<   2013年 07月 ( 11 )   > この月の画像一覧

2213年7月31日

23世紀未来社会の交通手段としては、列車と船の復権著しいのが特徴です。自動車と飛行機全盛の21世紀から飛んできた者にとってはレトロな感じもします。

旧世界先進諸国の代名詞であった「クルマ社会」は環境規制が強化された今や、すでに過去の歴史です。マイカーを持つ習慣も都市部ではほとんど見られません。日本の代名詞でもあった自動車産業も過去のものとなり、23世紀の日本はむしろ鉄道車両製造で世界トップクラスとみなされています。

バスは地方の町村部を除き、路面電車やライトレールに代替されつつあります。東京でも昔懐かしい路面電車網が復活しています。貨物輸送は地産地消経済の発達によりトラックによる長距離輸送が減少し、自動車と鉄道の組み合わせが主流となっています。

高速交通についてはいっそう進歩した高速航空機が登場しているものの、国際商業活動が行われていないため、世界の空を飛び回るビジネス客もなく、航空は観光と貨物輸送が中心です。ちなみに日本のご自慢・新幹線はすべて高速リニアモーターカーに転換されており、これも人気の高速交通となっています。

とはいえ、商業ビジネスが廃された結果、人々はあまり短時間・長距離の移動を必要としなくなりました。23世紀の人々はゆったりと時間をかけて景色を楽しむ移動を好むようです。

船旅が復権しているのも、そのためでしょう。旧世界では高価なブルジョワ的旅行であった船旅も今や無料。豪華客船にタダ乗りして世界一周旅行もあり、という時代です。 
[PR]
by komunisto | 2013-07-31 13:22 | 経済
2213年7月28日

未来社会のマスメディアはネットニュース、ラジオ、テレビの順で活用されています。ネットニュースが一番に来ることについては、インターネット花盛りの21世紀の皆さんにとってもすでに特段不思議はないと思います。

二番目にラジオという最も古典的な音声メディアが来るのは少し不思議かもしれませんが、未来社会ではレトロなラジオに再び人気が集まっています。とはいえ、これもネットを通じて聴くというパターンが主流で、昔懐かしいラジカセはすでに骨董品としてしか存在しません。

反面、テレビはやや下火です。テレビ局は衛星放送も含め健在ではありますが、省電のため日中と未明には放送が長時間休止するため、21世紀に比べ、番組の放映時間自体が短縮化されていることもあり、視聴時間は減少しています。特にニュースはネットの24時間動画ニュースに完敗しています。

ところで、マスメディアの元祖・新聞の名が挙がりませんでした。実は、新聞は最初に挙げたネットニュースにほぼ統合されており、紙媒体の新聞は今や地元のタウン紙や専門紙ぐらいに限られています。

これらメディアも、旧世界では商業的報道機関とNHKのような公共報道機関(国によっては国営報道機関)の二元制でしたが、今ではすべて「メディア法人」という公益事業体で運営されています。ここでも、メディアは公益事業です。

他方、前に述べた代議機関・民衆会議が直営メディアとして「民衆会議テレビ」を保有しており、中央・地方それぞれの民衆会議が審議中継や重要な法案・新規法律の解説番組を毎日放映しています。旧社会の制度に即して言えば、国会テレビとか地方議会テレビといったものですが、当時私の知る限りそのようなメディアは存在していませんでした。

ちなみに、未来社会のマスメディア上ではいわゆる犯罪報道がほとんど見られません。これはどうしたことか、検閲でもされているのかと当初思ったものですが、そうではありませんでした。この問題を巡ってはやや複雑な事情があるため、いずれ別途ご報告します。
[PR]
by komunisto | 2013-07-28 11:49 | 情報
2213年7月25日

未来社会のビジネスは、旧社会のそれとは異なり、金儲けを目的としていません。これはカネというものがそもそも存在しないため、当然のことです。

となると、ビジネスは何を目的とするのかと言えば、公益です。未来社会のビジネスとは公益事業です。すると、自動車製造やインターネット・サービスまで公益事業?という疑問が浮かぶかもしれません。

これらも公益事業です。自動車製造であれば自動車という交通手段の提供という公益を、インターネット・サービスであればインターネットという情報手段の提供という公益を目的としています。

資本主義の時代にはこうした事業はすべて金儲けを目的とする営利事業として展開されていて、それが「ビジネス」と呼ばれていたのですが、共産主義の未来社会ではむしろ非営利公益事業がビジネスなのです。

資本主義時代の営利企業の代表格は、株式会社でした。今、株式会社は存在しません。未来社会のビジネスを展開しているのは、社会的企業と呼ばれる公益事業体です。社会的企業には業務内容や規模に応じて種別があるのですが、ここでは細かい問題は省略します。

ところで、未来社会に営利事業は一切存在しないかと言えば、そうでもありません。公式のものとしては存在しませんが、伝統的な青空市やインターネット上の物々交換サイトが盛んです。中には事実上物々交換ビジネスを展開している人たちもいます。

貨幣交換はありませんが、その代わり物々交換は禁止されておらず、合法的な「ビジネス」です。物々交換なんてまるで先史時代に逆戻り?たしかにそうですが、インターネット物々交換は現代的・未来的ではないでしょうか。

というわけで、未来社会のビジネスは公式には公益事業、非公式には物々交換型の営利事業という二元的な混合経済のようになっています。

ちなみにビジネス界で働く人を特にビジネスマン/パーソンと呼ぶ習慣は消滅し、働く人はみな労働者=ワーカーです。もっとも、ワーカホリック(仕事中毒)はもはや存在しませんが。
[PR]
by komunisto | 2013-07-25 08:32 | 経済
2213年7月22日

23世紀の未来人はあくせく働く必要がなく、ゆったりと暮らしていけると書きました。そうしたスローライフを支えるのは4時間労働制です。これは世界労働機関:ULO(国際労働機関:ILOの後身)の条約で強制される全世界共通法です。

21世紀の先進国の標準であった8時間労働制からすると、半分ということになります。半日労働と思っておけばよいでしょう。つまり働くのは午前か午後のみです。旧世界の人たちからすると、「怠け者」社会に思えるかもしれません。しかし、これで十分です。

生産量は旧世界の資本主義時代よりも減少していますが、資本主義時代のような過剰消費社会ではないため、生産量は必要量を確保し得ています。一方で、生産性は向上しています。ワークシェアリングは、そういう言葉も必要なほど常識です。 

未来社会の人たちは仕事以外の時間を趣味やボランティア活動、家族団らんに充てています。決して怠けているわけではなく、自由時間が増加したのです。資本主義時代の長時間労働は労働者の過労からかえって生産効率を阻害していたことが明らかにされています。

今や、日本や米国のように長時間労働で有名だった社会も一変しました。働き蜂は一掃され、過労死は過去の悲劇です。そうした用語すら労働史の本に出てくる程度で、普通の人は知りません。過労死のことを未来社会の人に話すと、驚かれます。働きすぎで命を落とすとは、昔の日本人は悲惨だった、と。ちょうど21世紀の人が『女工哀史』を読んだときの感想に近いかもしれません。

未来社会には働き蜂の代名詞・ビジネスマンはそもそも存在しません。「ビジネス」という言葉は今も使われていますが、意味が大きく変わったのです。では未来社会の「ビジネス」とは?これについては次回ご報告しましょう。
[PR]
by komunisto | 2013-07-22 11:49 | 生活
2213年7月19日

ここまで200年後の未来社会についてご報告してきましたが、果たして未来社会の住人である未来人とはどんな人たちなのかご興味があるかと思います。未来人とは宇宙人のような人たちなのか。

残念ながら、違います。23世紀の未来人は21世紀初頭の皆さんと外見上は全く変わりません。これは世界中同じです。何万年も経つと人類の容貌は変化するという説を聞いたことがありますが、まだそういう時期には来ていないようです。

ただ、性格類型には変化が見られます。旧世界では全般に実際的な人が多かったように思えます。貨幣経済下では、要するにカネの算段に長けた要領のよい人が社会の主流であったわけです。その権化が資本家・資本企業経営者でした。

貨幣経済が廃された23世紀の世界の人たちはどこか遠大で、思索的なところがあるように感じます。もはやカネのことを考えることもなく、基本的に生活不安から解放されているため、あくせくする必要がありません。自分のペースで働き、ゆったりと暮らしていけるのです。

また前にご報告したように、未来世界では理想と現実が統一されていますから、理想を追求することは何も青臭いことではありません。老若男女を問わず、未来人は理想主義者です。未来社会では何の理想も持たない人間はかえって軽蔑されかねません。

もちろん実際的な人は存在しますし、実際家的な仕事もたくさんありますが、そうした職に就いている人たちも、身も蓋もないシニカルな「現実主義者」ではなく、むしろそのような人たちこそ、最も高い理想を追求する理想主義者なのです。

こうして、旧世界では社会の主流からはほぼ締め出されていた理想家肌の思索的なタイプの人間は、未来社会では主役です。ある意味からすれば、不器用な人が主役になれる社会と言えるでしょう。
[PR]
by komunisto | 2013-07-19 10:45 | 社会
2213年7月16日

前回世界旅行についてご報告したついでに、今回は宇宙旅行について。宇宙旅行は、私がまだ旧世界にいた21世紀初頭にはすでに一部実現されていましたが、大金を積んで初めて可能な旅行で、一般市民には手が届きませんでした。

しかし、200年後の未来世界で、宇宙船による宇宙旅行は身近なものとなっています。これも貨幣経済が廃止されたおかげです。他の交通サービスと同様、今やタダで宇宙へ行ける時代です。とはいえ、宇宙旅行は通常の空旅と全く同じというわけにはいきません。

高度の安全確保のため、宇宙旅行は通常の空旅とは異なり、世界航空宇宙機関という機関が一手に引き受け、指定された宇宙センターからのみ出発できます。同機関の日本事務所は東京にあり、日本発の宇宙旅行は歴史ある種子島宇宙センターから出発します。

コースも低軌道宇宙観光という初心者向けのものから、今やホテル施設まで備えた共同宇宙ステーションに到達・宿泊するコースまであります。

ちなみにいわゆる宇宙酔いをはじめとする無重力状態での人体への悪影響は、宇宙医薬学の飛躍的な発達により、宇宙酔い抑制剤の開発などが進み、相当程度克服されています。

ただし、宇宙旅行は世界中で大変に人気がある一方、宇宙船は通常の旅客機のように過密な運用はできないため、申し込みから実際の旅行まで平均して3年待ちとのことで、宇宙旅行は身近になったとはいえ、そう簡単ではないようです。
[PR]
by komunisto | 2013-07-16 11:09 | 生活
2213年7月13日

旅行好きの人にとって、200年後の未来世界は天国でしょう。というのも、未来世界には「国境」という観念がないため、世界旅行は原則的にフリーパスだからです。つまり、ビザなしで世界中どこでも旅行でき、入国審査に当たる面倒な手続もないのです。

このようなことが可能なのは、未来世界にはそもそも「国家」という政治的な枠組みが存在しないからです。といって、世界が完全に一つになったわけではないのですが、旧世界で「国家」と呼ばれていた政治単位は、今「領域圏」と呼ばれるより緩やかな単位に変化しています。例えば、日本は「日本国」ではなく、「日本領域圏」です。

こうした領域圏が統合されて「世界共同体」という一つの包括的な政治単位が構築されています。これは旧世界の「国際連合」(国連)の後身と考えても間違いありませんが、国連はその名のとおり、あくまでも独立国家の連合にすぎなかったのに対し、「世界共同体」は単一の政治単位です。

現在、世界共同体は70個ほどの領域圏で構成され、各領域圏は世界共同体の総会でそれぞれ平等に一票を持ちます。各領域圏には一定の内政自治権が留保されていますが、それも世界共同体の政策と条約の範囲内でのことであり、もはや排他的な主権は有していません。

このように今や、世界はほぼ一つになったのです。そのために世界旅行の自由も大幅に増したわけです。とはいえ、人が何の制約もなく移動できた先史時代とは違います。

空・海港での出入審査は大幅に簡略化されてはいますが、逃亡犯罪人検挙のための指紋照合や違法物資の所持チェックは受けなければなりません。また貨幣貿易が全世界で廃され、貿易に不可欠の税関審査がない反面、環境保護のための検疫はより厳格化されています。

こうした社会秩序の維持や環境保全を目的とする必要最小限度のチェック体制を考慮しても、世界旅行の自由が格段に拡大されたことは事実です。世界旅行の自由にとって高い壁となっていたのは、「国家」であったことが改めて実感されます。
[PR]
by komunisto | 2013-07-13 10:45 | 政治
2213年7月10日

2013年の日本では、フクシマ原発大事故から3年も経たないうちに、原発再稼動へ向けてじわじわと動き出しているようです。もう一度くらい大事故が起きなければ懲りないということなのでしょうか。

200年後の未来世界では、そもそも原子力発電というものは利用されていません。今、「未来世界」と言ったように、原発は世界中で一つも稼動していないのです。70年ほど前にできた「持続可能エネルギー条約」という世界条約に基づいて原発が全世界で全廃されたからです。

原発は環境・エネルギー革命の意義もあった100年前の世界連続革命の後、順次廃止されていきましたが、一部にはなお原発への執着が見られました。そのため、上記の条約が成立するまでには革命からなお30年近くもかかったのです。

この点、核兵器の全廃は革命が一巡した後、直ちに実現したのと比較して、原発については「核の平和利用」というキャッチフレーズの呪縛には強いものがあったようです。

ただ、「原発廃止」と言っても、旧原発の廃炉作業は今なお世界中で続いており、核廃棄物の処理も簡単ではありません。それだけのために、「世界反原子力機関」という専門機関が設けられ、廃炉プロセスの常時監視が行われているほどです。一度建てると閉鎖すら困難な原発は、旧世界が作り出した厄介施設として未来世界では迷惑がられているのです。

現在、世界の電力供給は再生可能エネルギー発電が85パーセントで、残りを最小限度のガス、火力発電等の枯渇性エネルギー発電で補っています。

こうしたことが可能になったのは、貨幣経済の廃止により、高度な再生可能エネルギー技術の開発と管理運用にコストがかからなくなったことに加え、資本主義が廃された未来世界では生産活動と日常生活の省エネ化が徹底しているため、旧世界と比べて、必要なエネルギー量が少なくて済むことも大きな要素です。

地球温暖化もなお完全には終息していませんが、革命後この100年間でその進行に歯止めがかかったため、夏でも意外に涼しく、猛暑でクーラーを付けっ放しということはまずないのです。それどころか、クーラーのない家庭も珍しくなく、面白いことに日本の団扇がクーラー代わりとして世界に普及しているほどです。

残念なのは、ここまで到達するのに、人類はフクシマの事故から100年以上もかかってしまったということです。人間という生き物は、その行動原理をなかなかすぐには変えられない守旧的な生き物なのでしょうか。
[PR]
by komunisto | 2013-07-10 09:35 | 環境
2213年7月7日

先日、裁判所の見学に行ってきました。旧社会でも裁判所という所は、見学者・傍聴人としても、当事者としても一度も足を踏み入れたことのない全くの別世界でしたから、裁判所見学はまさに生まれて初めての体験ということになります。

なぜそれほど裁判所は縁遠かったのかと言えば、地元の市に裁判所がなかったことが大きいでしょう。ところが、未来社会では地元の市の中心駅前の総合ビル一階に小さな裁判所が入っているのです。こういうことは珍しくないそうです。

未来社会の裁判所は人口20万人に一庁程度の割で設置されています。かつて、私の住む地域では隣の市にある地裁支部が最寄の裁判所だったと思うのですが、電車とバスを乗り継いでいかねばならない辺鄙な場所でした。

ただ、こうした街なかの裁判所―「地域裁判所」と呼ばれます―では、旧社会で言う民事裁判(市民法裁判といいます)と軽微な刑事裁判(犯罪法裁判といいます)が行われ、大きな犯罪事件―めったにありませんが―の裁判は庁舎の規模や警備上の理由から大都市の裁判所で行われるそうです。

見学したときには、法廷で軽微な傷害事件の裁判を傍聴することができました。気がついたのは法廷に法壇がないことです。案内の職員に聞くと、どの裁判所にも法壇というものはないそうです。未来社会の裁判官は一段高い所から人を裁く権威者ではなく、当事者と同じ高さで、法と証拠に基づき紛争や犯罪に解決を与える公僕にすぎないからだといいます。

また、未来社会には検察制度がありません。見学した法廷でも、被告・弁護人と裁判官の3人の姿しか見えないため、案内係に聞いたところ、旧社会にあった検察官という官職はそもそも存在しないとわかったのです。その理由や、ではどうやって訴追するのかといったことは、もう少し調べた上でご報告します。

一方、未来社会では一般市民が参加する陪審制が広く導入されているのですが、見学したような軽微事件の裁判では陪審裁判は行われないため、陪審法廷はまだ傍聴していません。機会があれば、大都市の裁判所で見学してみたいと思っています。
[PR]
by komunisto | 2013-07-07 12:01 | 司法
2213年7月4日

2013年7月4日の日本では、参議院選挙が告示されました。改憲派が参議院も席巻するかどうかが焦点のこの選挙は、戦後日本の時代を画する重要な選挙になったと、未来社会の歴史書には記述されています。

ところで、23世紀未来社会の政治についてはまだご報告していませんでした。実は未来社会に選挙はありません。すると、独裁体制なのか。そうではありません。未来社会の政治の中心は「民衆会議」と呼ばれる一種の議会です。

この「民衆会議」は中央と地方に相似的な形で置かれており、中央のものは「中央民衆会議」といい、旧社会の国会に相当します。地方議会に相当するのは、地方自治体の「民衆会議」です。

ただ、「民衆会議」が旧社会の国会・地方議会と決定的に異なるのは、「民衆会議」のメンバーたる代議員は選挙でなく、くじ引きで選ばれることです。くじ引きといっても、全くのランダムではなく、代議員免許を持つ人の中から抽選されるのです。

代議員免許とは代議員免許試験に合格した人に与えられる代議員資格のことで、その試験は代議員として必要な素養を幅広く問う統一試験ですが、難易度は各種の専門資格試験に比べると容易で、誰でもその気になって勉強すれば、三回以内の受験で合格すると言われています。

抽選制のため、選挙制のようにカネとコネを握る大政党のボスが何十年も連続して当選し続けることはなく、政治が世襲されることもあり得ないばかりか、そもそも政治は職業ですらなく、免許制に基づく市民の任務となっているのです。

未来社会にも政党は存在するのですが、政党単位で「民衆会議」に参加することはできない仕組みのため、未来社会の政党とは政治クラブのようなものにすぎません。

それにしても選挙なしで不満はないのか、知人に聞いてみたところ、「選挙なんて学校の生徒会ならいいが、大人のすることではない」と笑っていました。未来社会の人たちにとって、選挙は子どもじみていると映るようです。

逆に、旧社会の人たちにとってはなかなか素直に納得しにくいことですが、未来社会では選挙なしの民主主義がしっかりと成り立っているのです。

ちなみに23世紀未来社会には大統領も首相も、またかれらの手足となる官僚も存在しないのですが、このように政府機構を持たない未来社会の興味深い行政についてはまたの機会にご報告することにしましょう。
[PR]
by komunisto | 2013-07-04 10:23 | 政治