体罰考

一生徒の自殺が社会問題化した「体罰」は、学校教育か家庭教育かを問わず、日本の教育慣習における宿弊と言ってよい。筆者を含め、大多数の日本人が一度は体罰を受けた経験があるのではないか。

体罰が単なる暴行・傷害と同視できないのは、体罰の根底に「子どもに体で教える」という教育理念があるからである。かつては、西欧でも教師は鞭を携帯し、実際授業中生徒に鞭を振るうこともあった。子どもは理性を欠いた動物並みの存在とみなされていたのだ。 

しかし、人間の教育は動物の調教とは違う。動物は言葉を本質的には解さないから、体で教えるということをせざるを得ない場合もあるかもしれないが、人間は言葉を操る生物である。子どもも未熟とはいえ、言葉を操る。

だが、動物の調教でも体罰だけでは成功せず、むしろ褒美の餌が効果的であるという。その点では人間もまさに“動物並み”であって、褒美が効果的である。ただし、人間の褒美は言葉―褒め言葉―である。

この点、一般に日本人は目上の者に対しては褒め上手だが、目下の者に対しては褒め下手ではないだろうか。師弟、親子といった上下関係を意識しすぎるためであるとすれば、「上下」という発想をやめ、水平な「大小」の関係でとらえてみてはどうだろう。

長年の宿弊となった体罰を脱するためには、まずは教師や親の側が言葉を磨くことである。とはいえ、誰が教師あるいは親を教育するのか、それが問題ではあるが。
[PR]