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2215年1月31日

23世紀には外語教育のあり方も大きく変化しています。現在エスペラント語が世界公用語の地位を与えられているため、世界の学校でエスペラント語が必修科目として教えられていることは、以前の記事でもご報告したところです。

エスペラント語はちょうど21世紀の英語と同様の地位にあり、世界共同体の公式会議等はもちろん、民間の民際会議でも公用語として普通に用いられますから、民際人として活躍したい人には必須の言語です。

反面、英語は任意選択科目となり、その地位を大幅に低下させています。一方で、重視されているのが近隣外語教育です。近隣外語とは境界を接している周辺領域圏の公用語のことをいい、日本の場合には、中国語と韓国語、ロシア語がそれに当たります。

ちなみに、再三再四説明しているように、23世紀には「国」という政治体が存在しないので、現在では中国語は漢語、韓国語は高麗語と呼ぶようになっています。

こうした近隣外語教育の目的は、近隣領域圏との友好善隣を深めることにあり、世界共同体の教育憲章でも、エスペラント語教育とともに、近隣外語教育が構成領域圏に義務づけられているため、すべての領域圏においてそれぞれの近隣外語教育がなされています。例えば、日本の近隣では日本語が教えられているわけです。

日本の近隣外語教育は、21世紀の教育制度でいえば、小学校高学年に相当する課程から、必修選択科目として課せられます。つまり、すべての生徒は漢語、高麗語、ロシア語のいずれか一つを選択しなければなりません。

このようにして、全員必修のエスペラント語に選択必修の漢語・高麗語・露語のいずれかを加え、理想的には、母語(日本語)とエスペラント語及び漢語または高麗語のいずれかのトリリンガルな言語人の育成が目指されているのです。
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by komunisto | 2015-01-31 14:48 | 教育
2215年1月25日

20世紀から21世紀にかけて、国際刑事警察機構(インターポール)という国際警察機関があり、国際手配を中心とした捜査協力機関として機能していました。

かつてインターポールはよくドラマやアニメなどにも登場する存在でしたが、実在のインターポールは主権国家間の国際協力機関にすぎなかったため、創作の世界のように自ら逮捕などの強制捜査をすることはありませんでした。

23世紀には、民際捜査機構というインターポールの後身のような機関があります。「民際」と訳されるのは、これまでに幾度も報告しているように、23世紀に「国」という政治体は存在しないからです。

民際捜査機構は、その名のとおり、一個の捜査機関であって、逮捕のような強制捜査権も持っています。国が存在しないため、主権なるものを気にせず、独自に捜査することができるのです。ただし、国に相当する領域圏の捜査機関とは緊密な協力関係にあります。

民際捜査機構は世界共同体の付属機関であり、逮捕状のような令状を発行するのは、世界共同体人権裁判所です。このように、国という枠組みを取り払ったおかげで、かつては創作の世界にしかなかった民際捜査が現実に可能なものとなっているのです。

従って、民際捜査官は警察官そのものではありませんが、強制捜査権を持って世界中で捜査活動をする権限を与えられたエキスパートです。

とはいえ、かつてのように国際的なテロ組織とか麻薬組織といったものは23世紀には見られないため、民際捜査機構の役割は個人の逃亡被疑者の追跡・拘束が中心的なものとなっています。

これについては、前回記事でも報告したように、国境という観念がなく、出入り自由の時代、被疑者の海外逃亡は容易になっているため、海外追跡の切実な必要性が生じているのです。

しかし、21世紀に比べれば、世界中で犯罪が減少しており、民際捜査機構も大忙しというわけではなさそうなのは、23世紀にとって幸いなことと言えるでしょう。
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by komunisto | 2015-01-25 14:29 | 司法
2215年1月19日

以前の記事で、23世紀は移民不要の時代になったと報告しました。すなわち、貨幣経済の廃止により、貧困国から富裕国へ移住する経済移民の必要がなくなったのでした。

そのため、21世紀の欧州が直面している移民社会と先住国民社会の間の文化摩擦や社会的排除、それを温床とするテロリズムなどの諸問題は、23世紀には想定できません。

とはいえ、移民はゼロというわけでもありません。23世紀の移民は、経済的理由からの移民ではなく、自分が気に入った領域圏に移り住むという、文化的な理由からの移民―文化移民―です。例えば日本が気に入った人が海外から移り住む、反対に海外が気に入った日本人が海外へ移り住むといったものです。

これも以前の別記事で報告したように、地球全域が世界共同体にまとまった23世紀には、国とその境界線を示す国境という概念も制度もなく、簡素な手続きだけで自由に海外渡航できるので、好きなところに行って住むことができます。

同時に、国民国家時代には各国とも外国人の長期滞在・永住に様々なハードルを設け、しかもその政策が国によりまちまちで不統一という煩雑さがありましたが、現在の世界共同体の仕組みにおいては、全領域圏共通の制度のもとに、簡単な登録手続きだけで長期滞在・永住も認められます。

こうした文化移民は好きで移住してきた以上、現地の言語や文化にも深い関心があり、現地社会に溶け込もうとしますから、文化摩擦や排除の問題も起きにくいのです。

貧しいから移民する経済移民から、好きだから移民する文化移民へ―。こうした移民のあり方の歴史的転換の背景には、世界の政治経済構造の根本的な変革があったのです。
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by komunisto | 2015-01-19 14:06 | 社会
2215年1月13日

23世紀人の思考法の最大の特徴として、差別することを知らないことがあります。特に人間同士を比較して優劣を付けるという発想がないのです。だから、「優秀」とか「劣等」といった言葉はほぼ死語となっています。

ある意味では、大人たちも差別を知らない小さな子どものようなのですが、このような差別フリーな思考法はどのようにして身につくのか興味を持って調べてみますと、一つには保育や学校教育の中で、意識的に反差別の価値観を教えていることがあります。しかし、どうやらそれだけではないようです。

やはり貨幣経済が廃止され、貨幣価値という観念が消滅したことが決定的と思われます。貨幣価値というのは、21世紀人なら誰でも知っているように、物に値段をつけて、100万円の品は100円の品より価値が高いというように、物を等級付けするうえでの基礎になります。

物の等級付けで止めておけばまだよいのですが、かつては人間まで等級付けされました。士農工商のような身分制度はもちろん、それが廃止されても、社会的地位による公的な等級付けとか容姿による私的な等級付けまで、実に様々な要因から人間が等級付けされていました。

当然にも、等級が低いほど価値が低いとみなされ、蔑視、無視、排除される確率も高くなります。21世紀にも、人間の差別は良くないということは道徳的なタテマエとして認識されていながら、実際には種々の差別が世界中で横行していましたし、容姿による差別などはそもそも「差別」ではなく、それこそ物の値段と同じように当然視されていたことでしょう。

かつての人類社会における差別は、突き詰めれば貨幣価値という観念の発明に端を発していたのでしょうか。思想史家でない筆者にはよくわかりませんが、貨幣に換算した等級付けを止めたことの影響が人間の思考法にも及んでいることは明らかと思われます。

21世紀の世界に住んでいた最後の頃、差別をやめようとしない人類社会そのものに否定的になっていたものですが、過去200年の進歩を見ると、人間もまだまだ捨てたものではないとポジティブな気持ちになります。
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by komunisto | 2015-01-13 14:01 | 思考
2215年1月7日

2015年の年初は、年末以来の原油安で始まり、予測どおり、世界経済の減速要因となるのでしたが、原油輸入国である日本のような国にとっては僥倖となりました。他人の不幸は我が身の幸福という資本主義らしい現象です。

商業活動が廃された23世紀には、石油はそもそも売り買いの対象とならないので、市場での値動きに左右されることもあり得ません。石油をはじめ、天然資源は人類共通資源として民際管理がなされています。

民際管理とは、21世紀的な表現なら「国際管理」となりますが、23世紀の世界に「国」という制度は存在しないので、「国際」ではなく、「民際」という言葉が充てられるのです。

資源の民際管理とは、従って、石油をはじめとする天然資源を売買したり、資源埋蔵地の独占物とするのでなく、民際機関を通じて地球規模で管理することを意味します。

そうしたことを可能とするために、世界天然資源機関が設置されています。以前は石油の枢要性に照らして、石油専門の機関が設けられていましたが、脱石油燃料が世界に行き渡り、天然資源機関に統合されています。

天然資源機関は世界経済計画機関と連携して、環境的に持続可能な資源開発を統括する開発・供給機関でもあり、地球規模での資源の計画的かつ公平な分配を担保しています。

このような資源管理体制は21世紀までの資本主義的常識では意想外のことだったでしょうが、共産主義的にはむしろ常識で、原油が取引され、日々の値動きに世界が右往左往するなど、23世紀人にとっては信じ難い話のようです。
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by komunisto | 2015-01-07 11:39 | 経済
2215年1月1日

21世紀までの日本では新年参賀と言えば、2日に行われる天皇・皇后をはじめとする皇族の「お目見え」が恒例で、これに新年の始まりを感じるという方もあったでしょう。23世紀の現在、もはやこのようなことはありません。

23世紀の新年参賀は、中央民衆議事堂前広場で行なわれる新年の儀です。これは大晦日の前夜からカウントダウンの形で行なわれる一大行事となっており、毎年大勢の市民が集まります。

新年の儀には中央民衆会議議長をはじめとする民衆会議執行部のメンバーも加わって、盛大に新年を祝い、議長が新年の辞を演説します。音楽の演奏などもあるようです。

このイベントが行なわれる中央民衆議事堂前広場は、ほぼ旧皇居前広場に当たるエリアです。皇居跡地に中央民衆議事堂が建てられており、その前に広場があるという構成になります。

ところで、民衆広場という空間は全世界にあり、全世界同時にカウントダウンすることが恒例となっていて、その様子はテレビや動画で中継されます。世界共同体の下、世界が一つになったことを実感できる瞬間です。

では、どうしてもロイヤルファミリーの参賀に駆けつけたい人は?残念ながら、その期待はかなえられません。いずれ詳しくご紹介するように、23世紀にはロイヤルファミリーというものはもはや存在せず、天皇・皇族は称号を保持しながらも、一般市民化されているからです。

天皇家は現在、「特例市民」という特別な市民として明治維新までの居住地であった京都に住んでいますが、実質は一般市民と同等なため、新年に特別な参賀を受けることもなく、一般家庭同様、プライベートに新年を迎えます。
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by komunisto | 2015-01-01 13:43 | 社会