しました。その代わりになるのは、水素スタンドです。形はガソリンスタンドに似ていますが、水素スタンドはその名のとおり、燃料電池自動車に水素を供給する施設です。

もっとも、オール水素電池車といっても、23世紀世界はもはやクルマ社会ではありませんから、自動車の保有台数自体が減少しています。特に自家用車は量産されておらず、個人が好みの型やデザインで発注する注文生産方式によっています。

路線バスは路面電車やライトレールに転換されている例が多く、地方市町村部の停留所を持たないコミュニティーバスでの活用が主となっています。長距離バスは無料で乗り放題の電車や飛行機で代替され、一部観光目的のチャーターバスを除き、ほぼ廃れました。

21世紀に展望されていたように、ガソリン車が平行移動的に電動車に置き換わるというような単純な話ではないわけです。かくして23世紀のオール水素自動車化は、さらに未来のノー自動車化への道なのかもしれません。
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by komunisto | 2013-09-23 10:50 | 環境
2213年7月10日

2013年の日本では、フクシマ原発大事故から3年も経たないうちに、原発再稼動へ向けてじわじわと動き出しているようです。もう一度くらい大事故が起きなければ懲りないということなのでしょうか。

200年後の未来世界では、そもそも原子力発電というものは利用されていません。今、「未来世界」と言ったように、原発は世界中で一つも稼動していないのです。70年ほど前にできた「持続可能エネルギー条約」という世界条約に基づいて原発が全世界で全廃されたからです。

原発は環境・エネルギー革命の意義もあった100年前の世界連続革命の後、順次廃止されていきましたが、一部にはなお原発への執着が見られました。そのため、上記の条約が成立するまでには革命からなお30年近くもかかったのです。

この点、核兵器の全廃は革命が一巡した後、直ちに実現したのと比較して、原発については「核の平和利用」というキャッチフレーズの呪縛には強いものがあったようです。

ただ、「原発廃止」と言っても、旧原発の廃炉作業は今なお世界中で続いており、核廃棄物の処理も簡単ではありません。それだけのために、「世界反原子力機関」という専門機関が設けられ、廃炉プロセスの常時監視が行われているほどです。一度建てると閉鎖すら困難な原発は、旧世界が作り出した厄介施設として未来世界では迷惑がられているのです。

現在、世界の電力供給は再生可能エネルギー発電が85パーセントで、残りを最小限度のガス、火力発電等の枯渇性エネルギー発電で補っています。

こうしたことが可能になったのは、貨幣経済の廃止により、高度な再生可能エネルギー技術の開発と管理運用にコストがかからなくなったことに加え、資本主義が廃された未来世界では生産活動と日常生活の省エネ化が徹底しているため、旧世界と比べて、必要なエネルギー量が少なくて済むことも大きな要素です。

地球温暖化もなお完全には終息していませんが、革命後この100年間でその進行に歯止めがかかったため、夏でも意外に涼しく、猛暑でクーラーを付けっ放しということはまずないのです。それどころか、クーラーのない家庭も珍しくなく、面白いことに日本の団扇がクーラー代わりとして世界に普及しているほどです。

残念なのは、ここまで到達するのに、人類はフクシマの事故から100年以上もかかってしまったということです。人間という生き物は、その行動原理をなかなかすぐには変えられない守旧的な生き物なのでしょうか。
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by komunisto | 2013-07-10 09:35 | 環境