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2013年 03月 24日 ( 1 )

介護という営為は人的要素のウェートが大きい。猫も杓子も介護者にというわけにはいかず、自ずと介護適性というものがあるようだ。

おそらく良い介護者とは、介護対象者とさりげなく、心のこもったコミュニケーションが取れる人である。具体的には、対象者が介護ならぬ快護と感じられるような言葉かけができる人で、しかも決して饒舌でなく、慎み深さも必要だろう。

ところが、現実にはそうでない介護職に遭遇する。ろくに挨拶もせず黙々と仕事をこなす人、家族とばかり話したがる人、型どおりのぎごちない世間話しかしない人、コミュニケーションは取れるが、本人の前で露骨にシモの話をする人等々。今のところ文句なしに理想の介護職と言える人にはめぐり合えていない。

こうした介護適性に疑問のあるプロが続出しているのは、「介護の産業化」の結果である。恒常的な人手不足の中で介護職が乱造され、介護ビジネスがかつての建設業に代わって現代の失業対策事業の意義を担わされているのだ。「失業したら介護職へ」と言わんばかりである。

介護を産業ならぬ福祉・奉仕としての原点に立ち返らせなければ、対象者にとって介護は快護ならぬ不快護と化してしまいかねない。

もっとも、介護適性問題はかく言う家族介護者にもはねかえってくる。介護適性は職務ならぬ義務として他人を介護しなければならない家族介護者にもあてはまる共通条件だからだ。

しかし、少子高齢化の中で介護には不向きな家族が独りで介護せざるを得ない悲哀・悲劇が至るところで生じている。我が家も例外ではないが。