<   2017年 03月 ( 3 )   > この月の画像一覧

2217年3月31日

べネルクソからフランツィーオ〔フランス〕とゲルマニーオのどちらへ行くかで迷い、結局、後者にしました。すなわち旧ドイツです。ドイツはかつてドイツ連邦共和国を名乗っていましたが、23世紀にはドイツ連合領域圏です。

現在ではもはや「国」ではありませんが、その領域の地理的範囲は21世紀当時と変わっていませんし、形態としても連邦制を継承した連合制を維持しています。16の州(うち3つは都市州)構成した旧連邦の形もほぼ継承され、16の準領域圏(うち3つは都市型準領域圏)で構成されている点、かなり保守的と言えます。

ゲルマニーオはエウローポ‐シベリーオ〔ヨーロッパ‐シベリア〕環域圏の中では、ルシーオ〔ロシア〕に次ぐ大きな領域圏で、人口は1億ちょうどくらい。21世紀当時より約2000万人増え、人口減少した日本を上回っています。これは主にトルコ系移民が土着して殖えたためだといいます。

今回の旅で行ってみたかったのは、べネルクソと境界を接するラインラント‐プファルツ準領域圏の町トリーアです。なぜなら、ここはあのカール・マルクスの出身地で生家も保存されていると聞いたからです。

行ってみると、それは200年前の情報でした。たしかに21世紀当時にはマルクスの生家は博物館として保存されていたのですが、23世紀の現在は取り壊され、ポスト・モダンな住宅地となっており、わずかに跡地であることを示す石碑が残されているだけでした。

地元の人に聞いてみますと、「マルクスは郷土の歴史的人物だが、詳しくは知らない」と流暢なエスペラント語で答えられました。たしかに23世紀から見れば、19世紀のマルクスさんは4世紀も昔の歴史的人物に過ぎないのでしょう。

もう一箇所行ってみたかった場所は、これも20世紀の象徴・旧ベルリンの壁跡地。たしか壁の一部が保存されていると聞いたのですが、これも200年前の情報でした。23世紀には壁は跡形もなく、ベルリンは分断の歴史などなかったかのように統一都市(それ自体として準領域圏扱い)として静かにたたずんでいました。

ちなみに、ベルリンは現在も連合領域圏全体をまとめる連合民衆会議の所在地であり、政治的な中核都市の地位を維持しています。こうした安定性もゲルマニーオらしさでしょうか。ゲルマニーオからは鉄道を使い、隣のアルポイ〔アルプス〕合同領域圏に移動してみたいと思います。
[PR]
2217年3月16日

アングリーオ〔イングランド〕から北海を渡り、べネルクソ〔ベネルクス〕に移りました。北海渡海は周辺を結ぶ無料乗り放題の客船によりました。以前にもご紹介したとおり、23世紀には船舶という交通手段が復権しており、多くの利用客がありました。窮屈な飛行機とは違う、ゆったりした快適な船旅でした。

べネルクソとはベネルクスのエスペラント読みであり、21世紀人にはベネルクスのほうが馴染みがあるでしょう。ベネルクスとは歴史的に関連の深いベルギー、ネーデルラント(オランダ)、ルクセンブルク三国の緩やかな協力体を出発点としていますが、23世紀には単なる協力体を越えて、単一の領域圏にまとまっているのです。

23世紀のべネルクソ連合領域圏は連邦制に近い構制の領域圏ですから、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクが単純に結合しているのではなく、この三統治体はいったん解体されたうえ、州に近い権限を持った10以上の準領域圏によって再構成されています。代表都市は旧オランダのハーグです。

このような構成になったことで、かつて国を分裂させかねないほど揺れたベルギーの言語分断問題は解決しています。すなわちベルギーを二分したフラマン語(≒オランダ語)地域とフランス語地域の分断・対立関係は、ベルギーという統治体がべネルクソに吸収されたことで止揚されたのです。

そのうえで、べネルクソは世界公用語であるエスペラントを連合全体の公用語ともしています。もっとも地元における日常会話に際しては、それぞれの伝統的な言語が依然として使用されており、そのことが権利としても保障されているとのこと。

ちなみにベルギー、オランダ、ルクセンブルクはそれぞれ独立国だった時代には英国と並ぶ立憲君主制(ルクセンブルクは大公制)を採るという共通項もありましたが、現在では英国と同様、王ないし大公は歴史文化的象徴としての形式的称号にとどまっています。

また旧ベルギーのブリュッセルはかつて旧欧州連合の中心地でしたが、今日では欧州及び旧ロシア・シベリアを大きく包摂する経済協力体であるエウローポ‐シベリーオ〔ヨーロッパ‐シベリア〕環域圏の民衆会議をはじめとする主要機関の所在地でもあり、歴史的に民際性の豊かな土地柄であることは変わっていません。

個人的にはかつて人口50万人ほどのミニ国家だった旧ルクセンブルクに興味があり、集中的に回ってみました。ここは古城がいくつも保存されているべネルクソ域内有数の歴史地域でもあります。同時にフランツィーオ〔フランス〕とゲルマニーオ〔ドイツ〕への入り口もあるのですが、さてどちらへ赴くか、まだ考え中です。
[PR]
2217年2月28日

ケルト合同領域圏に属するスコットランドから、風光明媚な田園地帯を縦断する鉄道を普通列車を乗り継ぎ南下してアングリーオへやって参りました。アングリーオとは、かつてのイングランドのことです。

イングランドは21世紀にはいわゆる英国を構成する四つの地域のうちの中心でしたが、前回ご説明したとおり、23世紀には四地域のうち三つが隣のイルランド〔アイルランド〕を含めたケルト合同にまとまったため、単独の領域圏となったものです。言わば独りぼっちになってしまったわけですが、23世紀のアングリーオ人はほとんど気にしていないようです。むしろ、現状が一番すっきりするという感想も聞かれました。

その代表都市は相変わらずロンドンですが、その性格は一変しています。かつては世界金融センターのトップに位置づけられる金融大都市であったわけですが、貨幣経済が廃され、当然「金融」も死語となった23世紀、ロンドンはもはや金融都市ではあり得ません。現在は、静かな歴史文化都市です。

歴史文化といえば、大英帝国時代の象徴とも言えるBritish Museumは現在も存在していますが、名称はEngland Museumに改称されています。また金融の象徴だったロンドン証券取引所跡地は前衛的な建築として著名なアングリーオ中央民衆会議議事堂の一部に変わり、革命の象徴地となっています。

ところで、イングランドと言えば世界で最も有名な王室がありましたが、現在はどうなっているのかというと、王室は残されています。しかし、元首の概念を持たない民衆会議体制において、もはや王は元首ではありません。ただ、歴史文化の象徴として、形式的な称号だけが残されているのです。このような処遇は世界中の王室で普遍的です。

王と王族は全員一般市民として普通に暮らしており、旧王宮バッキンガム宮殿は誰も住まない一史跡です。ちなみに旧英国が唯一残していた旧式の貴族制度も完全に廃止されて久しく、もはや誰が旧貴族の末裔なのかは苗字でわずかに判明する程度です。

こうしてアングリーオは豊かな田園風景を持つ領域圏として、静かに今も存在しています。次はアングリーオから、ベネルクソ〔ベネルクス〕方面へ渡ってみようと思います。
[PR]