「良い/悪い」は古い

2215年11月15日

23世紀人の思考法の特質について、自身と比較してあれこれと思いをめぐらせることが多いのですが、最近気のついた23世紀的思考法として、良い/悪いという善悪二元論的な思考をしないことがあります。このことは、21世紀から飛んできた筆者にとっては一種のカルチャーギャップとなっています。

実際、私は23世紀の知人から「きみは良い/悪いという発想をしすぎる」と苦言を呈されたことがあるのですが、このように何でも良い/悪いという二元定式にあてはめて物事を判断しようとするのは、おそらく21世紀―というより、専ら20世紀に生育した旧人の発想の癖かもしれません。

もっとも、用語のうえでは「良い」と「悪い」という単語は残されていますが、23世紀人は「良い」という言葉を道徳的に「良い」ではなく、「適切」とか「合理的」という意味で用いることが多いようです。他方で、「悪い」という単語はあまり使われず、「良い」の否定形「良くない」が使われます。これも、先ほど言った意味の反対、すなわち「不適切」とか「不合理」というニュアンスです。

前回ご報告した自殺論でもそうですが、自殺は「悪い」という価値観は希薄で、自殺は心の病の「良くない」症状とみなすという考え方も、こうした23世紀的思考法の適用例と言えます。さらには、他殺行為のような旧人的感覚では「悪い」ことでも、23世紀人はそのように断じません。

以前のたよりで、23世紀には刑罰制度が存在しないことをご報告しましたが、それは本稿の問題関心から言えば、犯罪を「悪い行為」として処罰するという発想が存在しないことを意味します。犯罪行為は逸脱行為ではあるものの、社会の歪み・欠陥が反映された一種の社会病理現象としてとらえ、個人の矯正とともに、社会の改良の手がかりとするという考え方が定着しているのです。

こうした発想は文化の面にも反映されていて、善人が悪人をやっつける勧善懲悪的なドラマのような創作はほとんど見かけません。かつての勧善懲悪ものは、古い時代の価値観を反映した古典作品として、鑑賞よりも学術的な分析の対象とされています。

良い/悪いという二元論的発想では、「悪い」と判定されたものは排斥・攻撃されることを予定していますから、良い/悪いの判断基準が異なる個人間・民族間・文明間では衝突が起きやすくなります。そちら21世紀が直面しているテロリズムもそうした衝突現象の最も憂慮すべき例なのかもしれません。
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by komunisto | 2015-11-15 10:49 | 思考