人工的生命観

2213年12月17日

23世紀の世界で、私のような旧世界から来た人間がやや当惑を覚えるのは、社会の生命観が人工的ないし機械的に感じられることです。

前にもご報告したように、現在、出生前診断に基づく障碍胎児の中絶はあっさり定着しています。子の出産は妊婦及びそのパートナーの自己決定権と考えられているからです。

つまり障碍胎児を産むかどうかは個々人の自己決定に委ねるが、その結果生まれた障碍者に対しては、手厚い療育とバリアフリー政策でその生活を支えていくという考え方のようです。

一方では精子バンクが普及しており、特定のパートナーを持たずにバンクを通じて妊娠・出産する女性も少なくありません。この場合、バンクに精子提供する男性は匿名を希望する正当な理由がない限り、出生した子どもが父親を知る権利に答えなければなりません。

また21世紀には倫理的な疑義が持たれていた代理母についても、代理母の適格審査に通り、登録されている女性に限ってではありますが、認められています。この場合も、代理出産した代理母は出生した子どもの知る権利に答える義務があります。

かつて不妊は疾患として治療の対象とされていて、上記のような制度は人工授精も不能な場合の窮余の一策とみなされていました。現在でも人工授精法はありますが、苦労して不妊治療を受けるよりも、子ができなければ上記のような制度を利用して子を持つことがあっさりと習慣化されているのです。

これに対して、クローン人間とかデザイナー・ベビーといった遺伝子レベルでの生命操作技術については、「生命倫理条約」という世界法によって禁止されており、この点では世界レベルでの共通規制を欠いていた21世紀よりも進歩的と言えます。

こうしてみると、23世紀の生命観は機械的に見えながらも、倫理的な押さえはしっかりと効かせている。そんな印象を持ちます。
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by komunisto | 2013-12-17 13:42 | 死生