脱ペーパー資格社会

日本はシカクの国である。難易様々な無数の職業資格が林立している。資格取得は就労の要、生活に直結するとあって、資格試験の受験(または資格取得に必要な学校の受験)に狂奔する人は多い。

ところが、そうして誕生する各種専門家たちの意欲や人格に疑問を感じることが少なくない。それどころか、肝心な専門技能にも疑問符が付くことすらある。専門家は資格試験によってその専門能力が証明されているはずなのに、である。 

真実は逆で、専門家の養成をペーパー試験に頼りすぎているのだ。つまり試験の点数に絶対的な重みを置き、実質的な適性や意欲、人格を問わない点に問題がある。

一定の能力証明として資格試験の必要性は否定しない。だが、それは最初の形式的な関門にすぎない。本来、資格とは試験によって一応―あくまでも―証明される専門知識のみならず、適性や意欲、人格も含めた資質のことをいう。

だから、神技的な技能を持つが、適性や意欲、人格はゼロという専門家はいない。逆に言えば高技能の専門家は適性や意欲、人格を含めた総合的な資質にすぐれている。つまり専門技能と適性や意欲、人格は総合的に密接不可分である。 

一方、多くの資格が一度取得すればそれで終身間資格を維持できる特権とされていることも、既得権にあぐらをかき不勉強を棚に上げた尊大な専門家たちを生み出す要因となる。有資格者には厳しい事後研鑽義務と定期的な資格更新試験も必須である(むしろ、試験の効用は資格取得後にこそあると言える)。

真に信頼に値する専門家を生み出すには、ペーパー試験依存を止めることだ。脱ペーパー資格社会へ向けた専門家養成制度の大改革が必要である。これは各専門業界任せではなく、政治が課題意識をもって統一的に主導すべき政治問題だ。

ちなみに、政治家は選挙に通りさえすれば(≒カネとコネがありさえすれば)誰でもなれる無資格職業である。しかし、政治家こそ政治学の専門知識を問う資格+選挙制にしてはどうだろう。
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