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2214年12月28日

21世紀の読者より、23世紀の共産主義的なインターネットの仕組みはどうなっているのかという質問が届いています。そこで、本年最後の記事はこれをテーマとします。

まず、インターネット接続に際して不可欠なプロバイダーは、21世紀の国に相当する各領域圏ごとに設立された公営の接続業者が一括して全サービスを提供する仕組みです。

つまり資本主義時代のように、営利系の業者が林立し、価格を比較して選ぶということは必要ないのです。しかし、それでは選択の自由がなく、つまらないと言われるでしょうか。

これは23世紀のサービス全般に言えることですが、選択の自由より安定性や安全性、公平性が優先されるのが、23世紀の特徴なのです。23世紀人たちは、そのことに確信と誇りを持っているように見えます。

ネットの場合は、日本情報通信機構という事業体が唯一の接続業者ですから、ここに申し込む以外にないわけです。

申し込みと契約は簡単ですが、若干違うのは毎日の接続に際して実名認証が求められる点です。これは煩雑で、プライバシーへの制約に及びますが、安全性確保のためのやむを得ない手段と考えられています。

過去にネット上で不正行為をして摘発され、有罪となった人は一定期間ネット接続が禁止されるなどのペナルティーを受けるため、そうした認証システムがあるのです。

ちなみにセキュリティーに関しては、営利系のセキュリティーベンダーが競争的にソフトを開発・提供するのではなく、世界情報安全機関という民際機関が開発したソフトが(もちろん無償で)提供されるのです。

とはいえ、貨幣経済の廃止はネット上での金銭目的の不正行為を根絶したため、ネットの安全性は21世紀に比べれば格段に確保されており、そう深刻ではないのですが。
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by komunisto | 2014-12-28 16:29 | 情報
2214年12月22日

23世紀の地球からはおよそ軍隊は消滅したとご報告したことがありますが、ついには軍隊に次ぐ「暴力装置」である警察を廃止する潮流も起き始めていることを知りました。

こうした先進的な社会実験ではかねてより世界をリードしてきた北欧やベネルクスの領域圏ではこのところ、警察廃止が相次いでいます。もちろん警察を廃止して、全く犯罪を取り締まらないということではないのは言うまでもありません。

警察を廃止する代わりに、警察機能を防犯や犯罪捜査に当たる民間団体に委託するのです。ある意味では警察の「民営化」ですが、資本主義のように営利企業の警備会社に委ねるのではなく、あくまでも公益的な民間団体です。

その名称は領域圏により様々ですが、社会安全協会とか公共安全協議会といった名称が与えられています。この点、以前ご報告したように、日本でも交番の運営は社会安全連絡会という民間団体に委託されており、警察業務の一部民営化は実現していますが、それを全面化するのが警察廃止です。

そうすると、身柄拘束などの強制処分をすべて民間人がするのかということになりますが、警察を廃止した場合、強制処分は裁判官の権限とされ、民間団体の捜査員は裁判官の令状の執行のみを受け持つことになるようです。

民間団体とはいえ、その要員は治安業務のプロとして専門的な訓練を施されるので、実質は旧警察と変わりないとも言えますが、ともかく、警察というしばしば人権侵害の温床ともなってきた「暴力装置」を廃し、民間の手に委ねるということには大きな意味があると考えられます。

日本は今のところ、こうした潮流に加わることに慎重なようですが、民衆会議では担当の公安委員会で予備的な議論が始められているとのことで、その行方が注目されます。
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by komunisto | 2014-12-22 11:31 | 司法
2214年12月16日

2014年も年末になり、寒くなってきたことと思います。200年後の2214年の年末もそう変わりませんが、大寒波・豪雪という異常気象は起きていません。温暖化が抑止されていることと関連があるのでしょうか。

ともあれ、南西諸島を除く日本の冬には暖房が欠かせません。しかし、暖房システムはかなり変化しているようです。

興味深いのは、囲炉裏の復活という現象が見られることです。特に戸建て住宅の建設は資本主義的なディベロッパーではなく、大工職人組合のような企業体が請け負うため、依頼主の希望で様々な工夫が施せます。囲炉裏の設定もその一つです。

もちろん23世紀にも近代的な暖房が普及していますが、石油式、電気式を問わず、ストーブは廃れています。代わりに、温水式床暖房の普及が見られます。集合住宅ではたいてい導入されています。電気式床暖房もありますが、過熱の危険から推奨されていません。

電気式の暖房では、高い位置に取り付けるエアコン式のものより、低い位置に取り付けるオイルヒーターが一般的です。かつては電気料金が高額のため、普及していなかったようですが、現在は電力も無償化されているため、経済的な問題はありません。

要するに、環境的持続可能性が社会の常識として定着している23世紀には、全体としてなるべく電力に頼らない暖房システムが志向されているのです。

ちなみに電力供給自体も、現在では再生可能エネルギーが大半を占めていますが、特に地熱発電の開発が進んでいます。統計上は、個人宅の冷暖房の半分以上を地熱発電でカバーしているとのことです。

元来大規模な火山帯に位置する日本列島は地熱発電のポテンシャルが大きな地帯であったので、特に不思議はありません。私権との調整の難航や総資本による原発依存の固定観念が豊かな地熱利用を阻んでいただけです。

現在居住している家も、温水床暖房完備の住宅となっていますが、かつて21世紀の旧世界で使用していた電気ストーブやエアコンではほとんど暖まらなかった足元が暖まり、暑さより寒さに弱い身には大変重宝しています。
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by komunisto | 2014-12-16 13:19 | 環境
2214年12月10日

23世紀の公権力制度の中で、一番姿を大きく変えたのは、司法でしょう。21世紀までは、いわゆる三権の中で最も民衆から遠い位置にあった司法ですが、23世紀の司法制度は「民衆司法」とも呼ばれ、民主化が徹底されています。

まず、司法の頂点にあるはずの最高裁判所といういかめしい制度が消滅しています。では司法の頂点はどこにあるかといいますと、民衆会議です。国会に相当する中央民衆会議の司法委員会及び憲法委員会という機関が旧最高裁の役割を果たします。

つまり、国会が最高裁を兼ねているようなものです。ただし、裁判をするのは通常の代議員ではなく、法律家の資格を持った特別代議員が判事として裁判に当たります。ちなみに、憲法裁判は別立てで上記憲法委員会が審理します。

これに対して、下級裁判所のほうは地方圏と呼ばれる旧都道府県に相当するような広域自治体に属していて、全体の司法監督は地方圏民衆会議が行います。

つまり、上告審は中央民衆会議が直接担当し、下級審は地方圏民衆会議が管轄する下級裁判所が担当するという形で、司法分権がなされているということになります。

このように、あえて三権分立という古典的なシステムを壊して、中央民衆会議が最高司法権を掌握しつつ、司法分権により下級裁判権を地方圏に移譲するという制度を採用することで、司法を民主化しようとしているのです。

ただ、司法には中立性が要求されることから、民主化にはそぐわないという観念がかつては根強くありました。たしかに政党政治の下では、司法の民主化は中立性の喪失というリスクを伴います。

しかし、現在政党政治は一掃されており、民衆会議のメンバーは代議員免許取得者中から抽選で選出されるシステムですから、司法に政党が介入する心配はありません。そのため、中立性と民主性の矛盾という問題自体生じないのです。
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by komunisto | 2014-12-10 09:59 | 司法
2214年12月4日

23世紀の教育制度は振るい落とし型のエリート選抜教育ではなく、基礎教育を中心とした平等な市民教育が徹底していることは前にご報告しましたが、スポーツ・芸術分野のように「才能」に大きく依存する分野はどうなっているのか、気になっていました。

こうした早期英才教育が必要と考えられている分野では、やはり少し例外があるようです。基本的には高度専門職学院の一環として、体育学院とか芸術学院といった教育機関が設置され、アスリートやアーティストの養成を行っています。

通常、医科学院とか法科学院等の専門職学院に進学するには、基礎教育を修了した後、一定年数の就労経験を要するのですが、スポーツや芸術では性質上早期からの専門教育やトレーニングが必要なため、基礎教育終了後、直ちに進学することも認められています。

こうした特殊な専門職学院は附属の予備課程も擁していて、基礎教育課程に在籍するスポーツ・芸術面で特に際立った才覚を発揮している生徒には、この予備課程への編入が認められることもあります。附属予備課程では通常の基礎教育とともに、各専門分野の教育も並行して行われています。

従って、厳密に言えば、エリート選抜教育もないことはないのですが、あくまでも例外的なコースにとどまっていて、いわゆる受験専門進学校のようなエリート校は存在しないことに変わりありません。

ちなみに、個人的な関心のある芸術学院の音楽科を覗いてみて印象的だったのは、21世紀までのいわゆる音大にはほとんど見られなかった大衆音楽専攻のコースもあることでした。クラシック音楽を特別に高尚なものとみなし、“低級な”大衆音楽を教育対象から外すという階級的発想が一掃されています。

もちろん、伝統的なクラシック音楽のコースも用意されていて、一応別系統で教えられているのですが、どちらが偉いというような差別はないことが印象的でした。それだけ芸術の世界も良い意味で共産化され、階級的な垣根が取り除かれているようです。
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by komunisto | 2014-12-04 13:53 | 教育