個独と孤独

世間的な意味での「友人」というものを持たないことをほとんど主義として生きてきた。世間的な基準では、非社会的な変人ということになるのかもしれない。

たしかに人間は社会的動物と言われる。ゾーオン・ポリティコンというアリストテレスの原語は正確には「ポリス的動物」ないし「政治的動物」だが、政治は社会的なものの典型例であるから、「社会的」ということは人間の本性なのであろう。

しかし、一方で人間はそれぞれが独異性を備えた個独的存在である。ひとは究極的には独りだ。自分のことは自分にしかわからない。肉親や親友といえども、他人同士で完全にわかり合えることはないし、他人と融合してしまうこともできない。

こうした個独的存在と社会的本性の相克から、孤独感も生まれる。「居場所」探しに走り、流行りのSNSにはまる現象もそうした孤独感から脱出しようとする渇望の現代的なありようを示している。

だが、逆説的に言えば、人間が自己の個独的存在性を意識するところから、社会が始まる。社会は個独的なお互い同士のことが一応わかる範囲内で、もっと言えばわかるふりによって成り立っている関係性である。

社会はそこに帰属すべき場所などではなく、個と個の関係性の集合のようなものにすぎないから、「居場所」などもともと存在しないのである。

そう考えることで、孤独感も軽減・解消されるだろうし、単にお喋りし、戯れるだけの「友人」など持たなくとも、社会性は維持できるのである。  
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