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2214年2月27日

かつて人類史は、ある意味で移民の歴史でした。個人的な「移住」でなく、集団的な「移民」が発生するのは、ほとんど専ら経済的な理由―災害や戦争を契機とする場合でも結果同様―からでした。すなわち、貧しい国からより豊かな国への移民です。

このような移民現象が生じるのも、国により経済水準に著しい格差があったからでした。そうした国家間格差の要因は、貨幣にありました。個人間の経済格差と同様、国別の貨幣の持ち高による格差です。しかし、革命後、貨幣経済が廃止されたことで、こうした国家間格差も消滅し、世界は良い意味で均質になりました。もちろん、均質に貧困なのではなく、均質に充足しているのです。

そのため、ひとは生まれ育った領域圏―何度か紹介しているように、かつての国に相当する単位です―を集団で去る必要はなくなりました。移民の歴史は幕を閉じたのです。

ちなみに、かつて世界でも有数の人口減少が生じていた21世紀の日本では、一時移民受け入れによる人口維持策という愚策を試み、失敗に終わっています。

まず、元来異邦人に対して警戒的な風土で、移民政策への反対も強い中、移民受け入れ枠が中途半端なものに終わった一方、懸念されていたとおり、移民は社会で受け入れられず、被差別下層民として底辺労働で搾取されました。結果は、貧しい移民地区の形成と治安の悪化でした。移民排斥を訴える極右政党が議会を席巻し、この政策は間もなく廃止されています。

移民は日本に限らず、程度の差はあれ、こうした周縁化問題と民族摩擦を引き起こすということも、歴史の法則です。

思うに、人間は生まれ育った風土から切り離すことのできない生き物であって、個人的な理由から海外へ移住する場合を除き、生まれ育った領域圏内で生涯を終えるのが最も自然なようであり、また社会の安定にもつながるようです。
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by komunisto | 2014-02-27 08:41 | 経済
2214年2月23日

前々回、民営交番の報告をしましたが、今回は民間公安組織というややタブーに触れる報告です。公安=公共安全はかつて政治警察(公安警察)の仕事であることが常識でしたが、これも23世紀には大きく変わりました。

現在、公式の警察組織に公安警察という部署は存在せず、かつて公安警察が担っていた機能の大部分は、交番を運営するのと同じ社会安全連絡会(社安連)が担っています。すなわち社安連の公共安全課という部署がそれに当たります。

公安警察は100年前の革命後間もなく廃止され、その任務の多くは反革命活動を監視する民間組織であった革命防衛連絡会(革防連)に引き継がれたのですが、現在の社安連はこの革防連と、日常的な防犯活動に当たった防犯協議会が40年ほど前に統合再編された新組織なのです。

社安連公共安全課は交番とは異なり、アンダーカバーの部署であるため、実態が秘密にされていて、不透明なのですが、基本的には革防連の任務を受け継ぎ、反革命活動の監視に当たっているものと推定されます。従って、資本主義復活運動などはその監視の中心ターゲットと思われます。

ただ、旧公安警察とは異なり、民間公安組織は逮捕や捜索押収のような強制捜査権を持たないため、その活動は監視と情報収集にとどまりますが、活動の中で犯罪行為を見出したときは、警察に告発し、捜査協力する権限と義務を持っています。

このように民間公安組織の活動は大部分が非公式のアンダーカバーであるため、旧公安警察以上に秘密のベールに包まれています。そのため、民主的な情報公開の観点からはしばしば問題視され、革命から100年以上を経た現在、もはや大規模な反革命活動など見られないことからも、廃止論が聞かれます。

とはいえ、23世紀社会は強力な市民主導社会であるため、交番のような日常的な防犯活動のみならず、こうした公安活動までも警察に依存せず、民間組織の手で行うべきものという意識には確固たるものがあるようです。
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by komunisto | 2014-02-23 09:26 | 政治
2214年2月19日

2014年2月の日本では、記録的な東日本豪雪被害で一大事となっているようですね。特に深刻なのは、道路の積雪の影響で、食料の流通が麻痺することでしょう。23世紀現在、こうした問題は公共災害備蓄制度によって解決されています。

公共災害備蓄制度とは、予め生産企業に対し、災害に備えた物資の製造を義務づけ、市町村の地区ごとに常備し、災害時に被災者に供出・配給するというものです。これは企業や自治体の自主性に委ねられた対策ではなく、全土的に法律で義務づけられた公共的な制度なのです。 

ちなみに、災害時には乳幼児向けのミルクやおむつ、病者・高齢者向けの薬品・療養食、おむつ等の配給も不可欠ですが、これらも公共災害備蓄制度でカバーされます。

災害に備えたこうした余剰生産体制は、計画経済の一環となっています。環境に配慮された計画経済が世界規模で確立されている23世紀現在、21世紀に見られたような極端な異常気象は終息していますが、地震、台風、大雪など避けられない災害は起きており、そうした時にこの制度が効果を発揮しています。

災害時の交通途絶は物資の配給をも困難にしがちです。21世紀には大規模災害の救援は自衛隊の出動に頼りがちでしたが、救難は国防部隊である自衛隊の本務ではなく、災害救難に専従できるわけではありませんでした。

現在、こうした場合こそ以前報告した地方圏(道)所属災害救難隊の出番です。この部隊はまさに災害救難に特化していますから、市町村の要請があれば直ちに出動し、物資配給にも従事でき、欠乏状態が早期に解消されます。

資本主義時代、平常時の流通は円滑で、物不足になるようなことはまずありませんでしたが、災害のような非常時になると、自由流通経済は途端に弱みを発揮します。こうした非常時の強みは、計画経済のほうにあると言えるのではないでしょうか。
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by komunisto | 2014-02-19 09:26 | 社会
2214年2月15日

日本の代名詞のようにもなっていた交番は23世紀の今でも健在ですが、制度には大きな変化があります。かつての交番はれっきとした警察組織の一部でしたが、現在の交番はある意味で「民営」なのです。

すなわち現在の交番は、市町村ごとに組織された社会安全連絡会(社安連)という防犯市民組織が運営しており、交番に詰めているのは警察官ではなく、防犯員と呼ばれる民間人です。

防犯員は先の社安連に雇用された職員で、民間のガードマンと似ていますが、ガードマンよりは公的な性格が強く、広い範囲で防犯警邏活動を行います。

従って、防犯員は警察官としての権限を持たず、制服も別で、拳銃も所持しません。時に現行犯を逮捕することはあるようですが、事件に際しては警察に通報したうえ、現場で警察官を補助するのが本務です。

かくして「交番のお巡りさん」というお馴染みの警察官の姿はもう見えず、パトロール警官もいかつい警備警察の一員となり、警察は身近な存在ではなくなっています。ただ、何度か指摘したとおり、犯罪は極めて少ないため、警察官の数も比較的少なくて済み、「小さな警察」となっています。

ちなみに、社安連という組織は交番を基礎とした地域防犯活動のほか、保護観察中ないし社会復帰した犯行者の更生保護、さらには公安監視などのアンダーカバーな任務も持つ総合的な防犯組織となっています。

このように治安に関わる業務が「民営化」されているというのは、私のような旧世界から来た人間にはなかなか想定し難いことではありますが、市民主導の23世紀社会の特質をよく示しているように思われます。
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by komunisto | 2014-02-15 10:37 | 社会
2214年2月11日

以前、23世紀の建設作業は地方自治体に属する建設作業隊が一手に担うと報告しました。この建設作業隊とは、正確には「建設事業団」と呼ばれ、地方圏(道)の公営事業体です。

かつて大規模なビルやマンションの建設は、ゼネコンと呼ばれる総合建設会社が元請けし、それを何重もの下請け建設会社に委託して建設させる複雑な方式が一般的でしたが、現在では旧ゼネコンに相当するのは建築事業組合で、そこからの発注で建設事業団が実際の建設作業に当たるのが通常の流れです。

このうち建築事業組合とは建築士が運営する設計事務所のようなもので、企業というよりは建築工房のようなものですが、旧ゼネコンの流れを汲む大規模な企業体は建築事業法人と呼ばれます。これに対して、建設事業団は建築事業組合・法人の設計に従って、現場の建設作業全般を請け負う公営事業体です。

建設事業団は道内の地域圏を目安にいくつかの方面作業隊に分かれており、それぞれの管轄地域内の建設作業を請け負います。建設作業全般を一括して担う技術を擁するため、設備ごとに細分化して請け負う必要もなく、シンプルな流れになります。

作業隊はある種の軍隊的規律をもって運営されており、建設現場でも整列・敬礼などの光景が見られ、昔の建設現場を見慣れた者にはやや奇異にも映ります。ただ、こうした軍隊的規律は生命身体の危険と隣り合わせの建設作業においては安全確保のために有効と考えられているようで、実際、建設現場での巻き添えを含む死傷事故はほとんど聞きません。

この建設事業団に関してもう一つユニークなことは、建設学校という作業員養成校まで運営していることです。この学校を卒業すると建設業務取扱主任者という資格が与えられ、さらに上級資格として建設業務管理者という現場監督レベルの資格もあります。建設作業員は今や、公的に認証された技術職として確立されているわけです。

その結果、建設作業員はかつてのように地方からの出稼ぎや失業対策の手段ではなく、社会的にも認知された技術者となり、21世紀初頭の日本で起きていたような人手不足とも無縁です。
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by komunisto | 2014-02-11 10:25 | 経済
2214年2月7日

先日、近くの基礎教育課程の学校を見学したことをご報告しました。この学校の正式名称は「K郡立S第三基礎学校第二学舎」と長いのですが、このうち冒頭のK郡とは法律上地域圏と呼ばれる中間自治体のことを指しており、S市はその中に包含される10数個の市の一つなのです。

21世紀当時の地方自治制度は市町村と都道府県の二層構造でしたが、23世紀の現在は市町村、郡、道の三層(市では区が設けられることも)を基本としています。地域圏とは、郡の法律上の一般名称です(同じく、道は地方圏)。

こうした郡には他の自治体同様、民衆会議が置かれ、やはり免許取得者からくじ引きで選出される代議員が存在します。K郡民衆会議は隣りの市に置かれているため、S市民衆会議ほど身近ではありませんが、旧都道府県議会よりは生活現場に近いところにある代表機関です。

実は郡と呼ばれる地方行政単位は20世紀の第二次世界大戦前の一時期にも存在していたのですが、それが復活した形となっています。復活といっても旧郡がそのまま復活されているわけではないようで、時折必要に応じて区割り変更もある変動的な自治体なのですが、私の地元に関しては旧制のK郡がおおむね復活されています。

現代の郡の役割は、公教育と地域医療、それに消防、上下水道が主要なものです。かつてこれらは主に市町村で担っていましたが、いずれも小さな基礎自治体で担うには重い役割のため、周辺市町村を束ねた中間自治体が創設されたのです。

その結果、特に地域医療に関しては、一般に中小規模の市町村立病院では限界のあった総合医療や救命医療の機能が郡立病院化により大幅に向上しています。また基礎教育では、かつて主に都道府県が担った旧高校レベルの課程まで郡内で完結させることができるようになっています。
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by komunisto | 2014-02-07 10:02 | 政治
2214年2月3日

先日、近所にある基礎教育課程の公立学校を見学してきました。23世紀の学校は一般市民に対しても随時見学を認めているので、事前予約を取れば、授業時間中でも自由に(ただし案内人付きで)見学できるようになっているのです。

前にご報告した通り、23世紀の基礎教育課程(義務教育)は全13学年一貫制ですが、見学した学校は第5学年から第9学年までが在籍する中等段階の学校です。旧制ではほぼ小学5年から中学2年あたりに相当する一番難しい時期の子どもたちが集まっています。

教室を見て驚かされたのは、私が通った20世紀の学校のように机が黒板に向けてきれいに並んでいないことでした。グループに囲んでいるものもあれば、一人机もあるという具合にばらばらなのです。一瞬学級崩壊?という観もあるほどです。

案内人に聞くと、現在の授業スタイルは教師が黒板の前で説明するのを生徒が座って拝聴する講義形式ではなく、一人もしくはグループでそれぞれの課題を見つけて、わからないところを教師に聞くという自習スタイルなのだそうです。

教科ごとに統一の教科書はあるのですが、その内容は昔のように解説調ではなく、最小限の基礎知識だけを与えてあとは自分で課題を見つけさせるという探求型の構成となっています。簡単に言えば、問いに答える学習から、問いを見つける学習への転換です。そうした探求は一人でしてもいいし、グループでしてもよく、そのため机の向きもまちまちなのです。

教科書は紙書籍ではなく、教科書専用端末に一本化されているため、重いランドセルも肩掛けカバンも不要、手ぶらで登校する生徒も珍しくありません。教科書専用端末はインターネット接続も可能で、学校に大型パソコンを常備する必要もありません。

さらに先進的なのは、中等段階からは時間割も生徒が各自で作成するという旧大学のような仕組みになっていることです。従って、学級ごとに合同で授業を受けることはありません。学級という制度自体も議論の末、10年ほど前に廃止されたそうです。これによって、かつていじめの舞台となりがちだった学級が消え、いじめも激減したとのことです。

要するに、23世紀の学校は公式制度でありながら、実質上はフリースクール化されていると言えるでしょう。21世紀の保守的教育者たちなら顔をしかめるかもしれませんが、私が見た生徒たちは皆生き生きとしていたのが印象的でした。
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by komunisto | 2014-02-03 10:13 | 教育