人気ブログランキング | 話題のタグを見る

 貨幣経済によらない自由な共産主義社会では、医療サービスも無料で提供されます。貨幣経済によらないため、資本主義社会の医療機関のように収益を気にする必要もなければ、患者負担軽減のための社会保険の制度も必要なくなります。もちろん、保険会社系の医療保険も必要ありません。医療は純粋に人道的奉仕の領域となります。

 
 その結果として、資本主義社会で発達しているような個人開業医は激減します。純粋の地域奉仕活動として医師が無償の個人診療所や個人病院を開設することは自由ですが、それほど多い数にはならないでしょう。その代わり、病院も診療所も公立のものが大半を占めることになります。
 
 公立病院は歯科も備え、大都市のほか、中小の市町村を束ねた中間自治体である地域圏によって運営されます。貨幣経済によらないので、自治体も採算を気にせず充実した公立病院を運営することができるようになりますから、地域医療のばらつきは解消され、全土どこでも平等な公的医療サービスが行き渡るようになります。
 ただ、気軽に敷居をまたげる個人開業医や個人病院の減少は、患者にとってはやや不便かもしれませんが、従来医療過疎地と呼ばれてきたようなところでは、歯科も含めた公立診療所が設置され、過疎状態を改善するでしょう。
 
 共産主義的医療は、第一次診療として全身的な総合診療をするプライマリーケアと、第二次診療としての臓器別の専門診療、さらに第三次診療として特定の疾患に対応する特殊診療に分かれ、救急を除く一般医療では、最初はプライマリーケアから受診することが基本です。
 また居住地域外の公立病院は、現在地における急患の場合を除き、地元公立病院から紹介を受けない限り、受診できません。

 

 救急医療については、やはり地域圏に救急医療本部が設置されます。救急医療本部は消防から分離された救急医療に特化した機関となります。
 救急医療本部には救急医療を専門とする医師・看護師・救命士が常勤しており、救急通報・出動に向け24時間待機します。救急医療本部には高度救命センターが付属し、生命の危機にある最重度の患者の集中治療を自前で行います。
 それ以外は救急指定病院に搬送しますが、救急指定病院は搬送を拒否することは許されず、救急予診室を備え、すべての搬送患者に予備的な診察と処置を施すことが原則です。そのうえで、想定される疾患とその重症度に応じて自院で治療を継続するか、他院に転送するかを判断します。
 
 また救急出動は必要ないが、緊急の診察を要すると判断された場合は、救急医療本部に属する巡回医療車が往診します。巡回医療車は救急車とは異なり、高度な医療機材は搭載しない代わりに医師と看護師が乗って患者の現在地に駆けつけ、一定の医療処置と事後対応の助言をします。これにより、不要不急の救急出動を回避することができます。
 
 このように、貨幣経済下ではしばしば経費や人員の面から不備になりがちな救急医療が充実するのも、貨幣経済によらない自由な共産主義社会ならではのことでしょう。もちろん、救急医療財政の逼迫を抑制するため一部資本主義国で実施されているような救急サービスの有料化などはあり得ない話です。


 前回、自由な共産主義社会における政治参加として最も代表的な民衆会議代議員の資格等を説明しましたが、政治参加の方法は他にもあります。一般市民提案という制度を利用することです。一般市民提案とは、一般市民が署名を集めて直接に立法提案することをいいます。

 
 方法として、地方自治体の場合は、法律で定められた一定数の署名を集めて地方自治体の民衆会議に立法請求することができます。この署名は15歳以上の自治体住民なら誰でも行なうことができます。請求を受けた民衆会議では、対応する委員会が提案内容を優先的に審議する義務を生じます。
 審議の結果、不採択となることはあり得ますが、そのままか、修正のうえで採択されれば、市民提案が地方自治体の法律として公布・施行されることになります。
 
 これに対して、全土民衆会議に対しては直接的な立法請求は認められない代わり、請願権の行使が認められます。正式の請願も一定数の署名によることを要しますが、この署名は一定期間当該の領域圏に居住する18歳以上の領域圏住民であれば誰でもすることができます。
 請願を受けた民衆会議では受理した請願委員会で請願内容を審査する義務を生じ、請願内容を正当と認めれば対応する委員会へ付託し、立法に向けた審議を促します。

 
 一方、市民は政党を結成して活動することも認められます。誤解してならないのは、自由な共産主義社会は共産党による一党支配体制ではなく、民主主義に反しない限り、いかなる政党を結成することも自由だということです。共産党ですら、そうした多様な政党の一つにすぎず、支配力を持ちません。
 
 ただし、民衆会議はどの圏域のものであろうと、政党ごとに参加することは許されません。たとえ共産党といえども、共産党としてまとまって民衆会議に参加することはできず、民衆会議代議員は個人の資格で抽選に応募できるだけなのです。
 もっとも、特定の政党に所属したまま代議員を務めることは可能ですが、その場合も所属政党の代表者として活動することは許されず、そうした党派的偏向活動は代議員行動倫理に反し、懲戒や弾劾にも直面します。政党は権力の旨味を享受することはできないのです。
 
 自由な共産主義社会の政党は、いかなる理念に基づくものであれ、市民社会における政治団体の域を出るものではありません。だからといって、政党に意義がないわけではなく、政党は政治的な問題について議論を興し、適切な政策立案につなげる点で、政治参加の一つの方法です。


 以前に自由な共産主義社会における様々な職業についてご説明しましたが、資本主義社会では「政治家」というものも、正式な職名ではないものの、一種の専門職化していることは周知の事実です。しかし、自由な共産主義社会には、職業的政治家というカテゴリーは存在しません。
 
 自由な共産主義社会における政治は特定の人だけが就く「職業」ではなく、社会を構成する市民の「任務」となります。とはいえ、文字どおりに全市民が参加する政治を実現することはできません。たとえ有権者人口1000人の小さな町であっても、1000人が全員参加する市民集会で常に物事を決するのは事実上不可能だからです。
 

 その代わり、政治は民衆会議と呼ばれる代表機関によって運営されます。民衆会議は資本主義社会に見られる議会(国会及び地方議会)に似た代議制の機関ですが、議会とは異なり、立法にとどまらず、行政・司法も含めた法的な権力すべてを行使する統治機構という位置づけになります。
 民衆会議は現在の国に相当する領域圏に始まり、地方自治体にもそれぞれ設置され、各所管事項に属する政治的業務を行ないます。これら各圏域の民衆会議は
中央>地方といった上下関係に基づかず、全体で一つのネットワークを形成しており、相互に密接に連携します。

 
 民衆会議を構成するのは、免許を持つ人の中から抽選(くじ引き)によって選ばれた代議員です。代議員とは資本主義社会の議会の議員と似ていますが、免許制であること、選挙ではなく抽選で選ばれることが大きな違いです。
 
 代議員免許は代議員として活動するうえで必要な素養を持つかどうかを考査する免許試験に合格すれば誰でも取得することができ、医師や法曹といった高度専門職のように専門職学院での教育は必要とされません。
 免許試験のレベルはさすがに自動車運転免許試験ほど簡単ではないものの、13か年に及ぶ基礎教育課程 (義務教育)を修了した人であれば、80パーセント以上は合格できるレベルに設定されます。
 
 代議員は職業ではなく、あくまでも任務であることから、他の職に就いたまま活動することができます。また代議員は4年から5年程度の任期制であり、連続的に応募することは許されませんが、一期おいて再び応募することは可能です。
 
 代議員免許を持っていることで何らかの優遇特典が得られるわけではありませんが、司法機関やその他民衆会議の所管する公的機関において市民代表として参画する際に代議員免許取得者であることが条件とされる場合があり、代議員免許を取得することにはメリットがあります。


 ペットの動物は、独居者も増える中、衣食住の伴侶として重要性を増しているようですが、自由な共産主義社会でのペットの飼育はどうなるでしょうか。やや細かな問題ですが、今回はそれを取り上げてみます。

 
 まず、ペットを商品として販売するペットショップというものは貨幣経済の廃止とともに姿を消します。代わってペット動物を繁殖させ、譲渡する専門職としてのブリーダーがペットの主要な供給元となるでしょう。
 ちなみに、資本主義社会ではペットの商品価値を上げるために生物学的に不自然な交配種が生み出されてきましたが、共産主義社会ではペットは商品ではないので、そのような不自然交配の風潮はやむでしょう。
 
 ペットが商品でなくなることにより、動物の個体も権利主体として認められるようになります。つまり、ペットにも人権ならぬ「動物権」があるのです。そこで、飼い主は単なる所有者ではなく、動物の保護者としても当該動物の習性を尊重した適切な飼育が義務づけられます。
 そのために、動物の飼育は事前登録制とされ、飼育にふさわしい環境があるかどうかといったこともチェックされ、何らかの事情で飼育できなくなった場合は、動物保護センターへの譲渡が義務づけられます。

 
 というように、自由な共産主義社会での「自由」は、決して人間が動物に対して勝手に振舞えることを保証しません。その代わりというわけではありませんが、ロボットのペット=ロボペットが普及するでしょう。ロボペットはすでに資本主義社会でも出回り始めていますが、精巧なものほど高価で、簡単には普及しないと考えられます。
 しかし、自由な共産主義社会では小型ロボット製造が職人仕事として担われるようになりますし、器用な人なら自作できるかもしれません。あるいはロボペット工房での注文生産も行なわれるかもしれません。
 
 もちろん、ロボペット自体は現実のペットのような生命体ではなく、あくまでも機械ですから、現実のペットのような管理上の規制があるわけではありません。ただし、環境保全のため、リユースが普及することになるでしょう。


 ここで、もう一度衣食住のことに戻ります。それは家内ロボット、すなわち家庭内に投入され、一定の仕事をするロボットの件です。「家事ロボット」とも呼べますが、狭い意味の家事に限らず、家庭内で種々の仕事をサポートする「家(庭)内ロボット」です。

 
 具体的には、従来の掃除機・洗濯機に代わる掃除・洗濯ロボットや、簡単な調理支援ロボットなどです。介助などの対人支援ロボットも含まれます。ロボットながら、家電に近い存在となります。
 
 こうした小型で家電に近いロボットは、資本主義社会でもすでに研究開発が始められていますが、その多くはまだ試作段階あるいは一種のマスコット的な存在にとどまっているでしょう。しかし、自由な共産主義社会では家内ロボット生産は職人仕事として担われ、相当に普及することが見込まれます。

 
 人間と対話できる人工知能型ロボットもすでに開発されてきていますが、先ほど述べた対人支援ロボットにはたいていの場合、対話機能が付きます。介助ロボットは、障碍者が一人暮らしをしたり、パートナーが障碍者同士の家庭などでは、介助犬に相当するような伴侶としての役割を果たせます。
 
 そこから進んで、生身の人間パートナーに代替するロボット・パートナー=ロボパートナーといった純粋の伴侶ロボットが一定は普及するかもしれません。これはパートナーを喪失した人、持たない人などにとっては、人間のパートナーに代わる精神的なサポート機能を果たすものです。
 
 このような高度な人工知能を内蔵した高性能ロボットは資本主義社会では必然的に高価な稀少製品とならざるを得ず、一般的普及への高い壁となりますが、貨幣経済のない共産主義社会ではこれら高機能ロボットも無償で取得できることにより、普及が進むのです。