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2213年10月29日

以前、23世紀のTVの比重はメディアの中でインターネット、ラジオに次ぐ三番手だとご報告しましたが、現在TV受信機は全機種インターネット接続が可能ですから―言わばコンピュータTV―、正確にはTVはネットに吸収されたということになるでしょうか。

TVそのものに関して大きく変わったのはチャンネル数です。衛星放送が原則化し、かつ厳しかった電波規制も緩和された結果、TV局開設の自由が広がりました。こうした23世紀のTV局は専門化かつローカル化されており、ニュース、スポーツ、音楽、気象・防災、アニメなど様々な専門局が地方ごとに林立しているのです。

これらの局はすべて民営ですが、商業が廃された時代に商業放送というものは存在しないため、番組に資金を提供するスポンサー資本も存在しません。従って、これも以前ご報告したとおり、番組を中断するCMもないわけです。

番組内容にも変化があります。かつてはやや安易なほど増加していたバラエティー番組や娯楽情報番組はもはやありません。検閲されているわけではありませんが、自然に廃れたようです。代わって、かつては視聴率至上の商業主義的風潮の中で消滅しつつあった硬派報道番組や教養番組専門の局が意外に健闘しています。

こうして電波規制は緩和された一方で、省電のため日中や深夜帯は放送が禁止されるため、TVが全く映らない時間帯があります。こうした時間帯は復権したラジオが埋めているようです。

ところで、かつて公共放送と呼ばれたNHKは革命後、ニュース専門局、スポーツ専門局、教養専門局などに分割・民営化され、消滅しました。これらの局の前身を知る人はごく一部だけです。

現在公共放送と言えるのは、代議機関である中央・地方の各民衆会議が運営する「民衆会議テレビ」だけですが、これは民衆会議の活動に関わる番組のみの特殊な広報専門局です。

ちなみに、本記事ではわかりやすく「チャンネル」という英語由来の旧語を用いましたが、23世紀には「カナロ」というエスペラント語由来の外来語が使われます。なぜエスペラント語なのかということについては、次回ご報告することにしましょう。
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by komunisto | 2013-10-29 11:02 | 情報
2213年10月26日

これまで私は、23世紀の世界では貨幣経済が廃止されているとご報告してきましたが、最近そうした考えは誤っているとの指摘をある経済学者から受けました。

彼女―今や、経済学者の半数は女性です―によると、23世紀の世界ではたしかに通貨制度は廃止されているが、貨幣経済が廃止されたとは言えないというのです。

つまり物々交換の形でなお交換経済は続いており、それぞれの取引界で慣習化されている交換条件にあっては通貨の代わりに特定の物が貨幣と同じ働きをしており、また特定取引界だけで通用するクーポンのような媒介物も存在している以上、姿形を変えた新たな貨幣経済が発明されたにすぎないというのです。

彼女の考えでは、物々交換を含めた交換経済自体が廃止されない限り、真の意味で貨幣経済が廃止されたとは言えないが、強欲な人類は交換経済から手を引くつもりはないだろう。ゆえにいずれ通貨制度も復活し、かつてのドルに相当するような世界通貨も海を越えた交換経済を円滑にするべく再登場するだろうとのことです。

たしかに理論的に詰めていけばそういうことになるのかもしれません。ですが基本的な衣食住に関わる物とサービスに関しては物々交換でなく、無償供給制ですから、生存の根本のところでは交換経済は廃止されています。これは、まさに「生存権」が虚しい空理でなく、実質的に保障されていることを意味します。

文字どおりの貨幣経済下で四苦八苦させられた旧世界人からすると、やはり貨幣という一個の特殊商品が存在しないことの影響は大きく、貨幣を持たなくとも基本的な生活が営めるのは革命的と言えます。そうした重要な変革を軽視して、23世紀の世界をなお貨幣経済の延長とだけみなすのは、一面的であるように思えます。

ともあれ、23世紀の世界では様々な分野で手ごわい女性論客が珍しくなく、もはや「女性○○」という言い方をする必要がないのも、大きな変化ではあります。
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by komunisto | 2013-10-26 09:43 | 経済
2213年10月23日

前回は23世紀人の食についてご報告しましたが、今回は23世紀人の服についてです。23世紀人はいったいどんな服を着ているのか。実は、衣服については表面上21世紀とそう代わり映えしませんが、その生産方法が大きく変わっています。

21世紀までには衣服の生産でも資本主義的な大量生産体制が確立され、工場で生産された規格品をファション店で購買することが当たり前となっていました。しかし、共産主義の23世紀には、こうした服飾産業のあり方も大きく変わりました。

他の業界と同様、衣服も主に「生産協同組合」という共産主義的な中小企業が開発・生産していますが、こうした企業は規格品のほかに注文品も扱うのが一般で、各自の好みのデザインやサイズで服を仕立ててくれます。

21世紀には一部高級服を除いて消滅していた「仕立屋」が産業的に復活しているのです。これによって、サイズが微妙に合わない規格品に悩まされることもなくなっています(下着類まで仕立てができます)。

ところで、21世紀には洋服が世界中に普及していました。現在でも洋服が主流的であることは変わらないのですが、近年、民族衣装ブームが世界中で起きています。しかも、互いの民族衣装を交換し合うのです。例えば、アフリカ人と日本人がアフリカの民族衣装と日本の和服を交換し合うといった具合です。

こうしたことが起きるのも貨幣経済が廃され、インターネットを通じた物々交換が盛行しているためです。インターネットの衣服交換サイトは特に人気がありますし、オフラインでも海外の民族衣装専門の物々交換ブティックもあるようです。

実際、街を歩くと和服の人もいますが、どこか見知らぬ海外の民族衣装をまとっている日本人もしばしば見かけられ、日本にいながら海外旅行をしているような気分にもなります。

このように民族衣装ブームが偏狭な国粋主義の文化的表現ではなく、普遍的な世界主義的な文化の実践として発現していることは、世界が―貨幣を介することなく―ひとつになった23世紀ならではの現象なのかもしれません。
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by komunisto | 2013-10-23 10:04 | 文化
2213年10月20日

23世紀人はいったいどんな食生活を送っているのだろうか━。食いしん坊の21世紀人ならば、興味があることと思います。この点、23世紀的食生活で一番目立つのは、肉食の後退です。

20世紀から21世紀にかけては、逆に肉食の時代でした。日本のように肉食が限られていた所でも、肉食系の西洋料理が普及し、ステーキやハンバーグなどが常食のようになっていました。その結果は、肉食で起こりがちな心臓血管系生活習慣病の多発でした。

23世紀人は健康長寿ですが、その秘訣の一つが「脱肉食」にあることは明らかです。菜食習慣は世界に広がっており、元来肉食系の欧米でも菜食はもはや一部好事家の単なる「主義」ではなく、一つの食習慣となりつつあります。面白いことに、宗教が下火の一方で、仏教の精進料理のようなものが健康食として世界に普及しているのです。

なお、肉食の後退の隠れた背景として、以前ご報告したように、動物の権利保障が世界的に進み、食用動物の屠殺に関する法規制が強化されたことも指摘されています。

ちなみに、最も安易な―と、23世紀人なら評するでしょう―肉食系料理であったハンバーガーも過去のものです。本家北アメリカでも廃れ、かつてマクドナルドをはじめ、世界を席巻したハンバーガーチェーン店もありません。こうしたファストフード習慣のために肥満が広がっていた北アメリカでも、人々は痩せ型になりました。

そもそもチェーン店方式の画一的な飲食サービス自体ほとんど見られません。飲食サービスもすべて無償ですから、チェーン店で稼ぐということは想定できず、料理人がそれぞれ自分の腕と味を生かした個人営業の飲食提供所を運営するのが一般的です。今や、料理は商売ではなく、「食の芸術」ととらえられているほどです。

こうして、23世紀人は全般に「草食系」になったと言えるでしょう。そのせいかどうかわかりませんが、人々は攻撃的ではなくなり、暴力犯罪や戦争も圧倒的に減少しているのです。
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by komunisto | 2013-10-20 10:13 | 生活
2213年10月17日

前回、23世紀の中東ではもはや過激主義を生み出すような宗教熱は見られないと報告しました。このことは、イスラーム教に限らず、宗教全般について言えるようです。

かつては「文明の衝突」などと評され、イスラーム教に対抗したキリスト教も同様に下火です。キリスト教と言えば、カトリック総本山のバチカン法王庁が注目されていましたが、ローマ法王も今ではカトリック信徒団長といった趣きで、その動向が一般メディア上で報道されることはほとんどありません。

イスラーム教聖地メッカは、旧サウジアラビアにあった宗教都市で、世界中から巡礼者が詰めかけることで有名でしたが、現在は「アラブ合同領域圏」に属する都市で、巡礼地というより観光地となっています。

日本でも各地にあった仏教寺院の多くが継承者なく廃寺となり、宗教施設としてではなく歴史的建造物として住職不在のまま保存されている寺院も少なくありません。

このように宗教が下火なのは、人類が宗教に救いを求めることがめっきり減ったためです。宗教は貨幣経済がもたらす生活苦と相関関係にあることが、明らかにされています。つまり、貧困に苦しめば苦しむほど、人は神に救いを求めるものなのです。 

ただ、人間が死すべきものである限り、死者への追慕・哀悼の情を宗教で埋める必要はあるようで、現在でも葬儀が宗教的に営まれる習慣は世界中に残されています。しかし、これとて、かつてに比べると、無宗教の葬儀や一種の自然葬としての海洋散骨を選択する人が珍しくありません。

結局のところ、23世紀における宗教の主要な役割は、個人的な哲学―宗教哲学―としての側面にウェートがあり、宗教が社会的・政治的に重きを成す時代は終焉したと言えるでしょう。
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by komunisto | 2013-10-17 12:12 | 文化
2213年10月11日

23世紀の社会で興味深いことの一つは、漢方医学(広くは東洋医学)が以前にも増して世界的に普及していることです。といっても、漢方医学が西洋医学に取って代わったのではなく、医学の基本的な枠組み自体は西洋医学(広くは近代医学)ですが、思想的な面で漢方の影響が強いのです。

そうした漢方思想の具体的な表れとして、予診センターという制度があります。予診センターとは大規模な総合病院に設置されている院内センターで、その名のとおり、予備的な診断をする部門です。

そこでは、臓器別や疾患別ではなく、まずは体質を含めて全身的に診察され、第一次的な診断が出されます。この段階ではまだ正式な病名はつかず、ここから院内紹介の形で臓器別の診療科へ送られるのです。言わば独立した総合診療科で、現代の大病院ではこの予診センターを通らないと各診療科へは直行できない仕組みです。

これは眩暈とか頭痛のようにどこに問題があるのかわからないような症状を鑑別して適切な診療科を紹介してもらうことで、何箇所も病院・診療科めぐりをさせられなくて済む合理的な制度だと思います。一方で、目が痛いのに眼科に直行できないのは不合理とも思えるのですが、眼痛=眼病とは限らないことを思えば、予診をまず通るのは無難とも言えます。

ちなみに21世紀社会では、眼科などは開業医も多かったので、眼科の診療所へ直行することもできたわけですが、23世紀社会では、開業医はそれ自体が家庭相談医としての専門資格を要することになっており、内科とか眼科等々の特定診療科の看板は出せないのです。おまけに貨幣経済が廃され、医療も無償ですから、開業医の経済的メリットは大幅に薄れ、開業医自体少ないのが実情です。

ところで、漢方薬自体は21世紀の標準医療でもしばしば処方されるようになっていましたが、23世紀の医療では、同等の効能が得られる場合は、より副作用が少なく、患者個人の体質にも適合する漢方薬が西洋薬に優先して第一選択で処方されるようです。

こうした事情から、現代の医学教育では西洋医学と漢方医学が融合的に教えられており、医師免許試験でも西洋医学と漢方医学双方の知識が問われるとのことです。その結果、かつてよりも総合的・全人的視野を備えた医師が育ち、誤診の防止にも効果を発揮していると言われています。
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by komunisto | 2013-10-11 10:05 | 衛生
2213年10月8日

23世紀の現在、世界が共産主義化されてもう1世紀近く経過しており、私のように旧世界からタイムマシンで飛んできた少数の人間を除き、100歳を超えた古老でも資本主義時代はまだ幼少で、ほとんど記憶に残っていないという時代です。

そういう時代にあって、資本主義への回帰を訴える運動も一部に存在します。先日、そうした運動に関わる人の話を聞く機会がありました。彼は50歳代ですから、生まれた時から共産主義社会で生きている人です。

その彼の意見では、資本主義時代のほうが自由かつ豊かであったというのです。当時は、資本家・経営者が自由な発想に基づいて多様なビジネスを展開し、投資家は財産の投資先を自由に選択し、運用できた。消費者は資本制企業が市場競争の中で開発・提供する豊富な商品・サービスを自由に選択購入し、自分らしい生活を楽しむことができた。そうした自由と豊かさを奪い取ったのが共産主義である、と。

しかし、資本主義時代の労働はしばしば過酷な労働条件に縛られた搾取的なもので、ひとたび貧困に陥れば豊富な商品・サービスも入手できず、生活苦にあえぐこととなり、運にも見放されれば野宿生活にすら落ち込んだのでしたが?

彼によればしかし、労働者も一念発起し、努力すれば条件のよりよい職を得られたし、運も味方につければ資本家・経営者に転身することもできた。貧困者は保護制度で救済され、再起するチャンスが与えられていた(それはどうでしょうか)。そうした個人の努力可能性を封じ、山も谷もない人生を押し付け、怠け者でも食っていける堕落社会を作り出したのが共産主義である、と。

しかし、資本主義は地球環境問題を解決することがついにできず、破局的な地球環境危機を招いたことが革命の要因でもあったのでは?

彼によればしかし、地球環境はわれわれの想像以上に強靭なのであって、資本主義的生産活動によって持続不能なほどに害されることはなく、環境危機を招いた主因は地球そのものに内在するものであったというのです。

さて、人間は経験したことのない世界を闇雲に理想化しがちですが、彼もまたその一人のようです。彼の言い分にはいくらか理もあることは認めますが、山から谷へ転落することもあり得た不安な時代を経験した私にはいささかナイーブなものに感じられました。
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by komunisto | 2013-10-08 13:58 | 経済
2213年10月5日

私が旧世界にいた21世紀初頭は、人間の思考が利潤中心に回っていました。要するに金儲けです。常に経済効果とかビジネスチャンスとか「金になるかどうか」という打算が先行しますから、環境保護などは二の次、三の次です。

その前の20世紀には、そうした利潤中心の資本主義的思考に対抗して、社会主義や共産主義などの思潮も普及しましたが、同世紀末に起きた資本主義革命―共産主義の総本山と目されたソ連とその同盟諸国で発生した連続的な体制転換―がそうした思潮をほぼ消し去ってしまったのです。

200年飛んで23世紀の現在は、資本主義一色から共産主義一色に変わっています。ぶれが少し極端な気もしますが、資本主義一色の時代を20世紀末から100年近くも経験してみて、人類が到達した結論です。金儲け優先では、生活や環境―つまりは命に関わる事柄―が害されるという事実にやっと気がついたのです。

利潤中心の思考をしていた頃、人間は貨幣の奴隷と化していました。かれらは自らが作り出した大変便利に見えた貨幣価値という観念に隷従してしまっていたのですが、その代償は頻発する経済危機による生活不安ばかりか、地球そのもののが持続しない危機を招くというものでした。

現在の人類の思考は利潤という狭い了見を抜け出し、福利を中心に回ります。「儲かるかどうか」ではなく、「暮らせるかどうか」です。

かつて貨幣経済だった頃は、暮らすためにも金が必要ということから、「暮らせるかどうか」も結局は「稼げるかどうか」ということに帰着していたのですが、脱貨幣経済の今、「暮らせるかどうか」は「生きていけるかどうか」ということに帰着しますから、地球環境の保全も第一の根本課題となるのです。

とはいえ、人間の思考は時代によってかなり大きくぶれるもののようですから、福利中心の思考がいつまで続くかはわかりません。実際、資本主義への回帰を訴える運動も存在するのです。これについては、次回ご報告しましょう。
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by komunisto | 2013-10-05 09:49 | 思考
2213年10月2日

21世紀初頭の世界では先般、国連の作業パネルから、21世紀末の地球環境予測が発表されました。それによると、人間の活動を主因とする地球温暖化は一段と進み、平均気温は20世紀初頭と比べて最大4.8度、海面水位は最大82センチ高くなると警告されました。

23世紀現在から振り返ると、実際のところ、事態は国連の控えめな予測を超え、いっそう深刻でした。21世紀末になると、海面上昇の進行により南太平洋の島嶼国家の中には水没し、消滅する国も現れました。日本でも低地では高潮被害が頻発し、沿岸部に人が住めなくなりました。台風の頻度と規模はいっそう大きくなり、毎年大量の被害を出しました。

全世界的に温暖化に伴う異常気象が常態化し、それに伴う人的・物的被害は戦争に匹敵するほどとなったのです。「地球環境戦争」という言葉が人口に膾炙するまでになりました。

ここに至って、ようやく世界の人々は立ち上がります。21世紀末から22世紀初頭にかけての世界連続革命は、環境だけが要因ではないにせよ、環境悪化に基因する経済危機の発生を含め、環境が一つの重要な契機となった点で過去の革命とは異なっていたため、歴史上「地球環境革命」と呼ばれることもあります。

とりわけ、一貫して温暖化対策に消極的であったアメリカ人が目覚めました。その頃になると、アメリカでもハリケーン被害や中西部での干ばつが深刻化し、国家的危機に陥っていたのでした。

革命は単に「対策」のレベルにとどまらず、地球環境を害していた生産体制そのものの転換にまで突き進みます。要するに、およそ300年にわたって続けられてきた資本主義体制と決別し、環境的持続可能性を組み込んだ新しい共産主義体制へ移行したのです。 

私が旧世界に暮らしていた21世紀初頭にはまだ淡い夢でしかなかったことが、実現しているのです。ただ、そこまで到達するのにさらに100年近くを要し、その間多くの無用な人的・物的被害を耐え忍ばなければならなかったという事実には、いささかため息ではありますが。
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by komunisto | 2013-10-02 10:30 | 環境