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2214年7月28日

23世紀の生活で大変重宝することの一つに、住生活サービスの充実があります。生活していれば家電の故障から水漏れ、蜂の巣まで、さまざまな生活トラブルに遭遇しますが、そうした場合、行政の住生活サービスに電話するとすぐに対応してくれるのです。

こうした総合窓口は全市町村に設置が義務づけられており、地元S市では「住生活総合課」が正式名称ですが、通称で「なんでもやる課」と呼ばれています。

なんでもやるとはいっても、違法行為や公序良俗違反の依頼を受けないのは当然として、警察や消防が対応すべき事案や保健所管轄事項の依頼も引き受けません。また家電の修理のように専門業者でないと安全確実に実行できないような作業についても、専門業者への連絡手配をするだけです。

そういう制限はあっても、自分で営利系の対応業者をいちいち探さなければならず、中には運悪く悪徳業者にひっかかってしまうこともあった200年前より利便性に富む行政サービスだと思います。私も23世紀に飛んできてからすでに何度か「なんでもやる課」の世話になっています。

このなんでもサービス行政はおそらく昔の「すぐやる課」のような即応生活行政を発展させたものと思われますが、予算という貨幣経済特有の金銭的な枠に縛られた縦割り行政システムの中では十分に展開できなかった総合生活行政が、共産主義社会になって本格的に実現したのです。

本来、サービス―23世紀にはエスペラント語由来の外来語で「セルボ」と言われます―とは奉仕のことで、行政サービスとは行政による住民への奉仕にほかならないのですから、「なんでもやる課」のような総合生活行政こそ、本来の行政の姿なのかもしれません。
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by komunisto | 2014-07-28 10:09 | 生活
2214年7月23日

私が旧世界にいた21世紀初頭には核家族化が高度に進行し、家族はせいぜい3、4人の小さなグループに切り刻まれていました。こうした孤立的な核家族モデルは近代的とされる一方で、様々な家族病理現象の発生源ともなっていたものです。保守的な論者の中には、古い大家族制へのノスタルジックな回帰を主張する向きもありました。

実は、あれから200年を経た現在でも、核家族化の基本線は変わっていません。否、むしろ結婚制度廃止・パートナーシップ制移行により核家族化は完全に定着したと言ってよいでしょう。

しかし、そうした中にもある変化が見られます。それは、集合家族現象です。つまり、隣近所の核家族同士がまとまって一つの大家族のようなグループを形成する現象です。集合家族間では家事や育児、時に介護まで融通し合います。 

こうした現象には、共産主義社会で農業を中心とした第一次産業が復権したことが寄与しています。つまり、革命後、都会から帰農する家族が増加し、そうした帰農家族同士が農村で集合家族を形成しているのです。一見すると、古い農村の家族像と似ていますが、現在の集団農業は世襲の家業ではないので、一つの家に数世代が同居する昔の拡大家族とは異なります。  

興味深いのは、農村ばかりでなく、都市部でも同様の現象が観察されることです。都市部でも、4時間労働制や職住近接の定着により、近隣のつながりを通じた集合家族が形成されているのです。特に職住近接は、近所に同じ職場の人が集住することになりやすく、言わば自然にかつての「社宅」のようなものが形成されるわけです。

現在の倍の8時間労働が基本で、そのうえに残業が常態という資本主義時代、都市は寝に帰るだけの「ベッドタウン」と化していたことが、孤立した核家族現象を生んでいたのですが、共産主義はその流れを変えました。

ただ、共産主義的集合家族は前近代的な血縁に基づく大家族の復活ではなく、近代的な核家族モデル自体はこれを維持しながら、核家族を孤立化させず、横につないだのだと言えるでしょう。

とはいえ、孤立型核家族に慣れ切った者には、集合家族はいささかプライバシーが筒抜けのような感もありますが、隣に住む人が誰だかわからない不穏さと「筒抜け」の煩わしさとを比較した場合、前者のほうがいいと一概に言い切れないのではないでしょうか。少なくとも、かつて孤立型核家族の病理に苦しんだ私は後者を支持します。
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by komunisto | 2014-07-23 09:24 | 社会
2214年7月13日

田舎で自給自足生活を送る21世紀の読者S氏から、23世紀共産主義社会でも量産既製品の供給体制が続いているなら、それを無償化しても既製品頼みの資本主義時代と本質上変わらないのではないか、という問題提起のお便りをいただきました。

たしかに23世紀社会は完全自給自足社会ではありません。生産様式は変わったものの、基本的な生活物資については量産既製品の供給体制が続いております。その点では、原始農耕共産社会とは大きな違いがあります。

ただ、資本主義時代と全く変わらないかと言うと、現在では職人的生産方式が復活しており、家具とかインテリア関係の調度品や服飾などは職人工房で製作され、注文生産も行われます。以前の記事でご報告したように、自家用車までもが注文生産方式となっています。

食品関係は、消費事業組合を通じた地産地消政策の定着により、地方的な特色に富んだ品揃えになっています。そのため、かつてのように全国どこの店(供給所)でも同じメーカーの規格品を扱っているということはありません。

S氏のように、主義として自給自足生活を送っている人たちも増えています。計画的な職業配分制度のおかげで、職住近接が実現しているため、田舎に住んで半自給自足のような生活をすることはしやすくなっているからです。 

特に農業共同化の現場である市民農場では週末だけのパート農務員も雇用していますから、週末農業に従事する人は多いようです。農務員は農産物の一部を自家用に収取する権利が認められるので、その限りでは自給的な暮らしになります。

このように、完全な自給自足生活を理想とするなら、23世紀共産主義社会には不徹底の不満があるかもしれませんが、むしろ分業体制を維持しながら自給自足的な要素を取り入れるという不徹底さに長所があると見る余地もあるように思われます。
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by komunisto | 2014-07-13 09:16 | 生活
2214年7月8日

前回、23世紀のW杯開催方式に関して、反ナショナリズムが徹底していることを報告しましたが、23世紀の反ナショナリズムは単なる精神論ではなく、明確な法的根拠に基づいています。

反ナショナリズムは、世界共同体憲章(世界憲法)に明文の規定が置かれており、これを受けてナショナリズムの宣伝・扇動を禁止する反ナツィイスモ(エスペラント語:ナショナリズム)条約が締結されています。この条約は、そのまま世界共同体を構成する領域圏の法律としても適用・執行されます。

禁止されるナショナリズムの宣伝には、領域圏旗・領域圏歌(旧国旗・国歌に相当するもの)の禁止という200年前には考えられなかった項目も含まれています。従って、今や日の丸・君が代も歴史の中の存在です。かつて日の丸が飾られていた場所にあるのは、世界共同体旗です。ちなみに、世界共同体歌は存在しません。

こうした禁止措置はW杯のようなスポーツ大会にも適用されるため、W杯の応援で領域圏ごとの旗が振られるようなことはなく、もしそのような行為をしたら、ナツィイスモ宣伝罪として摘発されてしまいます。また試合の前に歌われるのは、世界サッカー連盟が作成した短い連盟歌です。

そのほか、自民族の優越性を強調したり、他民族を侮辱したりする言説も取り締まり対象となりますから、「日本人が世界に誇る・・・」というような200年前には過剰なほどよく聞かれた自讃表現もご法度という厳しさです。

ただ、反ナショナリズムとは排外主義的な民族性の主張を禁止するもので、民族差別や異民族支配に対する抵抗としての民族性の主張は対象外です。そのため、かつては独立性を認められていなかった中東の少数民族クルド人のクルディスタン領域圏とか、チベット人のチベット領域圏といったものが今日では承認されているのです。

旧世界的感覚からすると、ナーバス過ぎるようにも思えますが、元来人類遺伝学的には人類は一つの種族なのですから、小さな民族に分裂し、何かと対立し合うことこそ不自然だったのですね。
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by komunisto | 2014-07-08 14:42 | 法律
この記事は、都合により削除致しました。
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by komunisto | 2014-07-03 22:31 | 文化