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2214年9月30日

200年前、「時代劇」と言えばたいていは江戸時代もしくはその直前の戦国時代を舞台とした封建時代のドラマを現代劇俳優が演じるものでした。こうした封建時代劇は20世紀に発祥し、それが21世紀にもおおむね引き継がれていました。

23世紀にも「時代劇」と呼ばれるジャンルのドラマや映画は残されていますが、扱う時代は大きく異なり、近代です。それも昭和前期から中期頃までの「モダン」ながら、まだ前近代的な要素も残されていたレトロな感じのする舞台となります。

21世紀にもこの時代を扱うレトロなドラマはそれなりにあったと記憶しますが、それらを「時代劇」と呼ぶことはなかったので、筆者のような旧時代人にとっては時代感覚がずれているような感もあります。しかし世紀が進むにつれ、「時代劇」が扱う「時代」も少しずつずれていくのは当然とも言えます。

では、かつての「時代劇」に相当する封建時代を舞台とするドラマなどは消滅したのかと言いますと、そうでもなく、それは「古典劇」という名前に変わって存続しています。

ただ、「古典劇」はかつての「時代劇」ほどに大衆化しておらず、演劇愛好者向けの玄人的なジャンルとなっています。俳優も通常の現代劇俳優が着物を着て演じるというのではなく、「古典劇」だけを演じる専門の俳優と劇団が存在しています。

「古典劇」が通常のテレビ番組として放映されることはほとんどなく、専門劇団の公演として演じられるのが基本で、あとは映画のDVD頒布、動画配信などの方法によって愛好者層に向けて発信されるものです。

このように封建時代劇が廃れた理由についてはいろいろと文化論的な分析がなされていますが、封建時代が終わって350年近くを経た現在、さすがに封建時代人の心情や時代背景を理解し、鑑賞できる人は、一部に限られてきたからのようです。
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by komunisto | 2014-09-30 17:21 | 文化
2214年9月25日

23世紀社会には、全員に所持を義務付けられる写真付き身分証明書があります。義務といっても、発行を受け、自宅に保持することまでが義務で、外出時に携帯する義務はありませんが、様々な手続きや契約に際して提示が求められ、また警察官の職務質問でも提示が求められるので、事実上ほとんどの人が携帯します。

この身分証明が便利なのは、海外渡航に際してのビザ機能も付いていることです。国境というものがなくなった現在、ビザという固有の制度はありませんが、海外で保護を受けるための査証としては、この身分証明書が使われ、出入管理上も提示が求められるため、海外渡航に際しては携帯する必要があります。

紙の証明書以外に、携帯電話機に埋め込む電子版もあり、携帯する際はこの電子版が最も便利です。大元の台帳は居住する市町村の住民登録データベースにあるので、かつての住民基本台帳制度を発展させたようなものと見てよいでしょう。

ちなみに、長く日本の身分登録制度として機能していた戸籍という制度はもはや存在しません。これは法律婚制度が廃され、登録パートナーシップ制に置き換わったことによるものですが、事実上旧戸籍に相当するのが、身分証明書とリンクした住民登録データベースということになります。パートナーシップを結んでいる人はパートナーや子どもの氏名も登録されています。

この種の制度は抑圧的な個人情報管理につながるとして、かつては評判が悪かったのですが、現在は個人情報保護監と個人情報オンブズマンという専門的な監視及び人権救済制度が自治体に備わっているので、個人情報の適正な管理と権利擁護の体制は整備されています。

この身分証明制度は、いわゆる総背番号制とも違います。主として徴税と社会保障給付業務の効率化を目的とする総背番号制は、貨幣経済が廃され、租税制度も社会保障制度も必要としない23世紀の共産主義社会には不要なものですから、存在しません。現代の身分証明制度とはまさに身分証明のみを純粋に目的としています。

それでも身分証明書の所持が義務づけられる23世紀社会には管理社会的な様相も否めませんが、実際のところ、管理されていると煩わしく感じることはほとんどありませんし、そのような観点からの批判論も聞かれません。むしろ、こうした制度は家族中心から個人中心の社会に変化したことの反映と思われます。

ところで、筆者のように21世紀の旧世界から飛んできた者にも、身分証明書は発行されています。旧世界人であるという事実については、住民登録データベースではなく、警察のデータベースに秘密登録されているようです。こちらはどうも管理されている気分になりますが、実際に警察の監視下にあるわけではありません。
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by komunisto | 2014-09-25 14:34 | 法律
2214年9月20日

20世紀以降の世界では、ホワイトカラー男性の業務用「制服」として、世界中で着用が事実上の義務となっていた背広ですが、23世紀にはこのような習慣は廃れ、執務中でもカジュアル服装が常識となっています。

従って、企業とか公的機関などのオフィスでも背広の男性は見かけません。また民衆会議代議員のような政治職もカジュアルで審議に出ますから、まるで町の寄合のような光景になりますが、現在の民衆会議制度は権威ぶった名望家たちの談合だった議会制度とは違い、まさに市民の寄合のようなものなので、全然違和感はありません。

それでは今や背広は完全に廃れたかと言えば、そうでもなく、レセプションや各種の公式行事などに出席する際に着用する社交用の正装としては存続していますが、そういう場ですら、主催者によってはカジュアルを奨励する場合もあるようです。

詳しくは知りませんが、もともといわゆる背広は19世紀に英国貴族の乗馬服だったものが礼服化されたモーニングコートから派生し、20世紀になると米国でビジネススーツ化したのだそうで、本来は貴族服だったものが簡略化されて平民服となったもののようです。

21世紀初頭頃には「クールビズ」などといって冷房節電のため夏場限定のカジュアル執務を許容、あるいは奨励するような現象も広がり始めていましたが、通年カジュアルとなるごく一部の動きにすぎず、保守的な大企業とか官庁などでは背広着用がまだまだ一般的でした。

ある意味で、背広の一般普及は服装の民主化という現象でもあったわけですが、それにしても型にはまった礼服を祖先に持つだけに、まさに堅苦しく、特に夏にはむさ苦しい印象すら与えるものでした。背広は数百年かけて礼服という元の役割に戻っていったと言えるかもしれません。

なお、鉄道員とか警察官に代表されるような文字どおりの制服のほうは今も健在ですが、学校の制服は廃れています。23世紀は人間を型にはめることには強く否定的で、服装の自由は市民的自由の象徴の一つなのです。
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by komunisto | 2014-09-21 09:36 | 社会
2214年9月16日

23世紀の裁判所は閑古鳥状態というご報告をしたことがありますが、紛争が全くないわけではありません。ですが、23世紀の社会では紛争を裁判に持ち込まずに解決する方法が充実しています。その一つが、多彩なオンブズマン制度です。

司法機関ではないが、独立性をもって一定の紛争の解決に当たる独任制の監察制度であるオンブズマンは、元来は北欧生まれで、北欧以外の地ではあまり根付いていなかったのですが、現在では二種類のオンブズマンの設置が世界共同体憲章という世界の憲法によって義務づけられています。

一つ目は民衆会議オンブズマンといって、民衆会議が任命するオンブズマンです。国会に当たる中央民衆会議と地方議会に当たる地方自治体レベルの民衆会議ごとに数人ずつ任命され(中央では10人)、民衆会議が所管する全公共機関の監察を聖域なく行なっています。

監察は適宜抜き打ちでも行いますが、苦情処理機関としての役割があり、一般市民からの苦情申立てに基づく監察が軸になります。監察のための調査は原則任意で行なわれますが、対象機関が非協力的な場合は、裁判所の許可を得て、証拠提出命令や召喚も実施します。

調査の結果、問題点があれば、是正勧告を発しますが、司法機関ではないため、強制的な命令は出せません。悪質な事例では関連法規に基づき、捜査機関に告発します。是正勧告後改善が見られない場合は、裁判所に提訴して、より強い是正命令を発令することもあります。

二つ目は人権救済専門のオンブズマンである人権オンブズマンです。これは、人種/民族、性別/性的指向性、障碍、労働、子どもという五つの分野ごとに中央民衆会議によって一名ずつ任命され、独立した立場で人権救済に当たる専門オンブズマンです。

五人のオンブズマンで人権擁護委員会という合議体を構成し、独自の事務局(地方出先機関を含む)と調査スタッフを擁しています。調査方法等は民衆会議オンブズマンに準じますが、人権問題の性質上、是正は命令的であることを原則とする点が違っています。

このほか、任意的に置かれるオンブズマンとして、地方自治体が独自にいじめや体罰など学校問題専門の学校オンブズマンを設置する例が見られるほか、報道界やインターネット業界が共同して設置している報道オンブズマンとかインターネットオンブズマンといった業界オンブズマンの例もあります。

このように、かつてはオンブズマンと言えばほとんどが民間の市民運動でしかなかった日本でも、公式・準公式のオンブズマン制度が根付いているのは、100年前の民衆革命を経て、民衆が主役の真に民主的な社会が形成されたお陰でしょう。
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by komunisto | 2014-09-16 09:57 | 法律
2214年9月11日

23世紀には路面電車の復活と普及が顕著なのですが、我が市でも、かつてはバス路線だった隣の市までの路線が路面電車(エスペラント語でトラモ)に置き換わっていたので、子どもみたいですが、用もなしに試乗してみました。

出発点は地元幹線鉄道の市中心駅前です。一時間に二、三本しかないのはバス時代と変わらないようですが、路面電車ですから、当然線路が敷かれています。ちなみに、以前報告したとおり、貨幣経済ではないため、運賃という制度もなく、無賃乗り放題です。

ただし、運賃はなくても、切符はあります。正確には乗車証明券と呼ばれるのですが、一回券と定期券とがあり、乗車の際、停車場備え付けの機械に通すか、機械のない停車場では乗務員にスタンプを押してもらいます。

しばらく待ってやってきた電車は一両の単行運転ですが、ワンマンではなく、車掌が乗務しています。これも報告したように、人減らしの「合理化」という発想は23世紀にはありません。また女性の鉄道員も常識で、試乗した時の電車はたまたま運転士・車掌ともに女性のコンビでした。

さて、近代的に整備された駅前を出発した電車は、少し行くともう市街地を抜け、田園地帯に入ります。地方市とはいえ、資本主義時代には郊外まで宅地開発が進み、田畑も消滅しかけていたのですが、今は郊外に田畑や林が復活してきています。

地方市のさほど広くない道路上を自動車と併走するため、広い隣市駅前以外は単線が基本で、途中上下線の行き違い可能な複線の停車場は一箇所だけでした。

電車はゆったりしたスピードで田園地帯を進み、次第に隣接市の市街地に入っていきます。隣市駅前に出る乗客が増え始めたと思うと、もう終点に到着です。この間、上下線交換待ちや信号待ち時間を含め、40分ほどの「旅」でした。
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by komunisto | 2014-09-11 09:19 | 生活
2214年9月6日

23世紀人を見ていると、男女を問わず、皆日曜大工や家事を難なくこなしています。「男女共同参画」云々といった大袈裟なスローガンは全然聞かれないのに、自然とそうなっているのはなぜか。調べてみると、教育に秘密があるようです。

23世紀の教育は旧義務教育に高校教育を併せた「基礎教育課程」と、成人に対する「生涯教育課程」の二つから成ることは前に報告しましたが、前者の基礎教育課程では「生活技術」という科目が重視されているのです。

この科目は、内容からすると、ほぼ旧技術・家庭科に相当するものと見てよいようですが、技術科と家庭科に分断されておらず、完全に一体化されたうえ、男女必修科目となっています。

また旧技術・家庭科が一般の教科に比べ、どちらかと言えば付け足し的だったのとは異なり、現代の「生活技術」は一般教科と同等の比重をもって、日常生活で必要有益な工作や家事に関する技術全般を旧小学校中学年に相当する年限から何年もかけて重層的に仕込まれていきます。

自動機械もいろいろ進化していて、家事ロボットなど機械の使用法も学びますが、一方で手作業の価値も重視されていて、基礎教育課程を終えれば、ひととおり日常的な生活技術は身につくようにカリキュラムが組まれています。

ところで、23世紀世界に飛んできて驚いたのは、23世紀人はほとんどが両利きであることでした。調べてみると、23世紀人は家庭や学校で意識的に両利きに育てられるようです。学校ではまさに生活技術や言語教育の科目をも通じ、左利きを矯正せず右手も使えるように、また右利きなら同時に左手も使えるように訓練されるのです。

これは万が一利き腕が病気や怪我で不自由になっても生活に支障が出ないようにするための教育的配慮だそうで、さすがバリアフリーが徹底している時代ならではの行き届いた教育方針だと感心したものです。

個人的には手先が不器用で、ちょっとした工作でも怪我をしやすいのが悩みなのですが、筆者も23世紀の生活技術教育をみっちり受けて、両利きになっていれば、今頃生活の達人になっていたかもと思うと、早く生まれすぎたことが悔やまれます。
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by komunisto | 2014-09-06 15:03 | 教育
2214年9月1日

23世紀の生活で特徴的なことの一つは、冷蔵庫・洗濯機等の日用大型家電がすべて義務的リユース制となっていることです。その他の家電製品やガス製品、家具などの調度品についても任意のリユース制があり、広く利用されています。

この種の家財道具はすべて自前で購入、所有、廃棄することが常識だった21世紀以前の人間にとっては、前に誰が使用したとも知れないリユース製品を強制的にあてがわれることには抵抗を感じるかもしれません。

こうしたリユース制は品不足でやむを得ず導入されているのではなく、省エネと粗大ゴミ抑制のためです。23世紀の世界は環境保全を個人レベルの意識任せにせず、政策的にも強制します。そのため、大型家電のような製品については省エネ設計製品のリユースが強制され、個人的に所有、廃棄することは制限されているわけです。

リユース製品は市町村の循環事業部が製造事業者と連携して、貸し出し、修繕、更新などの管理業務を一元的に行なっていますから、住民は所帯を構えるに際しては、まず循環事業部に連絡して、製品の手配をしてもらいます。リユース契約はおおむね三年ごとに更新され、空きがあれば製品を変更してもらうこともできます。

上述したように、大型家電は強制リユースですが、任意のリユース製品も同様に市町村循環事業部で扱っていますから、主な家財道具一式すべてリユースという人も結構いるようです。

ちなみに、商業活動が廃された23世紀にはかつて家電を専門に扱っていた量販店とか、家具などの調度品を扱う大型ホームセンターのような施設は存在しません。ただ、循環事業部の倉庫兼事務所は旧ホームセンターのように製品を陳列して、選べるようになっていますが、陳列されているのはすべて見本で、直接入手することはできません。

現在、我が家でも家電はすべてリユースでまかなっていますが、品質・性能に特に不満感はなく、むしろ修繕も無償かつ迅速、引き取りも自治体がすべて行ってくれる点、一点ずつ購入し、処分しなければならなかった私有制より便利です。
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by komunisto | 2014-09-01 10:23 | 生活