2215年10月28日

かつてアマゾンやニューギニア、インドのアンダマン諸島などにごくわずかながら、石器時代の生活様式を維持し続ける文明非接触部族と呼ばれる集団がいました。「文明世界」でも貨幣経済が廃止された23世紀、かれらはどうしているのか、気になり調べてみました。

すると、もはや非接触部族というものは存在しないことがわかりました。それは「文明世界」によって踏査・征服されたからではなく、かつての非接触部族たちのほうから接触を求めてきたためだといいます。

非接触部族が長く接触を断っていた理由は、ジャングルの奥深くに住む生活様式のせいもあったでしょうが、それ以上に「文明世界」の貨幣経済から独自の自給自足経済を防衛するという意味もあったようなのです。

たしかに、かれらがひとたび貨幣経済圏と接触を持ってしまえば、部族は貨幣経済に取り込まれ、しかも経済計算に疎いために「文明人」に騙されたり、人身売買の餌食にされたりする運命が待ち受けていたでしょう。

ところが、世界大革命以降、「文明世界」でも貨幣経済が廃されたことで、かれらも長い防御体制を解除することができるようになったのです。といっても、ジャングル生活を捨てて町へ出てきたというわけではなく、ジャングルで伝統的な自給自足を続けながら、町とも交流を持ち、物々交換などをするようになったということです。

面白いことに、従来の「文明世界」に属する地域でも、農漁村では自給自足が再び成り立つようになり、実際に自給自足生活を営む農漁民は増えています。また農漁村に別荘を持ち、週末や休暇の時だけ自給自足を営むというようなライフスタイルも観察されています。

このように、23世紀の社会は計画経済を中核とした「文明世界」の裾野に自給自足経済も包摂されるような構造をしているのですが、こうしたことが無理なく可能になっているのも、「文明世界」が貨幣経済を放棄したことが大きく関わっているのだとわかります。
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# by komunisto | 2015-10-28 12:28 | 経済
2215年10月22日

22世紀の世界革命以前の旧人とそれ以降の新人とを分ける大きな相違点として、美意識の有無があります。すなわち、新人は美意識というものを持っていないのです。もっと正確に言えば、新人は美/醜という二元的価値規準を持っていないということになります。

この美/醜の二元的価値規準は長い間、人類共通の価値尺度だとして疑われていませんでした。しかし、実はこれこそがあらゆる差別の源泉であることが明らかにされたのです。当然ながら、美が優等視され、賞賛される一方で、醜は劣等視され、差別されます。

人間の価値評価すら、美男美女が理想的人間として賞賛され、それと対照される醜女醜男は蔑視されるということが当然のごとく行なわれてきたのです。実際上、人種差別や障碍者差別も、その根底には、そうした外見上の美/醜規準があったのです。

しかし、22世紀の世界革命は一面では「反差別」革命でもあったので、差別の根源にある美/醜二元論も批判・克服の対象として、厳しい検証にさらされたのでした。ことに見栄えを理由としたあらゆる美/醜の評価が槍玉に上がりました。

その結果、美人コンテストのようなイベントも差別的な“人間品評会”とみなされ、開催されなくなりました。旧世界では憧れの対象だった美人コンテストは今や、差別に鈍感な旧人の野蛮な風習として否定されているのです。

また美とは何かを追求する学問としての「美学」も批判にさらされ、23世紀には「美学」というものはなくなり、旧美学が扱っていた領域は「芸術学」という学問に吸収されており、その研究主題も「醜」と対照される「美」ではなく、対照項を持たない「芸術性」へと変化しています。

美/醜の二元的対照項がない芸術性ということは、旧人にはなかなか理解が難しいのですが、結果として、旧人的感覚では「美しい」とは評し得ないようなものでも「芸術的」と評されることがあるのです。

このように23世紀の新人には美意識がないといっても、このことはかれらが粗野・無粋であることを意味しません。かれらもすぐれた芸術、ことに美術には旧人以上に傾倒しており、住宅を含む建造物なども極めて芸術的に設計するのです。

ただ、そうした態度を支える価値観はもはや「美」ではありません。従って「美術」とは呼ばれず、「アルト」というエスペラント由来の外来語が使われます。ただ、これまでのたよりの中では、21世紀の旧人読者にもわかりやすいように、「美術」という語を使ってきましたが、これは23世紀の用語ではありません。

人間の価値評価に関しても同じことで、23世紀には美女とか美男その他これに類する俗語の類はほとんど死語と化しており、日常慣用されません。人間を外見のみで賞賛したり軽蔑したりする慣習一切が廃れているからです。

そんなこともあり、旧人の世界ではしばしば外見を理由とする被差別者であった筆者のような人間にとっても、美意識を持たない新人の世界は人目を気にすることなく住みやすく、ある種の楽園です。そちら旧世界へは二度と帰還できないという掟にも何ら悲嘆していません。
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# by komunisto | 2015-10-22 08:21 | 思考
2215年10月16日

そちら21世紀の日本では殺人を含む警察官の不祥事が多発し、改めて警察官という職務への関心が高まっているようですので、23世紀の警察官についても調べてみますと、その制度が大きく変わったことがわかります。

警察官は従来の警察官と同様に警察職務の最前線を担いますが、200年前との違いは巡査とか警部とかの階級呼称を持たないことです。もちろん指揮官と属官の区別はありますが、それは形式的な階級によるのでなく、実質的な職務内容によります。

他方、警察官の中でも逮捕状や捜索令状の請求のような司法捜査を指揮できるのは司法警察員の有資格者に限られます。司法警察員は階級ではありませんが、警察官の中でも特別な法的研修を受け、内部的な資格試験に合格した者だけが就くことのできる上級職とされます。

こうした言わば伝統的な警察官のほかに、警察監と呼ばれる管理専門職がいます。警察官と警察監―紛らわしいですが、発音の際のピッチで区別され、「官」は下降調、「監」は水平調で発音されるようです。

警察監とは、名称どおり警察実務の監督を専門とする職務であって、全員が法曹資格を持っています。つまり法律家でもあるわけで、警察官の職務を法律的に監督する仕事です。昔のキャリア警察官と似てはいますが、単なる上級警察官ではなく、法律家である点が大きく違います。

警察監は制服を持たず、警察本部の総監をはじめとする幹部職や警察署長等の監督職に充てられます。ただし初任から5年間は見習いとして警察監補と呼ばれます。また警察署長は警察官の中からその法的識見により抜擢された法曹資格を持たない特例警察監を充てることもできるとされています。

警察官と警察監の関係性を簡単に整理すれば、制服組と背広組と言えるかもしれませんが、それはエリートとノンエリートという階級差ではなく、職能の相違に基づく区別です。警察監が法律的に警察業務を監督することで、警察組織の法令順守を制度的にも担保することに趣旨があると言われます。

このような一見複雑でややこしいシステムも、22世紀の革命後、警察制度そのものの廃止という一部の急進的な議論との相克の中から、新時代における順法的で公正な警察制度として編み出されたものだと言えるでしょう。
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# by komunisto | 2015-10-16 10:47 | 法律
2215年10月10日

23世紀の社会に住むようになってしばらくすると、近所で母子家庭が多いように見受けられたのですが、意外なことがわかりました。それは、精子バンクの幅広い普及により、初めからの母子家庭が多いことです。

23世紀の精子バンクは完全に公的な制度として確立されており、不妊症等の問題の有無を問わず、誰でも利用することができるオープンな制度となっています。これにより、実子の出産を望む女性には、パートナーシップを結んで子を生むか、精子バンクを通して子を生むかという二つの選択肢が保障されることになります。

毎年出産する女性の30パーセント近くが精子バンクを利用しているとのことで、母子家庭が多いのも首肯できます。「未婚の母」は決して珍しくも、後ろめたくもないのです。精子バンクの利用率は年々上昇傾向にあるとのことで、将来的には精子バンクを通じて生まれる子どもが半数を超えるとの予測もあります。

精子バンクの仕組みとして、以前は将来、子どもが遺伝上の父親を知る権利に答えるべく、精子提供者は原則として実名で登録しなければならなかったそうなのですが、それでは提供者が限られてしまうということから、実名を明かすかどうかを提供時点で選択できるようになりました。

ただし、匿名の場合でも、年齢(上限は45歳)や職業、出身領域圏などの部分情報は登録し、バンク利用者及び将来の子どもに開示される必要があり、完全な情報秘匿は認められていません。

ちなみに、利用者の中には精子提供者の容姿や人種を知りたい人もいるでしょうが、それを認めると容姿や人種による差別を助長する恐れがあるため、そうした差別につながる情報―差別誘発性情報―については、開示されないことになっています。

21世紀以前の旧人類的感覚からすると、精子バンクを当たり前のように利用する風潮には違和感を覚えるかもしれませんが、これまでにもご紹介してきたように、婚姻という制度が廃止された23世紀の人々にとって両親+子どもという家族構成は決して絶対のものではないようです。

実際、同じ母子家庭でも「離婚」―現行制度ではパートナーシップ解消―という子どもにとってもしばしば辛い過程を経て母子家庭化するよりも、初めから母子家庭のほうがすっきりするという見方もできそうです。

もっとも、精子バンクで生まれたことを知った子ども―知らせることは義務ではありません―がそれをどう受け止めるかは気になるところですが、同じ「仲間」が大勢いることを知れば、衝撃は少ないのかもしれません。
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# by komunisto | 2015-10-10 08:16 | 社会
2215年10月4日

23世紀の世界では、法律婚(いわゆる結婚)の制度が廃され、パートナーシップ制度に転換されていることは、これまでにも折に触れてご紹介してきましたが、パートナーシップとは具体的にどんな制度なのかとのご質問を受けました。

簡単に言えば、そちら21世紀の日本では「内縁」と呼ばれているような関係をそのまま正式のパートナー関係に昇格させたようなものとお考えになれば、間違いではありません。ですから、両パートナーは別姓が原則となります。

ただし、パートナーのに関しては両当事者の合意により、いずれか一方の姓に統一する「同姓」を選択することも可能ですので、その場合は表面上日本の旧法律婚と変わらないことになります。

また、パートナーのに関しては、異性間のほかに同性間のパートナーシップも認められています。従って、例えば「同性かつ同姓」というパートナーシップも成立可能です。

このようなパートナーシップと旧婚姻の最も大きな違いは、その手続きにあります。パートナーシップはある種の契約関係ですが、完全な事実上のものではないので、確かにパートナー関係にあることが公に証明されなければなりません。そのため、公証証書によることを要します。

ここで登場するのが、前回ご紹介した公証人です。従って、パートナー関係を結ぼうとする当事者は、まず公証人にパートナーシップ公正証書を作成してもらいます。反対に、パートナー関係を解消する場合も、公正証書による必要があります。このように公正証書が活用されるので、公証パートナーシップと呼ばれます。

パートナーシップの成立及び解消は公正証書だけで有効なのですが、そのままだと、行政上は単身者の扱いとなるので、自治体にも届け出ることが推奨されています。その限りでは、旧届出婚に近似していきます。

ちなみに、公正証書も作成しない純然たる事実上のパートナーシップ関係も禁止されているわけではありませんが、この場合はパートナー関係の証明ができないため、社会生活上単なるルームシェア関係とみなされるなど、多少不便が生じるようです。
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# by komunisto | 2015-10-04 10:19 | 法律
2215年9月28日

23世紀の司法制度に関しては、これまでにも折に触れてご紹介してきていますが、今日は公証人についてです。公証人とは特定の事実の存在または契約等の法律行為の適法性等について、公的に証明·認証する法律専門家のことをいいます。

この職業そのものの歴史は古く、日本では20世紀初頭から存在していましたから、すでに300年以上の歴史があります。では何が23世紀的かといいますと、その活躍の範囲です。かつての公証人は上の定義のように、まさに公的な証明をする代書人的な存在でしたが、23世紀の公証人は弁護士と並ぶ法曹として位置づけられているのです。

たびたびご紹介しているとおり、23世紀社会は貨幣経済ではありません。よって、司法の世界でも、圧倒的に金銭トラブルの法的処理に携わっていた弁護士の職務内容が大きく変容し、その比重も下がった一方、各種の公的証明に当たる公証人の比重が高まったのです。

それとともに、国家の廃止に伴い、いわゆる役所というものが存在しない23世紀には、役所の公的証明に相当する証明行為も公証人が行なうようになっており、そうした点でも公証人の比重は高まっているのです。

その職務範囲は広いのですが、訴訟業務は現在も弁護士独占領域のため、公証人は訴訟を担当することはできません。しかし法廷に提出する証拠書類の公的証明は重要な任務の一つで、公証人の公証を受けた書類には高い証拠価値が認められるため、弁護士と公証人は提携することが多くなっているようです。

こうしたことから、日本の旧慣ではほとんどが検察官や裁判官の実質的な「天下り」であった公証人の任用方法も大きく変わり、公証人も統一的な法曹資格試験に合格し、所定の研修を受けた者から任用されるようになりました。現在では、弁護士以上に志望者が多いそうです。

ちなみに、日本の旧公証人は公務員で、その事務所は「公証役場」と呼ばれていましたが、23世紀の公証人は弁護士と同様の在野法律家であり、その事務所も「役場」ではなく、「公証事務所」と呼ばれます。ただし、公証という公的業務の性質上、管轄高等裁判所の監督を受けます。

なお、貨幣経済廃止に伴い、公証人が依頼人に金銭報酬を請求することはありません。依頼人から非金銭的な物による報酬を受け取ることも汚職行為として違法ですから、業務はすべて無償で行なわれます(この点は、弁護士についても同様)。
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# by komunisto | 2015-09-28 09:13 | 司法
2215年9月22日

23世紀という時代には、多くの文物・制度が200年前とは大きく変革していることは、これまでいろいろご報告してきたとおりなのですが、一つ手前の22世紀について教えてほしいとのお便りを読者よりいただきました。

実は、21世紀から23世紀に直接タイムトラベルしてきた私は22世紀という時代を直接体験していません。そのため、22世紀に関しましては、23世紀の史料によってお答えするしかありません。

そういう前提で申しますと、22世紀はまさに人類史上の大転換期だったと言えます。実際、現在2215年は23世紀が始まってまだ15年目ですので、その文物・制度の多くは22世紀のものを引き継いでいるわけです。そのため、22世紀のことは同時にご紹介しているに等しいのですが、22世紀は20世紀と同様、前半と後半とで大きく様相を異にしていました。

22世紀前半は、21世紀末から22世紀初頭にかけての世界連続革命―世界大革命とも呼ばれます―が一巡し、世界が資本主義から共産主義に塗り替えられた時期に相当します。この22世紀前半の50年はまさに激動の時代でした。21世紀までは常識とされてきた貨幣経済とか国家体制といった基本的枠組みとそれにまつわる諸々の諸制度・慣習のすべてが変わったのです。

その変化のスピードと急進性は、20世紀後半のそれに比せられていますが、歴史家によってはそれを上回る人類史上最大級の変革期だったとみなす人もいるほどです。世界の人々も、その変革についていくのが大変だったようです。

特に、貨幣経済の廃止によって、空気のごとく馴染んでいた貨幣という媒体が消え去ったことは変革のハイライトであり、日常の衣食住の根幹が大きく変わりました。本日から貨幣を廃止すると言われたその当時の人々の驚きが目に浮かびます。

その激動期を体験した方の話も聴きたいのですが、2215年の現在、100歳の古老でも2115年生まれで、激動期には乳幼児でしたので、激動期の暮らしを成人として体験したのは古老の親世代の人たちということになり、もはや存命していないのは残念です。

ただ、22世紀初頭の暮らしを体験した当時の著名人の証言を集めた電子書籍がありましたので、それを紐解いてみると、やはり貨幣が廃止された時は大騒ぎで、それまで当たり前のように貨幣と交換していた物品やサービスがすべて取得数量制限付きの無償となったことに体が馴れるまでに時間がかかったという体験が綴られていました。

一方、22世紀後半は、共産主義社会の成長期に当たります。激動が一段落し、新たな文物・制度が定着・発展を遂げていった時代です。23世紀初頭に現在する文物・制度の多くがこの時代に基礎が築かれたものです。

そうした意味では、23世紀未来社会としてこれまでご紹介してきた事柄は、実質上22世紀後半期の延長と言えるわけで、あと85年を残す23世紀という時代はこれからなのですが、私の寿命は世紀末までは持ちません。
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# by komunisto | 2015-09-22 07:25 | 社会
2215年9月16日

23世紀の世界では、麻薬が合法化されている。こう書くと正確を欠くのですが、少なくとも一律に麻薬を違法とする政策は採られていません。麻薬を一律違法化すると、闇組織が横行するという過去の苦い経験に学んでいるからです。

といっても、麻薬使用が全面的に合法化されているわけではなく、世界保健機関のガイドラインに従い、嗜好としてでなく、治療目的の製造・使用のみが許されているというのが正確です。従って、麻薬の処方・調剤は麻薬専門医・薬剤師の専権とされ、それ以外の個人による処方・調剤や自己使用も違法です。

治療目的の麻薬使用が認められるのは、現在、薬物依存症は無理に完治させず、依存の軽減と薬理作用の強い麻薬(強効麻薬)から弱い麻薬(弱効麻薬)への転換を目指すという軽減・転換療法が主流化していることによるようです。そのため、治療の導入段階では覚せい剤やコカインですら、少量の処方がなされる場合もあるとのこと!

こうした治療目的の麻薬の原料は、世界保健機関の下部組織である麻薬管理委員会が認定した特別農場でのみ栽培が許されており、不法に流出しないよう厳重に管理されています。また麻薬の製造・供給も世界保健機関の計画に従い、世界規模で調整されています。

このような合法的麻薬管理政策のおかげで、23世紀の世界では麻薬カルテルのような犯罪組織は一掃されているのです。ただ、麻薬を不法に栽培・所持したり、譲渡したりした者がたまに検挙されることはありますが、単発的な出来事にすぎないようです。

とはいえ、以前のたよりでも報告したように、23世紀の世界では酒・タバコが厳格に規制され、特にたばこは全面禁止されていることと対比して、麻薬合法化には釈然としない感もありますが、23世紀人に言わせれば、社会的なコストにかけては酒・タバコの害のほうがはるかに大きいとの考えに基づくのだとか。

これも時代の意識の変化ですが、たしかに、21世紀を思い出すとアルコール・ニコチン依存症者のほうが麻薬依存症者よりはるかに多く、特にタバコは非喫煙者にまで及ぶ間接喫煙の害も考慮すれば、先のコスト計算もいちおう納得です。
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# by komunisto | 2015-09-16 07:18 | 衛生
2215年9月10日

そちら2015年の日本では、広域暴力団組織Y組の分裂騒動が起きたそうですが、2215年の日本に暴力団というものはそもそも存在しません。存在しないのは、警察の壊滅作戦で潰されたからではなく、自然消滅したからです。

このように犯罪組織が存在しないのは、日本に限らず、世界共通傾向です。マフィアや麻薬カルテル、黒社会などなど、世界の著名な犯罪組織はみな過去のものです。これらもすべて自然消滅しました。

その最大の理由は、貨幣経済の廃止です。日本では「暴力団」という不適切な用語が定着してしまったのですが、本来犯罪組織とは単なる暴れ者集団ではなく、非合法(一部合法)ビジネス集団だったのです。

このことは、麻薬ビジネスを専業としていた中南米の麻薬カルテルを想起すればよくわかりますが、「暴力団」と不適切に呼ばれていたY組の年収9兆円などと言われたのも、「暴力団」の経済組織としての本質を物語っています。

ある意味、犯罪組織は貨幣経済の副産物だったのです。どの犯罪組織も貨幣経済が高度に発達した資本主義社会で成長を遂げていたのも頷けます。そうであれば、革命によって資本主義社会から貨幣経済によらない共産主義社会に変革されたことで、犯罪組織の存立基盤も失われたのです。

とはいえ、革命当初は違法に私的通貨を発行して裏で貨幣経済を営む闇経済組織がしばらくは見られ、経済警察による摘発がしばしば行なわれたそうですが、計画経済を軸とする共産主義体制が確立するにつれて、そうした闇組織も消滅していったのです。

もっとも、麻薬のように経済体制のいかんを問わず、社会内に一定の潜在的需要がある法禁物については、闇ビジネスが成り立ちそうですが、そうはなっていません。その背景にある未来社会の驚きの仕組みについては次回へ。
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# by komunisto | 2015-09-10 09:51 | 社会
2215年9月4日

23世紀は地球規模で貨幣経済が廃止されているのですが、一方で物々交換市場はかなり広範に存在しています。特にインターネット上の電子交換市場は内外に無数にあります。その最大級のものは、北米系のアマゾンクラという電子市場です。

クラとは、本来パプアニューギニアの経済慣習である儀礼的な交易のことで、一般的な物々交換とは概念的に違うらしいのですが、この電子市場で行なわれているのはネットを介した一般的な物々交換です。

アマゾンクラではあらゆる物品が日々交換されており、イメージとしては資本主義時代の電子市場アマゾンのようなものと考えればよいでしょう。実際、アマゾンクラは旧アマゾンを前身の一つとする企業体だそうです。

こうした海を越えた大規模な物々交換サイト以外にも、領域圏内部の大小様々な物々交換サイトが存在しており、電子物々交換はITと有史以前からの物々交換慣習とが組み合わさった現代的共産主義にふさわしいシステムだと思います。

オンライン上の電子市場とは別に、伝統的な青空市型の物々交換市場もありますが、これはどちらかというと、古着などの中古品の交換市場として活用されていることが多いようです。

これらの一般的な物々交換市場では、物々交換に供せられる物品の種類や数量が決められていることが多く、特に相手が見えない電子市場の場合はそうした交換ルールの適用が画一化されていて、交渉の余地がないため、実質上は貨幣交換に等しいとみる経済学者もいます。

ただ、個人運営の電子市場や顔の見える相対取引となる青空市場の場合は、交換ルールが画一化されておらず、何と何をどれだけ交換するかについて、個別的な交渉の余地があるようです。

ちなみに、前回のたよりでもご報告したとおり、通貨としては廃止された古物としての貨幣の物々交換市場もありますが、この場合に交換される貨幣は貨幣経済における交換媒体としての通貨ではもちろんなく、あくまでも古物としての扱いとなります。
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# by komunisto | 2015-09-04 11:45 | 経済
2215年8月29日

23世紀の法律で興味深いのは、通貨偽造罪ならぬ通貨製造罪なる罪があることです。つまり偽金を作ることではなく、そもそも通貨を作ること自体が犯罪行為とされているのです。このことは、これまでにもご報告してきたとおり、貨幣経済が廃されていることの法的な帰結と言えます。

その点、そちら21世紀にはまだ常識中の常識であろう貨幣経済においては、通貨製造及びその流通は経済運営にとって必須である一方、通貨を偽造して流通させることは重大な犯罪として処罰される仕組みになっています。

貨幣経済が廃されているということは、物やサービスが貨幣と交換で取引されないことを意味しますから、通貨という媒介的流通物は存在し得ないということになります。存在し得ないということは、事実として存在しないばかりでなく、法的にもあってはならないことを意味します。

よって、法律上もおよそ通貨を製造することは罰則をもって禁じられているのです。この罪は貨幣経済における通貨偽造罪に相応する重罪とみなされています。ただし以前のたよりでご報告したとおり、23世紀には刑罰制度は存在しないため、通貨製造罪に科せられる処分は、没収及び最大5年の社会奉仕命令です。

紛らわしいのは、物々交換取引において事実上通貨的に機能する特定物や特定取引においてのみ通用するクーポンのような媒介物は通貨に該当しないかどうかですが、裁判所の判例により、これらは通貨に該当しないとされています。

そのため、貨幣経済の廃止とは、文字どおり通貨による交換経済の廃止という趣意であって、およそ交換経済の廃止(純粋贈与経済)を意味していません。ですから、これも以前のたよりでご報告したように、物々交換は結構盛んに行なわれています。

貨幣は現在一種の骨董品として、収集家たちの間でドルや円をはじめそれこそ世界中の廃貨が物々交換されています。切手の収集と同じようなものです。ちなみに、郵便料金前納証明書としての切手という制度も郵便無償化により廃止されていることも、ついでにご報告しておきましょう。
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# by komunisto | 2015-08-29 09:21 | 法律
2215年8月23日

以前のたよりでもご報告したように、23世紀には臨床心理士が開業運営する臨床心理クリニコが少なくないのですが、同時に臨床哲学士という相談専門の哲学者も存在しているのでした。

この両者はどちらも心の悩みの相談に乗る点では、似たような仕事をしているのですが、資格としてはまったく別ものです。どのように違うのでしょうか。

まず心理士のほうはすでにそちら21世紀にも見られる心理士と同様、心理療法の専門家ですが、主に行動療法を行ないます(細かいことですが、より深く心の内奥に踏み込む精神分析は現在、医師の専権とされています)。

それに対して哲学士のほうは、より広く人生や死生観に関する悩みの相談に応じる新しい仕事です。そのため、病院やホスピスのような医療機関に在籍して患者の相談に乗ることも多いようです(開業や出張サービスをしている人もいます)。

このように二種の相談専門家がいるので、悩みを抱えた場合どちらにいくべきか迷いも生じると思われますが、大雑把に言って、正常な心の悩みについては哲学士、やや病的な心の悩みになると心理士という振り分けがあるようです。

これは23世紀の心理士が医療系の資格とされ、専門性も向上していることに関係しているようです。心理士が扱うのは、精神疾患一歩手前のような状態なのです。一方、哲学士のほうは人文系の資格であり、人生相談のような領域を担当しています。

ちなみに心理士の学問的素養の基礎にある心理学自体、現在では身体の生理学に対応する基礎医学に分類されるようになっており、いわゆる文系の学問ではなくなったのです。

一方、哲学も昔のように哲人が書斎で沈思黙考する抽象的・思弁的な学問ではなくなり、より実際的に人々が日常の中で抱える悩みに解決を与える実学として新たな発達を見せているのです。
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# by komunisto | 2015-08-23 09:03 | 文化
2215年8月17日

21世紀初頭の世界では、世界各地で市民のデモ行動が盛んなようですが、23世紀の世界では同様のデモ行動はほとんど見られません。これはデモ行動が抑圧されているせいではなく、そもそもデモに訴えなければならないような不平不満がないからです。

デモ行動は市民の抗議行動の一形態ですから、デモの発生は抗議したくなるような施政がなされていることの証左です。いわゆる民主主義を標榜していても党派政治が行なわれていれば、党派的な不平不満は避けられません。

これまでにもしばしばご報告してきたように、23世紀には民衆会議を中心とした非党派的な政治が全世界に普及しているため、政治が党派的に左右されることはないのです。利害対立が起きても、抽選制の民衆会議で熟議され、中立的な落としどころが探られ、解決に導かれます。

23世紀の政治学者によると、民衆会議とは旧議会よりも裁判所に近いものだというのです。なぜなら、民衆会議は利害が対立する課題についても党派性抜きに審議し、中立的に結論を下すからです。

またデモによらなくとも、民衆会議への直接的な提議の手段が用意されているので、こうした民衆提議立法もよく行われます。そのように代表機関が文字通り民衆の代表として機能しており、議会制度のように選挙が終われば知らんぷりの間接代表機関とは根本的に異なるのです。

これも政治学者によると、代表者(議員)と一般市民が投票によって間接的にしか結ばれない旧議会とは異なり、民衆会議は代表者(代議員)と一般市民がより直接に結びつく「直接代議制」という理念に基づいているとのことです。

ちなみに、デモの自由は世界で広く認められていまして、21世紀にはデモが抑圧されていたような地域にあっても市民的自由が保障されるようになっていますから、民衆の抗議方法としては有効なのですが、それは奥にしまってあるというわけです。
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# by komunisto | 2015-08-17 12:05 | 政治
2215年8月11日

個人の遺伝情報を利用したオーダーメイド医療とか個別化医療といった新しい医療は21世紀に登場していましたが、23世紀の医療ではこうした医療のあり方は普通のことで、遺伝子検査が定番となっています。

かつて定番検査といえば、レントゲンなどの画像検査であり、こうした画像検査では現在、いっそう精緻化されたアイソトープ検査が主流です。しかし、臓器等の現状態を視覚的に認識するだけでなく、どのような病気の遺伝因子があるかを検査して、予防や治療にも役立てるのが遺伝子検査です。

こうした遺伝子検査は革命前の資本主義時代には営利的な医療ビジネスに委ねられており、倫理的な面でも疑義がありましたが、現在では健康診断のメニューにも普通に入っており、また病院での検査でも画像検査と同時に行なわれることもあります。

医療情報の中でも遺伝情報は特に厳重管理を要する個人情報であるため、そうした情報面での不安がつきまといますが、営利ビジネスが存在しない共産主義社会では遺伝情報が営利的に悪用される危険はありません。

そのせいか、大胆にも個人の遺伝子検査結果はすべて中央医療情報センターにデータベース化され、医療機関が情報共有できるようにシステム設計されているのです。従って、遺伝子検査はどこかで原則として一度だけ受ければよいわけです。

こうした個人情報管理は中央情報保護庁によって常時技術的に監査されるとともに、中立的な個人情報オンブズマンによって法的な権利保護がなされるという技術面‐法律面の二重の防護体制によって守られています。

ちなみに貨幣経済が廃された23世紀には生命保険のような商業保険も存在しないため、生命保険加入に当たり遺伝病因子を理由に拒否される心配をする必要もないのです。貨幣経済廃止はこんなところでも効果を発揮しています。

ただし、遺伝病因子が社会的な差別の対象となる危険は残るわけですが、これに関しては包括的な差別禁止法において病気を理由としたあらゆる差別の禁止が規定され、法的な救済手段が用意されています。
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# by komunisto | 2015-08-11 10:40 | 衛生
2215年8月5日

米国民を対象とした2015年の米世論調査によると(2015年8月5日東京新聞報道)、日本への原爆投下に関して、44歳以下の年齢層では「誤った判断だった」と答えた人が「正しい判断だった」と回答した人より多いという結果が出たそうです。

全体でも原爆投下を正しかったとする多数意見は46パーセントまで下がったとのこと。200年後の現在から振り返ると、この調査結果は一つの吉兆だったようです。21世紀には想像を超えることでしたが、世界最初の原爆使用国にして、世界最大の核保有国でもあったアメリカでも民衆革命が勃発し、アメリカ合衆国が解体されたことが(旧稿参照)、核兵器廃絶の大きな推進力となったからです。

2年前のたより「軍隊なき世界」からも推察されるとおり、2215年現在、核兵器はもちろん、そもそも兵器自体が存在しません。より正確に言えば、地球上で使用する兵器は存在しないということになります。すなわち、23世紀の兵器は地球外からの攻撃に備えた航空宇宙兵器に限定されています。

ここまで到達する道のりは長かったわけですが、このような兵器なき世界の構築こそ、21世紀末から22世紀初頭にかけての世界連続革命の大きな成果の一つでした。その手始めが、今から100年以上遡る2110年に発効した核兵器全廃条約です。

核兵器廃絶を突破口として、核以外の大量破壊兵器、さらには通常兵器に至るすべての兵器の保有禁止が地球的な規範となったのです。このことは、旧国際連合に代わって世界を束ねる世界共同体の憲章として明文化されています。

ちなみに先に言及した航空宇宙兵器ですが、これは異星からの攻撃といういささかSF的な想定に基づき、世界共同体が共同で製造・保有する共用兵器です。もちろん大量破壊兵器ではなく、防衛的な通常兵器です。その運用は厳格な手続きに従い、世界共同体の航空宇宙警戒軍がこれを行ないますが(上記旧稿参照)、幸い、これまで一度も発動されていません。

識者の中には、信頼できる従来の宇宙研究の結果からみて、地球を攻撃し得る能力を備えた異星人が存在する確率はほぼゼロだとして、こうした共用兵器の廃止を主張する意見もありますが、そこまで徹底した兵器廃絶論はなお一般化していません。

とはいえ、核兵器なき世界の構築さえ、空疎な美辞麗句にとどまり、実のある進展がなかった21世紀に比べれば、こうした23世紀のSF的論議はそれこそ夢のような観があるでしょう。しかし、200年後の人類は確かに兵器なき世界を構築しているのです。
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# by komunisto | 2015-08-05 20:04 | 政治
2215年7月30日

23世紀の社会における日常生活で20世紀のSF的な感覚に最もとらわれるのは、住宅設備です。住宅は過去200年間で最も大きく進化した生活手段であると言えます。といっても何からご報告すべきか迷うのですが、まずは玄関から。

かつて住宅には鍵が必需で、鍵をなくすと一騒動でしたが、23世紀住宅は鍵でなく、カードキーで開ける仕組みがすべての住戸に導入されています。もっとも、鍵も廃止されたわけではないのですが、鍵はカードキーを紛失した場合に備えた予備的開扉手段にすぎません(どちらか一方を紛失しても、セーフなわけですね)。

次に住戸内の光熱設備ですが、これらは音声入力により自動でオン/オフの切り替えをする方式が一般です。ただし、発声できない場合に備えて、手動スイッチも付置されていますので、どちらを使うかを選択することができます。また窓の開閉・施錠も音声入力による自動となっていることが多いようです。

こうした住宅IT化は実のところ、すでに前世紀までにだいたい整備されていたのですが、23世紀住宅の大きな特徴は、バリアフリー化が高度化していることです。先の音声入力もその一つですが、他にもあります。

例えば、私有以外の公営住宅のトイレ・バスは、初めから障碍者仕様に設計されており、障碍のいかんにかかわらず使えるようになっています。また屋内の段差がなく、ベランダとの境目もスロープになっています。こうした設計は、公営住宅の場合は法律で義務付けられているのです。

ちなみにバリアフリー化は、住文化的な面でも日本で長く保持されてきた靴を脱いで上がる習慣をほぼ一掃し、土足型に変化させました。これにより、日本家屋に付き物だった玄関の段差が消失し、車椅子のまま入室することも可能となっています。

さらに公営住宅の場合、家具などの調度品は初めからリユース品がセットで備わっており、すべて自分で導入する面倒はありません。ただ、必要なものを追加したり、どうしても気に入らない既設品を交換することもできるようになっています。

なお、私有住宅の場合、設備はすべて所有者が好みに合わせて設計できるので、上記のことは必ずしも全面的には当てはまりませんが、以前のたよりでご報告したように、23世紀における私有住宅の割合は全体の4割程度に減少しています。
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# by komunisto | 2015-07-30 09:58 | 生活
2215年7月24日

先般、中央民衆会議傍聴のご報告をしましたが、中央民衆会議も旧国会と同様、否、それ以上にたくさんの常任委員会を擁しています。その中で最も影響力の強い常任委員会はと言うと、環境持続性委員会になります。

この委員会は、名称のとおり環境政策全般の立案と法案作成を所管する常任委員会で、旧国会では環境委員会に相当します。ただ、旧環境委員会がどちらかと言えば地味で、所属を希望する議員も限られていたのに対し、環境持続性委員会のほうは中央民衆会議の花形として人気なのだそうです。

ちなみに、旧国会で最も強力な委員会はおそらく予算委員会であったと思われますが、これはまさに貨幣経済下で国の運営の基盤であった政府予算を扱う委員会だったからでしょう。貨幣経済が廃止された現在、予算なる制度自体が存在しませんから、予算委員会もありません。

代わって政策の軸は環境になっており、あらゆる政策が環境的な枠組みによってコントロールされることから、環境持続性委員会が事実上の筆頭的な常任委員会として強い影響力を持つようになっているのです。

現在、中央省庁という制度は存在せず、民衆会議が立法機関であると同時に行政機関でもあるという地位にあるため、各常任委員会が即行政機能も果たします。従って、環境持続性委員会は旧環境省の機能も果たす環境政策の元締めなわけです。

そうした大きな常任委員会だけあって、委員は200人近くもおり、10の小委員会に分かれて、日々環境政策の立案と審議に当たっています。中でも環境影響評価小委員会がエース格で、名称のとおり領域圏が担当するあらゆる政策・公共事業等の環境影響評価を担当し、ダメ出しをする権限を持っています。

旧国会と異なり、民衆会議は市民とのつながりが強いので、一定の署名条件を満たせば、市民が環境持続性委員会に対して特定の事業案件に関する環境影響評価を請求することもできるなど、市民からの突き上げにも答えることがあります。

また同小委員会は各地に設置された環境保全事務所を管轄しており、ここには「環境Gメン」と渾名される環境犯罪に対する警察権をも与えられた環境保全調査官が配置され、強力な環境的目付け役を果たしています。
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# by komunisto | 2015-07-24 00:00 | 環境
2215年7月18日

先日、中央民衆会議議事堂のある名古屋までリニア高速線で東京から50分と書きましたが、このリニア高速線とは、そちら21世紀初頭の日本で政治問題化している中央新幹線のことではありません。これは旧「東海道新幹線」です。

23世紀のリニア高速線は、既設の全新幹線網を継承・統合する形で、東京と新大阪を基点に北端は旭川、南端は鹿児島中央までを一本に結ぶリニア高速線網に整理されており、「新幹線」という呼び名も「リニア高速線」に改称されているのです。

一方で、反対運動を押していったんは開業にこぎつけたリニア中央新幹線のほうは、革命後に廃止されました。理由は、環境破壊問題や地下鉄区間が多く、観光的にもマイナスだったことです。要するにリニア新幹線を新設することは経済合理性を欠くと判断されたのです。

そこで、革命後に、既存新幹線のオール・リニア化事業という形で、リニア高速線網の建設が始まりました。しかし、ほとんどの区間が高架線である既存新幹線をリニア化するというのは、大胆な計画のように思われますが、どのように克服したのか。

まず、何度も指摘してきたように、貨幣経済が廃されたことで、建設費の負担に悩む必要がなくなったことがあります。また中央リニア線で問題とされた超高速走行に伴う風切り音問題は、超高速走行区間を最小限にとどめるという実に単純な方法で解決したのです。

それでは夢の超高速走行というリニアの利点が生かされないのでは?と思われるかもしれません。しかし、以前のたよりでもご報告したように、23世紀の社会は徒にスピードを追求しません。リニア高速線にしても、例えば富士山付近のような風光明媚区間に到達すると、指定速度を落として走行したりします。

23世紀のリニア線の標榜最高可能速度は時速700キロに達していますが、実際の指定最高速度は600キロに抑えられ、しかも600キロ走行区間は人家が少ない区間などに限定されています。全体の平均時速は400キロ程度とされます。

とはいえ、リニア高速線で東京から名古屋まで50分ですから、旧新幹線の約半分の速達です。新大阪‐名古屋間はわずか30分弱ですから、中央民衆会議代議員の中には「リニア通勤」している人も少なくないとのことでした。
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# by komunisto | 2015-07-18 09:46 | 経済
2215年7月12日

計画経済最前線の経済計画評議会の傍聴に続き、今回は政治的な代表機関である中央民衆会議の傍聴にも行って参りました。経済計画評議会は横浜でしたが、中央民衆会議は名古屋にあるため、リニア高速線を使って、東京から50分ほどです。

以前のたよりでも報告したように、23世紀の東京はもはや政治の中心地ではなく、主として学術都市として機能しています。政治の中心は、日本本土のちょうど中央付近にある名古屋であり、まさに中央民衆会議所在地なのです。

名古屋市郊外にある中央民衆会議議事堂に就いてみると、それは美術館のような外観を持つ巨大なビルで、現在は憲政博物館となっている東京の旧国会議事堂とは大きく異なっていました。一階はレストランやその他の物品供給所が入っていて、21世紀ならちょっとしたショッピングモールのように、一般市民が普通に出入りしているのも、まさに民衆会議にふさわしい光景でした。

中央民衆会議は21世紀までの制度で言えば国会に相当しますが、以前のたよりで報告したとおり、代議員は投票ではなく、有資格者(代議員免許取得者)の中からくじ引きで抽選されます。代議員は地元ボスや学歴エリートではなく、普通の市民の中で免許を持つ人という程度の存在です。

二階の議場に入って早速傍聴すると、代議員は皆私服で、男性でも背広姿はありません。これは実は全世界共通で、以前のたよりでも報告したように23世紀はカジュアル社会だからです。堅苦しさはなく、市民集会のような光景で、これも民衆会議の名にふさわしく思われました。

さらに、旧国会との大きな違いとして、人数が多いことです。定数が2000もあるため、本会議場はまるでコンサートホール並みの広さです。この人数で審議ができるのかと思われますが、実際のところは細かく分けられた小委員会のレベルで実質審議がなされ、本会議は総論的な審議の場ということで成り立っているようです。

小委員会も原則的に公開されていますが、会議室のスペースから裁判のように抽選傍聴制となっています。この日はたまたま空きがあった教育関係の小委員会の一つを傍聴しましたが、ラウンドテーブル方式で活発な討議が行なわれていました。

さらに旧国会との大きな違いとして、女性や障碍を持つ代議員の多さがあります。女性に関してはそもそも定数が男女半数制であるため、2000人のうち1000人は必ず女性となるのです。障碍者の率は特に決まっていませんが、審議資料の点字化など障碍者の参加支援策が格段に充実しているため、自ずと障碍者代議員の数も増えるのだそうです。

中央民衆会議はまさに民衆の代表機関として、社会の縮図のような構成を持っているのです。従って、国会に相当する機関といっても、それはあくまでも形式的な比喩であって、男性富裕層中心の旧国会とは似て非なるものと言ってよいでしょう。
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# by komunisto | 2015-07-12 11:33 | 政治
2215年7月6日

23世紀世界の最大の目玉は、計画経済です。これは日本に限らず、かつては強固な資本主義大国であったアメリカを含め、全世界で行なわれています。世界共同体は、そうした計画経済の司令塔的な役割も果たしています。

計画経済の具体的なやり方は世界共同体を構成する各領域圏によって若干の違いはありますが、通常は経済計画評議会(以下、評議会という)という会議体が担っています。言わば、計画経済の最前線です。評議会の審議は公開されており、先日見学してきました。

評議会の議事堂は東京ではなく、横浜にあります。一見すると、議会の議事堂のようです。実際、評議会は基幹産業分野の企業体の代表者で構成される一種の議会のようなものであり、官庁ではありません。

議場も議会のようなセッティングになっており、各評議員がそれぞれの個別計画案を持ち寄り、それをめぐって審議し、最終的な総合計画案に仕上げていきます。内容的には、経済政策限定の議会のような観があり、それなりの知識がないと理解が難しい高度な審議をしていました。

評議会は官庁ではないとはいえ、事務局を擁し、ここには環境的な観点から経済分析をする専門家である環境経済調査士という資格を持つ専門員が配置され、経済計画に必要な統計資料の作成・提供などの補佐業務をこなします。審議にもこうした専門員が参考人として出席し、求めに応じて詳細な統計などの報告を行なっていました。

計画経済は三か年計画を基本としているため、評議会の本会議が開かれるのは三年に一度ですが、評議会は計画期間中も経済計画の実行をモニターする責務を負い、必要に応じて計画を修正することもできるため、常設会議として機能しています。

ちなみに、23世紀における議会に相当する政治的な代表機関は民衆会議であり、こちらは名古屋に所在しています。民衆会議と評議会の関係は二院制的なものとされますが、民衆会議優越原則により、評議会の計画案が発効するには、民衆会議の承認決議を要します。

評議会は専門性の高い会議のせいか、傍聴人はまばらで、ほとんどは民間の経済専門家や研究者らしき人たちでしたが、野次などの不品行は一切なく、まるで専門学会のような高品質な審議が行なわれていたのが印象的でした。
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# by komunisto | 2015-07-06 09:15 | 経済