人気ブログランキング |

延命について

「延命」について考えさせられる出来事が二つあった。一つは家族が通う介護施設から「万一」の時に当たっての延命治療の希望の有無に関する同意書を突きつけられたこと、もう一つは麻生財務相の「さっさと死ねるように」発言である。

自分自身の延命に関しては「辞退」と決めており、尊厳死も容認する立場だが、難しいのは家族という他人の延命に関する判断である。

生命は何よりも一身専属的なものであるから、本来何ぴとも他人の生命の帰趨については―たとえ肉親といえども―決定権を持たない。しかし、自身の延命に関する患者本人の見解が不明で、最期に当たって意思表示もできない場合は、家族が代理的な判断を求められるわけである。

これはたいていの人にとって悩ましい問題であるのに、近年はいささか粗雑な扱いがなされているように見える。「延命措置を希望する/希望しない」の二者択一判断を、まだ延命が問題となるような段階では全然ないのに一枚の書類で突きつける無神経なやり方には当惑を通り越して憤慨せざるを得ない。麻生発言も―その粗雑さはいつもの癖だろうが―同類だ。

医療慣習としては、患者にとっても肉体的・経済的な負担が大きな「延命のための延命」はしないことを原則とすべきであるとは思うし、予め尊厳死の意思を文書化しておくリビングウィルの普及も望ましいことではある。

しかし、およそ生命に関わる問題では、他のいかなる問題にもまして教条主義は禁物である。「延命のための延命」はしない原則に立ちつつも、本人または家族が何らかの事情ないし感情から残り三日であろうとあえて延命を希望するならば、その希望をかなえるだけの柔軟さを持たせる必要はある。

同時に、延命が問題となる以前に同意書の類を言質的に取るようなやり方はやめるべきである。「その時」に延命に関する原則を説明したうえで、あえて延命を希望するかどうか、ソーシャルワーカーのような相談業務の専門家を通じて丁寧に意思確認することが望ましく、それで何の不都合もないはずである。