不安について

少し前から“安心・安全”という連結語が流行している。人々の不安が増している現状を反映してか、政治家も企業家もキャッチフレーズとして多用するが、筆者はこの語にこそ、いささか不安を覚える。

ここで人々の不安の内実を立ち入って考えてみると、不安にも二種類ある。一つは自然的不安、もう一つは人為的不安である。

前者の自然的不安はおよそすべての生き物につきものの不安である。それは端的にいえば、「生きている限りいつ死ぬかわからない」という生物普遍の法則であって、避けられない不安である。言い換えれば、生きることは不安と同義と言ってもよく、もしこうした自然的不安が解消されてしまえば、それはもはや生き物ではなく、ただのモノになってしまうということだ。

それに対して、後者の人為的不安とは人間自らが作り出した不安である。その最大のものは生活不安であるが、治安上・軍事上の不安がこれに次ぐ。こうした人為的不安は、自然的不安とは違って人為的に解決できる不安である。しかし、これとて不安をゼロにすることはできない。「ゆりかごから墓場まで」は幻想であるし、犯罪も戦争も一切ない世界というものも到達不能な理想郷である。

となると、あたかもこうした不安をすべて取り除いてくれるかのような安心感を搔き立てる“安心・安全”は、安楽さへの危険な政治的・経済的欲望操作のマジックワードではないだろうか。

それは、政治的な面では軍事・警察国家化や社会保障名目での課税強化策に利用される。経済的な面では生命保険、ホームセキュリティなどなどの各種保障サービス・商品の売り込みに利用される。要するに、人々の不安を利用した権力と資本の心理的戦略なのだ。

こうした甘い罠にはまらないためには、不安ゼロで生きたいと欲望しないことだ。不安はある意味で、正常な生活感覚の一つである。そうした不安をうまく自分の内部で消化しながら生きることの重要さが痛感される。

ただし、人為的不安については社会変革を通じて削減していくことが可能である。例えば、現代の生活不安は景気循環に左右される本質的に不安定な資本主義経済体制の欠陥に由来する。それは資本主義体制を根本から見直すことで一定の解決策が見出せるだろう。
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